旅立ちの朝に別れを告げて

 ふと空を見上げると、空にはいくつもの星が夜空を彩っていた。

 しかし、心が晴れることはない。

 カイルドによって負の感情が抑えられてから、一週間が経った。


 カイルドが死んで一週間が経ったのだ。


「ねえ、私はどうすればいいのかな」


 私はゴロンと世界樹の根に仰向けになりながら話しかけてみるが、返事は無い。風に揺らされてカサカサと音を立てるだけ。

 私の頭の中にはカイルドの言葉がずっと残り続けており、自分が何をするべきなのかが分からなくなっていた。


『旅をした方が良い』


 ずっとその言葉が頭の中で何度も繰り返し響いてくるのだ。

 もちろん、私は世界樹を守るという使命がある。この場から離れて良い存在ではない。


「……わかってる。私はここにいなくちゃいけない……」


 自分に言い聞かせるように、何度もそんなことを呟いた。何度も何度も、諦めきれない情弱な心に語りかけるように。

 わかっているはずなのに、どれだけ諦めようとしてもその気持ちが無くならない。

 十年後、私はどうなるだろうか。きっと、このまま何もしなければ一週間前と同じように、孤独に耐えられず絶望してしまうだろう。

 だからといって、この場から離れて旅をするわけにもいかない。私の中にある使命感がそれを阻むのだ。


「はあ……」


 私はどうにも出来ない心のうちを少しでも軽くしようと深く息を吐いてみるが、余計に気分が重くなってしまった。

 仕方なく、私は森の中を歩くことにしようと決めると、重い体を起こして森の方に向かった。


 しかし、その途中。今は亡きカイルドの持ち物が視界に入った。あの日から私は彼の荷物には触れていない。ずっとこのままにしていてはいけないと思いながらも、あまり気が進まず、この状態のままになっている。


「……よしっ」


 私は森の中を散歩するのをやめ、ゆっくりとカイルドの荷物に近づいた。

 ドクンドクンと心臓が激しく脈打つ。震える手をカバンに触れさせると、ロックを解いて中身を確認する。

 整理されていないカバンの中はぐちゃぐちゃで、パッと見ただけではなにが入っているのか分からなかった。

 けれど、その中で唯一、私の記憶の中にある一冊の本を見つけた。


「この本は……」


 どんな内容だったかは覚えていないが、私はこの本を見たことがある。

 吸い寄せられるようにその本をカバンから取り出して、一ページ目を開いた。


「これは……日記?」


 そこに書いてあったのは、カイルドが子供の頃から最近までの記録。


『きょうから日記を書くことにした。おじいちゃんから送られてきたおそろいの日記ちょうだけど、ページが多すぎて書ききれる気がしないなぁ』


 始めの一ページは、ぐにゃぐにゃの筆跡で書かれていた。


『今日は初めて呪術をお父さんから教えてもらった。ほんの少しだけ雨を降らせることができた。初めてで雨を降らせられるなんて天才だ! とお父さんは褒めてくれたけど、まだまだ上手くなりたい』


 パラパラとページをめくり、一言一句見落とさないように集中した。


『ついにこの日記も半分くらい埋まった。書き始めて六年だけど、全部埋めるのにまだ6 六年が必要だ。書き始めと比べると、字もきれいになっているし、呪術に関しても専門的なことを書くようになった。これから六年後にはもっと成長しているといいな』


 半分に差し掛かったところだが、私は読み続けるのをやめなかった。


『もうすぐ学校を卒業する時期だ。出会った仲間と離れるのは寂しいけれど、永遠の別れではないので悲しくはない。それどころか、これからの人生をどうやって生きていくか楽しみで眠れない』


 パラパラとページをめくる手は止まらない。


『今日は初めての正式な仕事だった。呪術師としてはそれなりに自信があったけれど、先輩方のようには全然出来なかった。こればかりは経験がものを言いそうだ』


 そして、最後のページ。


『ついに僕は祖父との約束を守るため、世界樹に向かう事にした。仕事の先輩方に事情を説明すると、笑顔で見送ってくれた。もっと怒られるかと思ったが、みんな優しかった。戻ってきたらまた飲もうと誘われたので、絶対に無事に帰ってこよう』


 私は最後まで読みきると、静かに彼の日記を閉じた。

 この日記を読むだけで、空がどれだけ周りから愛されていたのか、そして、どれだけ周りのことを愛していたのかがひしひしと伝わってきた。

 そして、私がするべきことも見つかった。

 私は彼の日記に書かれていた人たちに、真実を伝えようと思った。

 きっと真実を伝えれば悲しむかもしれない。怒りをぶつけられるかもしれない。それでも、私は伝えなくてはいけないのだ。

 カイルドの死と、ベックマンの死を。

 気づけば私の体は動き出していた。

 世界樹に登り、夜空に浮かんでいる星のように光る世界樹の実を、私は収穫した。

 この実が無くなれば、この森は少しずつ衰退していくだろう。ならば、その分を私がほかの場所で広げればいい。


「はぁッ––––!」


 私は収穫した世界樹の実を布で包み、その上から思い切り石を叩きつけた。

 ゴスッという鈍い音とともに、世界樹の実が砕け散る。この光景を昔の自分が見たら発狂していただろう。

 しかし、これでいいのだ。

 私が旅をして、彼の日記に書かれていた人物と出会えた場所に、この世界樹の実のかけらをひとつまみ地面に撒く。

 それが私がその人物に出会った証であり、謝罪と感謝の代わりだ。

 しっかりと粉々になった実を布で包み、それをビンの中に入れた。こうすれば余程のことがない限り、こぼれたりすることはないだろう。

 そして、旅の準備が始まった。

 とは言っても、カイルドの持っていた荷物の中に必要なものは揃っていたので、あまり時間はかからなかった。

 私が自分の持ち物で持っていくものはほんの少しだけだ。一番のお気に入りである本に、世界樹の実が入ったビンだけだ。


「さようならだね。世界樹」


 私が言うと、まるで私のことを引き止めるようにガサガサと低い音を鳴らした。いつも一人だった私の唯一の友達。その別れがとてもつらい。けれど、ここで立ち止まってしまっては、この先絶対に踏み出すことができなくなる。

 だから––––。


「今まで、私の友達でいてくれてありがとう。私は絶対に忘れない」


 出来るだけ淡白に、言葉を伝えた。

 心の奥底から、言葉にできなかった思いが湧き出そうになるのを我慢して、私は歩き出した。

 ガサガサと低い音はもうしない。その代わり、サラサラと優しい風が吹いた。


「うわっ!?」


 その風に乗せられてきたのか、私の頭の上に何かがポスッと落っこちてきた。

 一体何なのかと疑問に思いながら、降ってきた物体を確認すると、それは大きなとんがり帽子。黒くて所々傷が付いているけれど、一目見ただけで貴重なものだとわかる。


「ありがとー!」


 私は大きく大きく手を振って、感謝の言葉を伝えると、世界樹も大きな音で返してくれた。


「よしっ!」


 私はその帽子をしっかりと被り、大きなカバンを背負い直した。

 いつの間にか、空は明るくなり始めている。新たなスタートにはちょうどいい。

 その後、私は一度も振り返らずに森の中を進んだ。迷いそうになりながらも、決して歩みを止めることなく進んで行った。


 その間、ずっとずっと、世界樹は葉を鳴らし続けていた。




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