第55話
「今日はありがとうキエル。楽しかったわ」
「こちらこそ。君とお酒を飲める日が来るとは思わなかったよ」
数時間に及ぶ2人きりの飲み会は無事終了した。
店の前から出るとキエルは顔を覆うように外套を被る。
キエルは宮廷外でも有名なようで出かける時はほぼこの姿で出歩くらしい。
騎士団の所有の外套で紋章を付けてはいるため不審者にはならないようだが、その出立がセドリックのようでサラディアナは思わずクスリと笑ってしまった。
その姿の中2人で歩いて宮廷へと戻る。
サラディアナの寮があるのは春寮だ。
春寮と宮廷の本邸入り口まで来ると2人は別れの挨拶を行った。
少しだけ名残惜しい気持ちがあるのはサラディアナだけだろうか。
でもキエルが未だにその場所から離れないのを見ると彼も同じ気持ちなのかもしれないと淡い期待が胸を締めた。
サラディアナはこの三年間ずっと考えていた事を思い出す。
「貴方が村を出て気づいたの。....ありがとうキエル。貴方は私をいつも守ってくれていたのね。私、貴方に止められなかったらうっかり誰かに漏らして命を失っていたかもしれない」
「....そうだね」
「何を漏らすか」はここでは言わない。
それでも2人には何を意図しているのか理解している。
「でも、今日貴方におめでとうと言われて嬉しかったの」
サラディアナはふわりと笑って見せた。
月夜に照らされた赤銀色はその笑顔をより一層引き立てる。
「わたし、頑張るわ。目標は...宮廷魔導師の魔導具技師に関わることなの。今度は私がキエルの役に立てるように、....見ていてね」
「....僕の」
「私はもう小さな女の子じゃないのよキエル。もうお酒も飲めるし貴方を、その、...キエルを抱きしめる事だってできるもの」
少しだけ勇気を込めて、気持ちを込めて言葉を紡ぐ。
先程は子供っぽく抱きついてしまったが、大人の女性がするような抱擁もきっと出来るのだ。
少しだけ赤く色づいたサラディアナの頬をキエルは手を伸ばしゆっくりとそこを撫でた。
外套から覗く金色の瞳が優しく細められた。
「一緒に仕事ができるのを楽しみにしてるよ」
「ええ!」
「おやすみ。僕のディア。」
満面の笑みを浮かべたサラディアナにキエルは顔を近づけてその頭に唇を寄せる。
眠れないサラディアナをあやす時にするおまじないだ。
やっぱりキエルは子供扱いをするのね。と反論して見せたが、昔ながらのやりとりはやはり嬉しくて笑みを抑えることができなかった。
「おやすみキエル。またいずれ」
後ろ髪引かれる思いでサラディアナはキエルから離れる。
自分が見えなくなるまで見守ってくれているだろうと確信があるのでサラディアナは振り返らなかった。
そしてキエルも、サラディアナの想像通り彼女が見えなくなるまで見送る。
「ディア。ごめん」
彼女の影まで見えなくなった後、ポツリと言葉を紡ぐ。
先ほどまで穏やかに笑っていた表情を隠し、困惑したような哀しみを含んだものへと変わった。
「大丈夫。僕が君を守るよ。必ず。近いうちに一緒に故郷へ戻ろう。」
キエルは三年前からいずれは村へ戻る事を想定していた。
それまで両親は勿論、サラディアナ含め誰一人として連絡を取るつもりはなかったのだ。
想定外の事はただ一つ。
サラディアナが王宮勤めになった事。
キエルの気持ちは変わらない。
【
そして今後も変えるつもりはないのだ。
さぁっとこの季節には珍しく寒気のするような風が吹いた。
すでに春寮の中へ入っただろうサラディアナが、この寒さに震えていない事を願いながらキエルは空を仰ぐ。
計画通り、折り合いを見て故郷へ戻る。
その時はサラディアナも一緒だ。
「君の幸せはここにはない」
先ほどよりも強く吹いた風は、キエルの言葉を掬いかき消した。
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