風の国 5
「殺して、か……」
紅茶の温かさも消えるような深い息遣いで呼吸をする。
たしかに、自分で死ぬことができない守り人が死ぬためには寿命を
それはもちろん理解している。
しているけれど……。
「気分の良いことじゃないよ。それは」
「だから気分を良くしているんですよ」
冗談めかしたように彼女は言う。
「性格悪いなぁ……」
私の口から何度目かのため息が
守り人として世界樹を守る為に人を殺めたことは……ある。
でもそれは自分の意思で判断したことだ。悔やんでいないといえば嘘になるが、それとこれとでは話が違う。
それでも、カイルドの命を奪った瞬間、心が握り潰されるような感覚が襲ったことを私は覚えている。それは今まで生きてきた中で最も嫌悪するべきものだと理解した。
もう私は守り人ではないのだから、誰かの命を奪う必要はないはずだ。
「私はもう自分を偽るのに疲れてしまいました」
「だからって私に汚れ役をやらせるの?」
カチャリとカップを置く音が響き渡る。
私の反論にユフィアは何かを言うわけでもなく、じっと私を見つめてくるだけだった。
「……っ!」
私はそれがなんとも腹立たしく思えてきてユフィアを射抜く勢いで睨みつける。
一瞬、驚くようなそぶりを見せながらも、ユフィアは静かに私の目を見て、その意思が不変であることを伝えてきた。
私は力を抜いてそっと息を吐いて、ふと窓の外を見た。
人々の笑う声も、この国を駆け回る子供の声も、悲しみに喘ぐ声も、新しい命の泣き声も、この国にはもう存在しない。
ただ、この国には笑って泣いて、時には怒って悲しんでいた人々が確かにいた。それを感じさせる景色がこの国にはある。
なんて残酷で美しい国だろう。
最後に残された彼女はその光景を目にしていながら、自ら死を乞うほどに傷ついて、私に会うまで守り続けてきた。苦しみ続けてきた。
過去の幸せが大きければ大きいほど、その幸せがなくなることが辛くなる。
だから人は死んでしまう。その幸せを過去のものにしたくないから。
永遠に自分のものとするために。
私たち守り人に死は遠い。
私たちの思い出は必ず過去になる。永久に自分の中に留めたい幸せすら過去にしてしまう。
だから、今を生き続けることしかできない私たちには使命感があるのかもしれない。
死にたいと願う時が来ても死なないように。
長い寿命をこの国を守るための存在として生きさせるために。
呪いとも言えるこの世界の
幸せを過去にした目の前の人に与えるべきは何か。
生か死か。
死んだように生きるか。
死んで生きるのをやめるか。
同じようで全く違う。救いの無い残酷な二択。いや、彼女はもう選んでいる。悩んでいるのは私だ。
––––生きるのを諦めないでほしい。
––––死んだように生きるならいっそのこと。
この矛盾が私の判断を鈍らせる。
いや、私自身も分かっているのだ。この矛盾に正解を導き出すことなど出来ないことを。私には彼女を助ける事ができないと最初からわかっていた。
だったら……だったら––––。
『–––––––––––ッ!』
私が口を開こうとした瞬間、ガラスの窓がガタガタと大きく揺れた。
まるで私の発言を止めようとするかのように、突風が吹いたのだ。
「……あった」
「エスカさん?」
––––––––あった。彼女を救う方法が。
彼女は一人でも独りじゃない。
大事に思ってくれる存在が隣にいる。この国の外にだって彼女を大事に思う人はいるはずだ。彼女がこの国だけにとどまる必要はない。
「ねえ、この国の中心に連れて行って」
「私を殺してくれる気になりましたか?」
私は残りのパウンドケーキと冷め切った紅茶を一気に飲み干し、ユフィアに告げる。
「そこで殺すわ」
–––––––––––––––
私たちは喫茶店を後にすると、ユフィアの案内で風の
木々が広がり、花が咲いている。道はきれいに舗装されていてゴミ一つなく、何もない。
枯れ果てた大きな噴水は水が出ていないにもかかわらず、見た目だけは新品同様で周りを囲むように配置された木星のベンチもつい先日完成したばかり思うほど、きれいに手入れされていた。
「ここはこの国が生きていた頃、すごい人気の場所だったんです。散歩道としても、遊び場としても、皆でゆっくりするとしても」
ユフィアの話す景色は今この場にかけらも残っていない。彼女がどれだけこの場所の存在を保っていても元通りに人々が笑顔を咲かせるような場所にはならない。
「さ、エスカさん。私を殺してくれるんでしょう? ここで死ねるなら私は満足です」
その表情は嬉しさなのか悲しさなのか、ましてや怒りなのか判断がつかない。
ただ表面に張り付いている画面のような笑顔に私は酷く嫌悪感を感じた。
いいや、落ち着け。
頭を振り、雑念を捨てる。
膝をついて、袋に入れた世界樹の種のかけらを舗装された地面の隙間に埋め込む。
そして、そのかけらに力を流し込んだ。
メキメキと地面を割いて大木が生える。
「エスカさん?」
心配そうに声をかけるユフィアを視界の端に捉えながら、さらに力を加えていく。
綺麗に舗装された地面が破壊されていく。
「––––っ!」
ユフィアが何が行動を起こそうとした瞬間、近くに生えていた木々がユフィアの体に絡みつき、行動を阻害する。
「ここら一帯の植物は私の管理下になりました。無駄な抵抗はやめてください」
言ったところで意味はない。
守り人は本能的に守護対象に害をなす敵を排除するのだから。
ほとんど残っていないはずの力を振り絞ってユフィアは風を起こし、自分を縛る木々を切り裂き、こちらに向かって来ようとする。
しかし、近づくよりも先に足を絡め取り、腕を縛る。国の中心であるこの場所ならこの国全体の植物を操ることは容易い。
「殺すなら私だけを殺してください! この国を殺さなくてもいいでしょう!」
力が尽き始めたユフィアの叫び声が響き渡る。
しかし、
「私はあなたを殺すとは一言も言ってません」
私は冷たく言い放つ。
私の言葉を聞いたユフィアはあ……あ……と口をパクパクさせて涙を流し始めた。
その間にも木は成長し、舗装された地面も、新品同様のベンチも、枯れ果てた噴水も呑み込んでいく。
この国はもう数分もせずに壊れる。
「あなただけは……あなただけは絶対に許さない……」
それでいい。
私は内心そう呟いた。
形だけを保ったこの国はもうとっくに死んでいる。それなのに彼女は国が死してもなお、理想を抱き続けて形を残し続けた。呪いともいえる過去に縋り続けた。
過去は過去であり、理想は理想である。
過去は決して今にはならないし、理想を抱くだけでは届くことはない。
しかし、彼女なら叶えることができる。
私に対する殺意や憎悪が動力になろうとも、生きていればきっとそれを超える何かに彼女は出会えるはずだから。
一人だった私とは違う。呪いになるほど強く望んでいる過去があり、それを叶える力がある。そして何より、仲間がいる。
私にユフィアを殺させまいと必死に訴える者たちがいる。
ただの一瞬しか関わっていない私ですらその絆は正しいと分かる。
「私は少し羨ましいよ」
涙声で唸るユフィアをよそに、私は小さく呟いた。
そして、ユフィアを絡めとる木々に力を込め、彼女を木の枝で包んだ。
–––––––––––––
少しずつ地面が崩壊していく。
私は帽子を深く被り直して、元来た道を戻っていく。
ひび割れた大地に足をつき、振り返ってみるとそこは空の床。
砕けちるこの国は地面に落ちるよりも先に形を保てなくなり空に消えるだろう。
この国の扉の前にたどり着いた私は静かに帽子を取って頭を下げる。
––––さらさらと吹く風が頭を撫でた。
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