変化する 2

雨の中、はひたすら目の前にそびえ立つ世界樹に向かって歩き続けた。


今からちょうど10年前、旅人として世界中を渡り歩いていた祖父から一通の手紙が送られてきたのだ。


「10年後、この場所にいるエスカという人に渡してほしい。そして、渡す前にこう言ってくれ。『覚悟を決めろ』と」


それが祖父から送られてきた最後の手紙の内容だった。それと一緒に送られてきたのは小瓶に入れられた黒く光る石。もらったのは僕が7歳の時だ。

祖父との思い出はほとんど覚えていないが、心の奥で、祖父のしわくちゃな笑顔の記憶がはっきりと残っている。

だから、この手紙に書かれた通りの場所へ行くことに嫌悪感などはなく、それどころか、この日が来る事を心待ちにしていた。


「この先か……」


少しずつ大きくなっていく世界樹に向かって、僕は森の中へ足を踏み入れた。

世界樹のあまりの大きさに遠近感がつかみにくく、あとどのくらい歩かなくてはいけないのか全く分からない。

それに加えて何の変化もない景色。動物の姿どころか、鳴き声すら聞こえてこない。

鼓膜を揺らすのは降り続ける雨が木にぶつかる音と、風が木を揺らす音だけ。世界樹がなければ自分がまっすぐ歩けているのか心配になるほど景色が変化しない。


こんな場所に住んでいる人というのは相当変わった人なのだろう。

祖父の手紙にはどんな人物がいるのかは書かれていなかった。だから、どんな人物かを考えたりしてこの森まで歩いてきたのだが、今となってはどうでも良い事だ。

もうすぐ本人に出会えるのだから。


僕は気持ちをたかぶらせながら、草木をかき分け、地図に書かれた通りに森を進んで行った––––。




––––2時間ほど歩いたところだろうか、先ほどと比べてだんだんと雨が強くなってきた。

僕は世界樹を見上げるが、この森に足を踏み入れる前と大きさが変わっていないように見える。


ちゃんと進めているのだろうか?


僕は木の下でそんな疑問を持ちながら休憩を取る事にした。

この森は世界樹ほどではないが、一つ一つの木々が大きく、人1人が雨をしのぐには十分だった。


大きなリュックを肩から下ろし、中から水筒と砕けたクッキーを取り出した。

このクッキーは旅に出る前に祖母から受け取ったもので、僕の大好物でもあった。

サクサクとした食感に、ほんのりと包み込むような優しい甘み。これ一つで2時間の疲労が一気に吹き飛んで行くような気がした。あくまで気がしただけだが。


僕はクッキーのかけらを1つずつ味わうように食べ、乾いた喉を水筒の中身で潤し、少しの間目をつむった。


激しくなる雨の音。

眠るには少しうるさ過ぎるが、疲労が溜まった身体を休ませようと強制的に意識が刈り取られていく。

いつの間にか、雨の音は優しい子守唄のように僕の眠りの手助けをしてくれる。


少しだけ眠ろう。


––––そう思った時、世界樹が大きく揺れた。


まるで誰かに危険を知らせるように、激しく乾いた音が辺りに響き、薄れていた意識が一瞬で覚醒した。

僕は当初の目的を思い出し、食べかけのクッキーと水筒をリュックに入れ、肩にかけ直して足に力を込めた。

止まっていた足を動かして、一歩一歩進んでいく。




––––––いつの間にか雨は止んでいた。


森を抜けた頃にはヘトヘトで、立っているのもやっとだった。


そのはずなのに、僕の足は、僕の目は、彼女に吸い寄せられるように動いていた。


雲の裂け目から差す太陽の光が霞んで見える。


それほどに、目の前にいる人は綺麗だった。


世界樹の根元で小さな寝息を立てている。


呼吸に合わせて彼女の体が動き、腰まで伸びた白い髪が風に揺られて輝いていた。


「エスカさん……ですか?」


僕は激しく高鳴る鼓動をそのままに、彼女に声をかけた。









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