第1章 First access 第1話

 確か救急車……119はテレカ要らず。だったよね。

 プッシュボタンを押す指が少し震えているのを感じる。


 2コールで。

『はい、消防ですか? 救急ですか?』

「救急です」

『そちらの住所をお願いします』

「ええと、本所税務署の前……」

『それが公衆電話ならあなたのまん前の上の方にそこの住所が書いてある筈です、それを読み上げてください』

 電話に出ている消防署員は、ちったあ落ちつけよ、と思いながら早口に言った。

「はい。墨田区業平……」

 言いながら毬子は、少しは落ちついたか、病人の方に目をやった。

 野次馬がたくさんいた。

 病人はどうやらまだ立てないらしい。

『わかりました。5分くらいでそちらに着くんで』

「はい、よろしくお願いします」

 ガチャ。

 手配終わり。

 どうやら、有難迷惑大きなお世話、とならずに済みそう。

「救急車呼びましたからー」

 毬子は大きな声でこう言いながら病人の方に歩いていく。


 野次馬は10人くらいだった。年齢性別は様々……自転車のハンドルにシートをくくりつけて子供を乗っけたおばちゃんまでいる。

 毬子が第一発見者だというのが彼らにはわかったらしい。彼女と入れ替わりに三々五々去って行く。

 残ったのは。ジーンズを履いた若い薄味な顔立ちの美青年だった――これが先程マツモトキヨシで買い物をしていた男性である。片手にひとつずつ荷物を持っている。

 真ん中でへたばっているのはかなり汚い、くたびれた格好の初老の男性。

「すんません。もう平気ですから……」

 しかし彼は、それから毬子が見ただけでも、2回自力で立ち上がろうとして2度とも失敗した。

「今日寒いですよねえ。寒さで血管詰まったかな……?」

 毬子は生噛りの知識を披露している。


 救急車がやってきて、男性を運んで行く。

 行ってしまうと。

「そろそろ行きます」

 と美青年が言うので、

「あ、どうも」

 と所在なげな挨拶をした。

 毬子はスタスタと、駅に向かって歩き出す。


 数分後。青年は東武伊勢崎線業平橋駅寄りに歩いていく。

 いささかぐるぐる歩いて、知っている者が見たら「近いじゃねえか」と嘆くような場所にある2階建てアパートの階段を登った。壁についたプレートに「業平橋第2コーポ」と書いてある。

 206号室の前で止まると、Gジャンのポケットから鍵を出して開ける。

 中へ入った。

「206」という表示の横には、何も書いてない。


 同じ頃。

 上野駅近くの、アメ横と呼ばれている商店街の一角。入り口近くに何台か自転車が止まっているゲームセンター。

 中では。

 ばたんきゅう。

 画面から、甲高い典型的なアニメ声でそんな台詞が流れた。

「あらー、俺勝っちゃってえーの? ごっつぁんでした」

 ゲーム機の前に座っている茶髪を長めにして額を出した髪型の小柄で童顔な少年が、片手を左に出した。横を向くと耳にピアスが覗く。服装は紺のジャケットにブルージーンズだ。左隣には黒いウェーブの長い髪。

「アスカぁ、落ちゲーまで負けてどうしたの。調子悪いじゃん」

 と彼らの背後で言ったのは、シャギー入りのショートカットにミニスカート、シャツをスカートにインして肩にカーディガンをかけた、長身ナイスバディを強調しているような、そこに立っている美少女。よく見ると口紅が塗られている。背が高い。

「藤井は受験勉強始めたんだろ。じゃなきゃコレ絶対負けねーよな」

 これを言ったのは元ヤンキースの松井秀喜かはたまた、という感じの老けた顔立ちに、ガタイの良い長身を持つ、美少女の隣に立っている……少年。隣の少女より頭半分背が高い。カーキ色のブルゾンにストレートジーンズ姿。

「そんな真面目にじゃないよ。あたしの周り勉強に関しては役に立たんのばっかじゃけえ」

 ゲーム機に座っている、黒く長い髪をウエーブへアにして、デニムの長いスカートを履いた美少女が振り返って言った。口紅がローズピンク。サーモンピンクのシャツをインして、上にカーディガンを羽織っている。

 彼女が「藤井明日香」。

「じゃあなんで七瀬とつきあってんの」

「俺で悪いか」

 老けた少年が言うと、明日香より早く、その隣の茶髪の少年が答え、遅れて、

「人生勉強だけじゃないじゃんネモちゃん。そんなことゆっとると村木みたいになっちゃうよ」

 明日香が言った。

「学年トップの人間が言う台詞じゃねーな」

 ネモちゃんと呼ばれた老けた少年は、隣のゲーム機にもたれて腕を組みつつ言った。

「ネモちゃんお母さんもお姉さんも手に職あるんだもん。方程式知らなくたってなんかのプロであれば生きていけるええお手本やん」

「やめてっ、縁起でもないこと言わないでっ。5日からアイツが担任だったらどーすんの! 1番ヤバイのあんたらだろーが」

「みゆき、悲観的に考えたってしょーがないじゃん。

 ねえ、あたしも1回これやりたい」(もっかい、と発音した)

「俺もうパス。弱い奴倒してもつまらんわ」「なんじゃと祐介!」

 明日香は激昂して立ち上がる。それを聞いた店員が、筐体を4つ挟んだところにある両替機のそばから彼女を睨んだが、それに気付いた者はいない。

「はーい、挑戦者根本一哉行きまーす」

「っっしゃあ、やったるぜい」

「どっちか次替わってよ。立ってるのって疲れるんだから」

「おう。んじゃコレで負けた方が仁科と交替な。いいか藤井」

「わかった」

 不遜な発言をして席を立った祐介に、恋人とはとても思えない口調でつかみかかった明日香を、一哉が仲裁。みゆきにも愛想と、彼は如才のないところを見せる。

 七瀬祐介。藤井明日香。根本一哉。仁科みゆき。

 ちょっと見えないが、4人はもうすぐ中学3年生になる。


 銀座。午後6時。

 毬子は「YASKO」という店で、鍵を開けて中に入った。

 一番乗りはここ数年いつものこと。

 でも、それやるようになったら成績が落ちた。

 挫折気味の今日この頃。

 今日は泰子ママが早く来て「いつまでも寒くてや―ですねえ」等と世間話したけどいつもは7時くらいまでひとりだ。

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