風の国 4

「何を言ってるんですか?」


 ユフィアは私の言った言葉に対して不思議そうに首を傾げた。

 その表情はずっと明るい。しかし、私にはその明るさががまるで暗い本音を悟られないように誤魔化しているようにしか見えなかった。


「あなたはたぶん、私と同じなんだと思う」

「だから何を言って––––」

「風から聞いたよ。孤独に耐えられなくて死のうとしていたって」

「––––っ!」


 私の言葉にユフィアは目を見開き、そして静かに下を向いて、全身の力が抜けたように肩を落とした。


「…………何年も……何十年も独りでした」


 少しの間が空いて、視線を私に向けると観念したようにポツリポツリと震えた声でユフィアは語り始めた。


「私が守り人として自覚を持った時、この国はまだ生きていました。沢山の人が笑って泣いて……何百年もの間に沢山の出会いや別れもありました……。この国は外へ出る事はできても、基本的に外からの入国はできないようになっています。だから、この閉鎖的な国から出て行く人も多く、少しずつ人口が減っていきました。本当なら私はこの国を生かし続ける為に出て行くのを止めるべき存在のはずなのですが、私自身、この閉鎖的な状況は生きるのには狭すぎると思っていて止めませんでした。そして、気づけば1人2人と出て行き、最後には私一人になっていました。何十年も孤独に過ごし、だんだんその寂しさに心が折れていくのがわかりました……。エスカさんの言った通り、私は死のうとしました。結果はご覧の通り死ねませんでしたけどね」


 涙を浮かべ、自重気味に彼女は言うと、すぐに涙を拭ってまた無理をした笑顔を向けてくる。涙の跡が見える無理やりなその笑顔には諦めに加え、ほんの少しの申し訳なさが含まれていた。

 きっと、彼女は今になってもこの国と風たちのことが大事に思っているのだろう。自分の守り人としての運命を恨むのではなく、時を共にしたこの国と風達に自分の未熟さを謝罪するような声音だった。

 この場でどう声をかけるべきか、そんな事を考える事はない。私が何を言おうと彼女はこの国を守り続けるしかないのだ。



『死』



 それは守り人が自主的に行うことができないことを私は知っている。そうでなければ私はベックに会う前にとっくに死んでいるはずだ。

 しかし、死ぬことが出来ないからといって、私のように心が死んでしまっていれば、それはただのカラクリと同じだ。到底生きているとは言い難い。


「すみませんね。本当は全て隠し通そうとしていたのですが……」


 こんな状態であるにもかかわらず、ユフィアは他人のことを気にかけている。


 自分の心はひび割れて、少し触れれば砕けてしまうような状態なのに、なんて優しい心を持っているのだろう。


 私に彼女を助ける力があるならば全力で彼女を助けていたかもしれない。しかし、今の私には彼女を助ける力を持っていない。


 きっと、逆の立場だったならユフィアは自分のことなど棚に上げ、助けられないと分かっていても助けるための努力をしただろう。


 けれど、私は……。


「私には……何もできない」


 どれだけ助けてと叫んでいたとしても、今の私が下す決断は変わらない。

 ユフィアに同情することも一緒に涙を流すこともしない。できない。その感情が負であるならば抑えられてしまうから。


 それに、ユフィアはそれを望んでいないから。


 もしかしたら彼女が私に真実を伝えたのはほんの少しの可能性にかけたのかもしれない。もしかしたらどうにかしてくれるかもという奇跡に。どれだけ可能性が低かろうと、いや、ゼロだとしてもその奇跡に頼らざるを得ないから。


 心なんてものは酷く脆く、一度壊れてしまえば直すことは難しい。

 私はたまたま壊れてしまっている心を2人の旅人に拾い集めてもらい、文字通り命がけで新しい心を繋いでくれた。

 私はその不完全な心を本物にする為にこの旅へ出たのだ。


 私の言葉を聞いたユフィアは大きく深呼吸をした。溢れそうになる涙を堪えて何度も何度も。

 そして、落ち着いたのか最後にもう一度だけ大きく息を吸ってこちらに向き直る。


「エスカさん。少しお茶しませんか?」


 唐突にユフィアが言った。


「お、お茶?」


 あまりにも唐突で私は思わず聞き返してしまった。


「はい。ご馳走しますよ」


 最初と変わらない明るい笑顔を向けながら言うと、スタスタと足早に街中を歩いて行った。

 私は慌ててユフィアの後を追いかけると、それを確認したユフィアは少しだけ歩く速度を落とし、コツコツと靴を鳴らして歩みを進める。


 その間、私は何も言えなかった。


 –––––––––––––––––


 誰もいない街中をしばらく歩くと静かな商店街に着いた。

 その商店街はユフィアが手入れをしていたのか、誰もいないにもかかわらず店の外装や道具などは新品同様で、それが逆に物寂しさを際立てていた。


「ここです」


 ユフィアが指を指したその先にあったのは周りよりも遠慮がちな小さなお店。目立った看板もなく、ひと目では何の店か判断することはできなかった。

 木製でできたドアを開けるとからんからんと乾いたベルの音が店内に鳴り響き、木の匂いが鼻をくすぐる。

 視界に入ったのは木製のテーブルと椅子。それがいくつか設置されており、その奥のカウンターにはティーカップなどの食器が並べられていた。


「ここは……?」

「ここは私がよく通っていた喫茶店です。好きなところに座ってください。すぐにお茶を出しますから」


 言われ、窓側のテーブル席に座る。

 窓の外には誰もいない静かな景色だけが視界に入り、ユフィアが食器を操る音だけが鼓膜を揺らす。なんとも物寂しく、そして落ち着く空間なのだろう。


「お待たせしました」


 するとすぐにユフィアがトレイに紅茶セットとパウンドケーキを載せて近づいてきた。

 ユフィアはゆっくりそれをテーブルに置くと慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いでいく。

 目の前に出されたカップの中には果実の香り漂っている。私はその香りを少しの間楽しみ、そして紅茶に口をつけた。

 口の中に果実の風味と爽やかなハーブの後味がふんわりと広がった。

 そして、差し出されたパウンドケーキを一口食べる。

 ふわふわの甘さ控えめな生地に、埋め込まれたベリーやドレンチェリーの強い甘みと少しの酸味がバランス良く交わり、先ほどの紅茶との相性が抜群にいい。

 昔、世界樹にやってきた誰かから似たような物を食べたことがあるが比べ物にならないほどの美味しさだ。


「これすごく美味しい」

「気に入ってくれましたか? それはこの国で取れた茶葉と果物を使っているんです」


 中身の少なくなった私のカップにポットから紅茶を注ぎながらユフィアは言った。

 私は小さく首を縦に振りそのカップを受け取ると正面の席に座ったユフィアと向き合う。


「それで、私をここに呼んだのはどうして? 言っておくけど、私にはあなたの孤独をどうにかする事はできないよ?」

「はい。それは重々承知です。ゆっくり話したいと思ったからここに来ただけですよ。あのまま立って話すのもあれですし……」


「––––嘘だよね。それ」


 一口紅茶を口に含み、ふぅと息を吐く。

 紅茶から立ち上る白い湯気がユフィアの表情を曇らせた。


「隠すのが下手なんですかね、私は……」

「単刀直入に聞くよ。私に何をして欲しいの?」


 無理やり作ったぎこちない笑顔を向けてユフィアは言う。



「私を殺してください」



 私はギュッとカップの手持ちに力を込めた。

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