第28話 NEET、暗殺する

 心臓の音がうるさかった。

 血管の中を流れる血の音まで聞こえた。


 ザー……ザー……と、血が身体を巡っている。


 生きている。だが、これから死ぬかもしれない。

 でも、死ぬかもしれないというだけだ。俺は死にたくない。だから、足音を殺し、鳴き声の源へと――ネズミへと、慎重に接近していく。


 呼吸は、口ではなく鼻ですることを徹底した。口だと、声が漏れるかもしれないからだ。口内は乾いてからからになっていたが、我慢する。

 じりじりと、距離を詰めていく。些細な物音も聞き逃さないよう、ゆっくりと。


 一歩一歩が、とても長いように思えた。


 死刑台に上っていくような心地、というのはこういうのかも知れない。戦場に行くというのは死に向かうようなもんだから、あながち間違ってないな。

 ……落ち着け、落ち着け。今ネガティブになりかけていた。


 自分を励ましながら、気づかれないよう敵に接近するとか、どんな苦行だよと思わんでもないが、大丈夫だ。俺なら出来る。

 自分を自分で励ますことは慣れているのだ。


『――――』

「…………!」


 不意に、鋭敏になった聴覚がネズミの身じろぎした音を聞き取った。

 かすかな音だったが、音の感じからして方向転換したことがわかる。


 どっちだ? どっちに舵を取った?


 …………。わからない。

 どちらにせよ、接敵の時が近いことは確実だろう。少しでも隠蔽率を上げるために、厚手の布をランタンに被せて明かりを消す。

 これで、辺りは暗闇と沈黙に包まれることとなった。


 冷たい洞窟の風が、俺の身体に絡みついて熱を取っていく。

 びっしょりと汗をかいていた俺からすれば、今はありがたいことだった。後で身体が冷えるから、未来の俺は礼を言わないだろうが。


「…………」


 空気と同じく冷たい壁に触れ、そのごつごつとした感触を頼りに前へ前へと進んでいく。

 目を閉じる。明かりを消してしまったのだから、視界はもうないものと考えて良いだろうと思ったからだ。


 聴覚を頼りにネズミの位置を割り出し、ゆっくりと、ゆっくりとその場所へと近づいていく。


 心臓の音は、いつの間にか落ち着いていた。血の流れる音を強制的に意識から切り離し、外界の音にのみ耳を澄ませる。スコップを握る手の感触が、いつもより不思議と強く感じられた。


 そして、その時は訪れた。


『――――ギュ?』

「――――ッ!!」


 互いに、互いの気配を察知。

 ネズミは――鳴き声から察するに、まだ混乱しているようだ。


 やる。やってやる――――殺す。


 スコップを握る手に力がこもった。


「――――ォッ!」

『ギュゥッ』


 音を漏らさぬように、最小限の気合いで、壁にぶつけぬように配慮して、俺はスコップを振るった。


 ぶおん、と風を切る音。ネズミの悲鳴。

 そして……、手に残ったのは確かな手応え。柔らかいものを潰し、固いものをへし折ったようなそれは、確かに生物の命を奪ったことを伝える。


 ランタンから布を取り払い、明かりを付ける。


 真っ先に目に入ったネズミの死体に、吐きそうになった。

 しかし、それをこらえて、俺は胃液の混じった唾液を呑み込んだ。

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