第11話 11月16日『私のエースパイロット』(幼稚園記念日)

 子供は私じゃない。

 私の意思とは無関係の生き物だ。


 血を分けたし、お腹の中で育てたのに、生まれてきた子は私ではない。私の中から出て来たのに、私ではない。これはなんだか不思議な気持ちだ。人類の神秘! みたいな話ではなく、変な感じっていう話。


 出産するまでヒヤヒヤしたし、出産は手を繋いでいてくれた旦那に「なんか協力してよ!」と初めて怒鳴ってしまうくらい大変だった。


 生まれてからも目まぐるしい日々が続く。


 特別なアレルギーがないことにはほっとしたけど、夜泣きがすごいし、買い物中や電車の中で泣かれたりすると、周りの人に対して本当にすいません! とヒヤヒヤする。食事も食べて欲しいときに食べてくれず、食べたいときに求めてくる。誰に似たのか、食べ方もお上品じゃない。注意をしても、ソースを飛び散らかせながら「てやんでえ」って感じでパスタを食べる。


 それでも、なんとか育てていき、無事に幼稚園に入れることができた。


 幼稚園に入れたら一安心! 少しのんびりしながら家の掃除やらご飯の準備やら家事をし、復職するための準備もできる! そう思っていた。


 が、全然そんなことはなかった。


 お昼過ぎに家の電話が鳴り響いた。ディスプレイの『ヨウチエン』という表示を見て、嫌な予感がする。


「もしもし、東明希ちゃんのお母様ですか?」


 幼稚園の先生が、申し訳なさそーに、私を呼ぶ。そうだ、私は明希のお母さんだ。


 話を聞くと、どうやら明希が熱を出してしまったらしい。またですかと思いながら、すぐに迎えに行きます、と返事をする。ぱっと上着を羽織って家を飛び出し、ママチャリに跨った。


 昨日、「ゆーまくんが熱を出したんだよー。風邪かもね」と明希から話を聞いたとき、うっすらと嫌な予感がした。抵抗力が弱い集団の子供たち、病気のパンデミックは簡単に起こる。インフルエンザの時期はまだ早いけど、それでも心配だ。


 幼稚園に預けてしまえば安心かと思ったけど、すぐに病気になるし、怪我や虫に刺されたなども日常茶飯事で、常に不発弾を抱えてハラハラするような毎日を過ごしている。家にいた方が、まだ自分の管理下にあるから、安心できるような気さえする。

 なにも起きなければ、なんて良い一日だったのだろうか! としみじみしてしまう。


 必死にペダルを漕ぎながら、考えを巡らせる。日々感じているのは、「思っていたのと違う」ということだ。親というものが、こんなに大変なことだとは思っていなかったし、娘も想像していたものとは違った。


 女の子が欲しかったので、生まれてくるのが女の子だとわかったときは嬉しかった。


 わたしは習い事もさせてもらえなかったし、おしゃれもできなかったし、女子校だったから浮いた話のない青春時代だった。


 娘には、私ができなかったことをさせてあげよう、と心に決めていた。だから、バレエ教室に通わせたり、可愛いお洋服を着せてあげようとした。


 だけど、明希は「バレエはなんかポーズがねぇ」とか「フリフリはダサい」と言って反抗する。自分で言うのもなんだけど、娘は整った顔をしてるし、瞳も大きいし、とっても可愛い。テレビに出たって不思議じゃないとさえ思える。だから、もっと女の子ができることをしようよ、と私が主張するのだが「いやだ」の一点張りで聞き入れてくれない。


 女の子たちとおままごとをするよりも、男の子たちとサッカーをしたり鬼ごっこをしたりするのが好きらしく、毎日傷が絶えない。私は毎日それを見て、ひぇー、と内心で悲鳴をあげている。


 家にいるときは、CSのアニメを見ているけれど、ディズニーとかジブリを見てもらいたいのに、ロボットが出てきて戦争しているものばかりを好んで見ている。


「ママは何ガンダムが好き?」


 と訊かれて、返答に窮していると、「ママはイデオンだったかー」と言われた。私には何を言っているのかさっぱりわからない。


 わけがわからないけど、旦那は娘の成長を喜んでいて、明希にリカちゃんやバービーではなく、ソフトビニールのロボット人形を買い与え、明希はとても嬉しそうにしている。母親よりも父親のことが好きなのが、うっすらとわかり、とても悔しい。


 将来の夢も、「エースパイロットになる」と口にしている。


 本当は、お姫様な格好をした娘に「ママ大好き!」と抱きつかれてたい。


 家事や娘の送り迎えは私がしてるのに、なんだか納得がいかない。


 自転車を漕いで十五分、幼稚園に到着する。私を待っていた先生から「七度二分だったので、軽いお熱だと思うんですけど」と説明をされ、明希を引き渡される。明希は泣いてはいないけど、確かにぼーっとした顔をしている。額に触れるとわずかに熱を持っていた。


「明希、大丈夫?」

「ママじゃん、どうしたの?」


 話はできるのか、とほっと胸をなぜ下ろす。


 今日は連れて帰りますね、ご迷惑をおかけしました、と頭を下げて、明希の手を引く。


「具合悪い?」

「なんかねー、熱いし寒いんだよね」


 どっちだよ、と思いながら、完全に風邪だなと思う。自転車のチャイルドシートに乗せてシートベルトで固定した。


 行くよ、と声をかけてから自転車を安全に走らせる。病院に連れて行くほどではなさそうで、少し安心した……いや、これは明日の朝決めよう。


 帰宅して、明希を抱きかかえて家に帰る。この子もずいぶんと重くなったものだ。


 手洗いうがいをさせて、改めて体温計を使う。七度二分、平熱は六度だから微熱という感じだろう。常備していた風邪薬を飲ませる。


「それじゃあ、着替えて今日は寝ようね」


 娘はこのことに素直に応じ、お気に入りの星柄の青いパジャマに着替えて、リビングの隣にある寝室の布団にもぐりこんだ。やはり、具合が悪いから横になりたいのだろう。


「すきま開けといていい?」

「いいよ」


 扉を少しだけ開けて、私はリビングに戻る。


 二日後の日曜日、七五三の写真撮影の予約をしていたのを思い出す。それまでに風邪は治るだろうか。レンタルの着物を着させるつもりだけど、嫌がろうのだろうなぁ……あっ今日の夕飯、献立を変えて明希には雑炊を作らなくては、そんなことを逡巡していたら少し頭が痛くなってきた。


 パニックになるな。これくらいのことでどうした? いつものことでしょと顔を覆い、深呼吸をする。


 ふっと顔を上げると、扉の隙間から明希が顔を出していた。見られてしまった、ということがなんだか恥ずかしくなる。ママは優しくて強いママでいたい。


「ママ大丈夫?」

「大丈夫だよ?」

「あたしのお熱うつってない?」

「大丈夫大丈夫」


 明希はそれでも、なんだか心配そうな顔をして私を見上げている。


「ママのこと心配だからかしてあげる」


 そう言うと、明希はドアの隙間に緑色のロボット人形を置いた。


「ガンダム?」

「ボトムズ!」


 そう口を尖らせながら、明希が布団の中に帰って行く。何故、私のことが心配でロボット人形を置くのか。理解ができない。

 ロボット人形を拾い上げ、ふっと小さく笑ってしまう。


 子供は私じゃない。

 私の意思とは無関係の生き物だ。

 だからいいんだけどねぇ。

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