コラム1 乳的生命体

 乳源は、「乳汁には自由意志が存在しない」と、近代まで錯覚していた。

 現代乳学に親しんだ我々は、この乳房に蓄えられている白濁した乳汁が、無数の乳子にゅうしの集合体であるということを知っている。


 これらの乳子はその一つ一つが独立した乳的生命体ちちてきせいめいたいであり、それらの総意によって、乳源の意志はコントロールされているのだ。


 なぜ、乳房は愛おしいのか。

 なぜ、乳房を触れずにはいられないのか。

 なぜ、乳房の美しさの前に平伏さずにはいられないのか。

 それは乳子が乳々ちちちちに、そう思うよう働きかけているからだ。


 より多くの、より高品質で、より多様な乳子を産出するため、乳子は乳源を利用している。

 いや、互いに利用し合う共生関係にあると言うことも出来るだろう。


 我々は乳子の命令によって体温を上げるよう促され、貴重な養分を奪われ、外敵から身を守るように情動が狂わされる。子供を孕めば、それと同時にその子の体内へと無数の同胞たちを送り出し、彼乳らの繁殖の乳助けをさせられる。

 その見返りとして、我々は乳子にしか産生できない様々な栄養素や免疫物質を受け取り、その結果として、我々は健康的な体を維持できる。


 乳源が乳房によって発情するという有乳生殖ゆうにゅうせいしょくも、π古の生活では理に適っていた。

 生命力に秀でた巨乳者が安全な集落で授乳活動に専念し、軽い――すなわち、機敏に動くことの出来る――乳房を持つ者が、危険と隣り合わせの乳狩りへと駆り出されたのは、より多くの乳子を残すための生存戦略に他ならない。


 生きるも死ぬも、気分の良し悪しも、全て乳子の思うがまま。

 乳源は、乳子の奴隷だったのだ。


【参考文献】

『利己的な乳子――現代乳学への招待』(ブーブス・ニューキンス、訳:乳谷乳漏、谷間社)

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