風の国 3

 流れる風はゆらゆらと揺れ、私の心を小さくする。


「何を言って……」

「この国は風と共にある国。風吹く場所に必ずあって、どこにもない間違った国です」


 ニコッと笑うでもなく、彼女はまっすぐ私に視線を向けて告げる。


「必ずあって、どこにもない……?」


 意味がよく分からない。

 頭を悩ませる私を見た彼女はふふっと小さく微笑み、


「こんなこと言われても分からないですよね。では、自己紹介から始めましょうか」


 そんなことを言った。


 たしかにまだ目の前にいる彼女の名前すら知らない。

 私は同意するように首を縦に振ると彼女は話し始めた。


「初めまして世界樹の守り人さん。私の名前はユフィア。第82代風の国ウィンディルムの守り人です」

「え––––」


 一瞬、時が止まったように感じた。いや、私は数秒の間何も言えずにいたのだ。

 落ち着き払った様子でユフィアはまっすぐ私に視線を向けて言い放った言葉はあまりにも衝撃的すぎた。


「そ、それってわたしと同じってことですか……? でも、82代目って……」


 自己紹介をするだけだと気を緩めていたところにこんな膨大な情報量。聞きたいことがありすぎてうまく言葉が続かない。


「ゆっくりで大丈夫ですよ。」


 吃っている私を落ち着かせるように優しい声音でユフィアは言葉を紡ぐ。


 一度、大きく息を吸ってゆっくりと吐く。


 激しく鳴っていた鼓動は少し落ち着いた。


「……あなたは……ユフィアさんは守り人というのがどんな存在か知ってるのですか……?」

「残念ですがそれは私も分かりません––––」


 きっぱりと告げるユフィア。その目は本当に残念に思っているのか、はたまた私の残念がる姿を面白がっているのか、何も考えていないのか分からないほどに自然な表情をしていた。

 ただ分かるのはその言葉が嘘ではないということだけ。


「––––けれど、あなが知りたいカイルドさんの友人の居場所を私は––––正確には彼らが知っています」


 心地よく吹いていた風がざわざわと騒ぎ出す。


「風というのは決して消えることなく世界中を飛び回ります。誰もいない場所でも、何もない場所でも、目には見えずとも必ずそこに風はいて、彼らはありとあらゆることを知っています」


 一吹き一吹きの風が自らの存在を主張するように激しくなっていく。

 私はまた帽子が飛ばないように頭を抑えた。


「そして、彼らの住まうこの国のの守り人として、新しい一歩を踏み出した元守り人であるエスカさんにちょっとした餞別を!」


 ユフィアが言った瞬間、私の周りを取り囲むように風の渦が吹き荒れた。



『––––君は世界樹のとこにいた女の子だね!』

『名前は––––何だっけ?』

『エスカさんだよ!さっきユフィアに教えた時に言ったでしょ!』


 確かにそこにいる子供のような何かの声が私の鼓膜を揺らした。

 辺りを見渡しその姿を探すがどこを見てもその姿は見当たらない。


『残念ながら僕たちは風だからね。いくら探しても目には見えないんだ』


『ユフィアのおかげで意思の疎通はできるけどね!』


『ほら、何が聞きたい? 私達はどこにでもいるから探し人なんてすぐに居場所を教えられるよ!』


 いくつもの風がまるで子供のようにはしゃいでいるかのように吹き荒れる。


「私にカイルド……ボールドウィン・カイルドの友人達の居場所を教えてほしい」


『ボールドウィン・カイルド? 誰だっけ?』


『ほら、あの人だよ!』


『エスカさんの記憶を封じたおじいさんの孫だよね。確かここから東の方にある国にある学園に通ってたよ!』


「ちょっとだけ待って!」


 私は早々と情報を話していく風達にストップをかけると、背負っていたカバンの中から手帳を取り出してメモを取る準備をした。


「ありがとう、続きをお願い」


『エスカのその手帳、ボールドウィン・カイルドの通っていた学園の手帳だぜ』


「そうなの?」


『その話は後で時間があるときにしましょ! ユフィアが疲れちゃう』



「私のことは気にしなくて大丈夫ですよ」



 まるで母親が子供に心配をかけまいとするような声が風の外側から聞こえてきた。


『ダメよ! あなた、あんまり体が強くないんだから! それに––––』


 風が強く吹いて、必死にその意思を伝える。

 しかし、ユフィアはその声を遮るように、


「大丈夫ですよ」


 そう言った。


『……』


 風達はその言葉に気圧されて、言葉を失ってしまう。

 私はその言葉にどこか慈愛のようなものを感じ、胸のあたりが締め付けられるような感覚にとらわれた。


「手短に済ませてください」


 いつのまにか私は低い声で風に伝えていた。


 たぶん、私はもう気づいてしまったのだ。


『……この国に来る前にいた場所からずっと東に花の国と言われている場所がある。そこにあなたの探しているうちの一人がいるからその人に残りの人たちのことは聞いて。その人の名前はシュテル。その国の学園でカイルドと同級生だった女性よ』


『花の国までは遠いから、いくつもの村や国を経由して行った方が良いよ』


『半日くらい歩いた先にある鉄の国が一番近いな』


 先ほどまで元気だった風が、大人しくそよそよと吹いて教えてくれる。


「ありがとう」


 私が一言お礼を言うと、私を取り囲んでいた風は静かに空へとのぼって行き、


『私たちはいつもあなたのそばにいるわ』


『辛くなったらいつでも言って』


『そんときゃ話くらいは聞くからよ』


 無邪気で優しく乱暴な子供じみた声がかすかに、しかし確かに聞こえた。


 そして、私にだけ聞こえるように耳元で1つの風が囁いた。


『ユフィアは私たちの大事な友達なの。でも、もうユフィアは––––」


 風は私に伝えると、最後に悲しそうな声音で『じゃあね』と言って空へと消えていった。


 風は止み、辺りがしんと静まり返る。

 聞こえるのはこの場にいる私とユフィアの息遣いだけ。


「みんなに愛されてるね。ユフィアは」


 先に口を開いたのは私の方だった。

 ユフィアは何も言わずに私の言葉に耳を傾けている。


「私にはあんなに仲のいい友達なんていないから羨ましいです」


 嘘偽りのない気持ちをユフィアに伝える。

 そして、この先の言葉は彼女にとってただの旅人の独り言である事を理解した上で言葉を続けた。


「だけど、寂しいですよね」


 私の言葉を聞いたユフィアははっとしたように顔を上げ、やがてふるふると噛みしめるように頷いた。

 国として存在するこの空中庭園。しっかりとした建物があるにもかかわらず不自然なほど人気のないこの国は、きっともう死んでいるのだ。


「人口が少ないっていうのは嘘ですよね……。 もうこの国に人はいない。いるのはあなたと風達だけ。風達が言っていた事が本当なら、あなたは体が弱くて長時間に渡った能力の使用ができない。風と話せない時はずっと独り」


 そもそも風と会話ができても姿がない相手との会話というのは、実際に対面して話す事よりも現実味がない。

 それも、過去に人が居た国。姿のある者と会話した経験があるはずなら尚更寂しくなる。

 私も世界樹との簡単な意思の疎通は可能だったが、やはり誰かが目の前にいて、声を発している姿が見えるのと見えないのとでは明らかな違いがある。


 長い長い守り人としての寿命。代替わりしているユフィアでも普通の人間より圧倒的に長い時間を生きているはずだ。そして、これから先も寿命は続く。


「エスカさんの言う通り、私は体が弱く、力を使えるのも1日に10分が限度です。気にしないでくださいとは言ったものの、長引いたらどうしようかと思いましたよ」


 自虐するように彼女はうっすらと笑った。

 はじめに会った時の晴れやかな笑顔はそこにはない。


「嘘ですよね」


 私は確信を持って告げる。



 これが残酷な真実だから。



「あなたは死のうとしてました」





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