第1章 First access 第2話

 その夜……午前2時半。

「ただいまー……」

 毬子、帰宅。

 そのままある部屋のドアをノック。

「帰ったン?」

 部屋の中から少年の声がした。

「ただいま、まだ起きてたの? 早く寝なよ……煙草吸ってないね?」

「ないよ」

「本当かァ?」

 ドアを開けた。

 中にいたのは、先程アメ横のゲームセンターにいた茶髪の少年。

「どーせならノックしたすぐ後に開けろよ」

 小さな音でラルク・アン・シエルが流れている。コーラの缶。「のりしお」と書かれたポテトチップスの袋。

「あたしすぐ寝るわ……あ、明日生ゴミなのよ。まとめとくから出しといてくれる?」

「えー?」

「稼いでから文句いいな、中学生」

「ふぁーい」

「おやすみ」

 毬子は扉を閉める。

 可愛いんだか可愛くないんだか。

 3日前に14歳になったばかりのマイ・スウィート・ダーリン。

 もとい。

 我がひとり息子殿。


 翌日午後10時。

 またやってる。

 昨日は和服デーだからいなかったけど、若い子の中には、お客様の前で足を組んだり煙草を吸ったりする子がいる。なのに何故か売上げいいんだ。何回注意してもやめない。お客様が注意しなきゃいいのか?

 後で、

「やめろって言ってるでしょ。何度言ったらわかんの」

 と言っても、

「売上げ悪いヒトにそーゆーこと言う権利ないじゃん。ババアの負け惜しみにしか聞こえないんだけど」

 化粧の濃い顔でふてくされて言い返しやがった。

 彼女達が言うことを聞かないのはあたしに問題があるからだ、と泰子ママの論理ではなるらしいし。

 ママに言わせりゃ、

「マリちゃんよりあの娘達の方が水商売に向いてる」

 そうだ。


 その週の日曜日の昼下がり。

 根本美容室や毬子の自宅マンションの近くにある、「藤花亭(とうかてい)」という名前の広島風お好み焼き屋。

 そのカウンターに、毬子はいた。

 カウンターの中には、大柄で迫力が見える、体重の重さがギャグじゃなく重厚さに繋がりそうな中年男性と、二重まぶた系正統派美人が年齢を重ねて太ってしまった典型、という感じの中年女性。

 毬子の隣には、茶色いシャギー入りロングヘアに、黒い光沢シャツと細いパンツ、ハローキティ柄でピンク色の厚底健康サンダルを履い化粧の濃い少女。

 3人は、藤井明日香の家族だった。

「しっかしよくそんな汚い奴助ける気になりますね、毬子さん」

 藤井家長女香苗は、足を組んで座ってる。

「香苗。あんたね。もうすぐ自分とすれ違うだろう人が目の前でバタッとイってごらんよ。そんなことかまってられなくなるって。あ、大将、ビールちょうだい」

「おう」

 大将、と呼ばれた中年男性は、毬子の目の前にサッとコップと瓶を置く。彼女はそれを受けとって手杓した。香苗が、

「そーゆーもんかねえ」

「そーゆーもんだよ。そうじゃなきゃ玉の輿になんか乗れないよ。そーゆー男ってずるいからね。よく見てるもんだよ。ボケた親の世話させようって魂胆持ってる奴とか女ときちんと向き合わないくせにヤりたいだけでええカッコしいする奴とか、いろんなのがいるから」

「まあまあ。毬ちゃん、そう言わんと。ちゃんとええ人はおるけえ。そーゆーことする奴は幸せになれんと決まっちょる。いい奥さんがおっても満足せんもん。

 香苗は本当に自分に合う人かどうか考えんさいよ。だいたい今の彼氏をどう思っちょるの」

 冷めたことを言う毬子と身の程を知らないような娘を、絢子という名前で割烹着を着た元(?)美人がたしなめた。

「早く結婚して落ちつきたいんだけどねぇ」

「そんな魂胆じゃワレは一生落ちつかんわ。大体やっと就職できたばっかりで」

「1回決まったのに化粧濃くしてたら内定取り消してきたもんねえ」

「毬ちゃんよう笑て(わろて)られるなあ。祐ちゃんがそやったらどないするん?」

 店主・藤井隆宏氏にこうつっこまれ、毬子は「うー……」とうなった。

「ありえそうで怖い……」

「確かに」

「香苗。内定取り消された張本人が何言うとんの?」

「折角決まったんじゃけえ、仕事を続けることを考えんさい。おまえ高校時代はバイトばっかりしちょッたくせして、1日中働くようになったらなにゆうとるんじゃ」

 カウンター越しに両親からステレオで言われて内心、ピーンチ! と思った香苗の耳に、

「かーなーえーちゃん、あーそーぼ」

 という合唱が飛び込んできた。

「何小学生みたいなことやってんだか」

 と毬子。

 大将・隆宏が、

「開いとるけど電源入っちょらんけえ、手で開けえ」

 言うと、扉が開いて、茶髪金髪当たり前、真っ白いヤマンバや青い髪・鼻ピアス等など派手な若い者達が男女取り混ぜ20人ほど立っていた。

 中に、明日香、祐介、一哉、みゆきの4人の姿も見える。隆宏は、

「あれ、明日香、上におったのと違うか?」

「今呼ばれて下りたんよ」

「あ、じゃああたし靴履いてくるねえ」

 手をひらひらさせて香苗が消えた。

「祐介、あんた今日夕飯どうすんの」

 毬子は母親の顔をした。

「いらね。どーしたの、わざわざ言っちゃって」

「たまには一緒に食べようよ……」

「よく言うぜ……」

 今のやり取りの何処が受けたのかわからないが後ろの若い者も、藤井夫妻も笑っている。

「お待ちぃ」

 扉の外から香苗の声が聞こえた。

 皆に囲まれて見えないが、きっと黒い厚底ブーツを履いているんだろう。

「おー、行こ行こ」

「車に気をつけな」

「警察の厄介になるようなことすんじゃないよ」

 ガラガラ……と扉が閉まっていく。

 刹那、黒い踵がちらと見えた。

「返事は!?」

 絢子が怒鳴った。

「ふあーい」

「行ってきまーす」

 店の中は、夫妻と毬子の3人になった。


「やれやれだね」

「ああ」

「毬ちゃんもああやった」

「絢子さん、一緒にしないでよ。あたしあんなに派手じゃなかったもん」

「スカートのウエスト巻き上げてライヴハウスばっか行っとったやろが」

「やめて」

「でもあいつらクスリはやっとらんでしょ」

 絢子が切りこんできた。

「やってたらタダじゃすまんでしょ」

「大丈夫だと思うよ。多分シンナーもやってない」

「それはわかる。あれやると歯ァスカスカンなるけえ」

「大将だって人のこと言えないじゃん」

「毬ちゃん……」

 よせやい、という気分の隆宏。その時、

「あれー、どーしたのー?」

 扉越しに女性の声が聞こえた。

「今日日曜だもん、休みじゃないよねえ?」

 隆宏が、

「開いとるけど電源入っちょらんけえ、手で開けえ」

 先ほどと全く同じ台詞を言った。

 それで店に入ってきたのは、毬子や瑞絵と同じ位ある長身をパンツスーツに包んだ、黒いショートボブカットの美女である。

「はいはい。

 チーィッス。御無沙汰してます。

 毬子も御無沙汰。別れたんだって?」

「あら由美ちゃん、どしたの」

「ホント御無沙汰……話したい時つかまらないで今更言うなっつの」

 岩淵由美は毬子の小学校以来の親友だ。

「これから仕事なんだけど、たまにはここでお昼食べようかなあ、って」

「あんたたち開店以来のお客さんだもんね」

「ねえ、ここって今年開店20年?」

「おーよ」

「言わないでー。年食ったの実感してイヤだ」

 言って、両耳にあてた由美の両手首を、素早く立ち上がった毬子が背後から両手で押さえた。そして。

「由美、もっとイヤなこと教えてあげるよ。香苗こないだ入社式だったんだよ」

「経産婦の図々しさかい」

 由美がこう言った途端、場の空気が凍った。

「由美ちゃん」

「え、原因またそれなの? あんたロクな男にあたんないねえ。3度めじゃん」

 絢子に呼ばれただけで由美は理解した。

「付き合い始めてしばらく経って家にあげない時点で、なにか変だと思うみたいね。それでいるってうちあけた途端よそよそしくなってさ」

「ええよ。呼ばなくて。子供邪険にして殴るのおるから」

「絢子さん……」

 こういう話題になると妻がこういう発言をするのはいつものことだから、隆宏は黙っている。心の傷はそうそう癒えないから。

「今度は1番ひどかったね。ただ二股かけやがっただけならまだしも、向こうの女妊娠させて、あたしには『もうひとりいるからいいだろ』って勝手なこと言った挙句、別れ話する時に女連れてきたんだよ」

「ほじゃけえ始めから言うとったやろ。やめとけって。大体今時銀行の頭取の息子がええとも思えンが。あ、由美ちゃん、なににするか決まったんか?」

 隆宏が割って入る。

「何、お客さんで来てたの? あ、大将、ぶた玉とオレンジジュース」

「あいよ」

「よくわかったね」

「あんたがそんな相手と出会うなんて店しかない」

「悪かったね」

 由美が毬子をやりこめてるところへ。

「由美ちゃん飲まないの? 珍しいね」

 言いながら絢子は、オレンジジュースの瓶とコップをカウンターに出して注いでやった。

「だからあたしはこれから仕事なんだって……あ、絢子さんありがと」

「こんなお花見日和にもったいない」

「何、ライヴ見に行くの?」

 毬子と絢子が同時に言った。

「そう。渋公の“トラフィック・ジャム”」

「りんだが好きなバンドじゃない?」

「ああ、そーいやそうだね。楽屋で会うかもね」

「りんだちゃんも久しく来ちょらんねえ……部外者が楽屋なんか入ってええんかい?」

「ホントだよ。少女漫画家ってオイシイよなあ……あんたなんでそっち目指さなかったの。りんだとよく本つくってたじゃん。ガンダム好きでさ……って、りんだで思い出した。三村が“まりあ”の編集部に異動になったんだ。知らない?」

「三村さんが? 聞いてないよ。最近律子と話してないもん。独立した人間がなんで知ってんの」

「おととい原稿届けに行ったら、ね。フロア変えもするからってバタバタしてたよ」

「ふうん……“まりあ”って最近出来た少女漫画雑誌だよね……なんかやたらなんでも載ってる……そーいや1度見たことあるわ。りんだが描いてたから」

「あいつ今回はどんな話を描いてたの?」

「国をのっとられた王女様が、巨大ロボット乗り7人くらいと手ェ組んで、のっとった悪徳政治家に喧嘩売ってた」

 平然と言う毬子に対し、

「ガンダムで白雪姫やってんの……原典回帰かよ……笑う……はははは……ああおかしい……」

 由美はたっぷり3分笑い続けた。挙句、

「頼むから誰か止めて……」

 とうめく惨事となった。

「由美ちゃん、話を戻そ。最近みんな御無沙汰だね。律っちゃんも信宏くんも」

 皿を拭きながら、絢子。

「信宏くんていやー、ニカバーやめるって言ってたのどうした」

 ニカバーとは業界最大手のスーパーマーケットである。食料品だけでなく、衣類や本や一部家電や寝具も売っている。

「やめたんじゃないの? あいついっつも自分で決めてからあたし達に言うんだから」

 毬子はふくれる。寂しい、という風を言外に滲ませて。

「せっかくいる3人姉弟なんじゃけえ、もうちょっと仲良くしんさいよ。妹の旦那の異動話なんて友達から聞く話じゃないじゃろう。

 あ、今から電話して一緒にお花見にでも行けばええやんか。

 はい由美ちゃんぶた玉お待ち」

 毬子はビールの入ったコップを置くと、

「……あいつ極端な人込み嫌いだかんなあ、ま、たまには誘ってみよ」

 と言って、携帯電話を出した。横で由美が、いただきまーす、と言って箸を割っている。

 毬子より、律子は5歳、信宏は7歳年下の弟妹。三村は律子の夫で毬子より2歳年上で、ドーリアン・マガジンズという出版社に勤めている。由美とは『ROKETS』という、80年代に出来た少年少女向け音楽雑誌の編集部に所属する同僚だったのだが、彼女は2年前フリーライターになった。

“まりあ”とは、ドーリアン・マガジンズが2年前に創刊した少女漫画誌で、りんだというのは、本名を佐藤利奈という2人の中学の後輩でもある売れている少女漫画家だ。 “まりあ”には創刊時から描いている。

「あ、もしもし、律子?」

『お姉ちゃん? 久しぶり』

「久しぶり。今由美と一緒に藤花亭にいるんだけどさ、出ておいでよ。上野に夜桜見に行かない? 由美今から仕事だからあたしと2人なんだけど祐介呼んでもいいしさ。どう?」

『……ごめん、頭痛くって。せっかくだけど……』

「あんたいっつもそんなことばっか言ってんじゃん。外に出る方がかえっていいと思うよ?」

『ごめんね。わざわざどうもありがとう』

「うん、しょうがないな。わかった。じゃあね。お大事にね」

 ピッ。

「りっちゃん来ないって?」

「絢子さん、あいつどーしたらいい? 年がら年中塞いでて、なにかあるのかなあ。鬱かなあ?」

「もともと内気じゃったけどね」

「内気じゃ内気じゃって甘やかしすぎたのと違う? 前に信宏くんも言うとったやんか」

 隆宏が口を挟んだ。

 有線放送からは、大滝詠一の〈君は天然色〉が流れてる。

「まあ、転校が多かった子ってサービス精神旺盛になるか内気になるかのどっちかや言うモンなあ」

「てそれについて行かんかったけえ、祐ちゃんが生まれよったんな」

「それは置いといて。転校ってやっぱり心細いよ。それを繰り返して……しかもあの2人が行ったのって全部言葉が違うとこじゃない。あたしも東京へ来る時は不安じゃったけえね」 

 由美は経験者顔。

「お、出たね広島弁」

「何年ぶりね?」

「ええやん。たまには」

 由美は照れた、が、

「20年間どうもありがとうな」

「これからもよろしく」

「何言ってんですか」

「あ、由美が『ここ入りたい』って言わなきゃ来てなかったね」

「ほんまにね」

「いろいろあったなあ」

 空気がしんみりしてきたとこで由美が腕時計を見て、

「あ、そろそろあたし出るわ。御馳走様でした」

「あいよ。850円ね」

「ちっ。はい」

「千円から……150円のお返しな」

「ありがとうございましたあ」

 ガラガラ。

 由美は自力で扉を開けて出て行った。

 有線が,KATZEというバンドの『LOVE GENERATION』に変わった。


 そして彼女は、地下鉄をICカードで乗り継いで渋谷へ出ると、目的地へ。

 バックステージ・パスを受けとったところで、

「おう岩淵、早いな」

 と同世代の男性に声をかけられた。振り向くと、

「三村じゃん。どうしたの?」

「異動挨拶。俺が担当してたから」

「あ、そうだったね」

 それであたしにライヴ・ルポ書く仕事が来たんだわ。

 思い出したところへ。

「先輩取材ですか?」

「りんだ、やっぱり来てたね」

 噂をすれば影だわ、と頭半分背の低い後輩を見て由美は思う。

「由美さん、『やっぱり』ってなんですか? それ」

「だって、前にあんたに会ったのもジャムの武道館だったじゃん」

「そうでしたっけぇ」

 佐藤“りんだ”利奈がふくれた時、

「なあ、今楽屋入ってって大丈夫かな? メンバーいます? マネージャー……西口さんも」

「大丈夫ですよ。今会いました……御無沙汰してます……えと……」

 前に打ち上げで見た顔だ。その時いろいろ名刺とかもらったけど……でも、名前まで思い出せない。

「あ、こちら三村芳樹さん。ジャム担当だったんだけど、今度の人事で “まりあ”に異動になっちゃってねえ……」

「え、 “まりあ”に来られるんですか?

あ、あたしこういう……」

 言いながらりんだは名刺を出そうとバッグをかき回し、由美はりんだを指して、

「 “まりあ”でも描いてる漫画家なのよこの子。佐藤りんだっていうペンネームで、でもってあたしの中学の後輩なんだ」

「そーいやいつか後輩に少女漫画家がいるって言ってたなおまえ……」

「由美さん先に言わないでくださいよー……あ、あったあった、はい、私こういう者です」

「どうも……お手やわらかにお願いします。今名刺ないんで」

「そのうちわかるでしょ。そーいえば崎谷さんも前〈ROKETS〉にいたって言ってたなあ」

「何、今崎谷が担当なの?」

 由美と三村は驚いた顔をした。

「あたしまりあじゃずっと崎谷さんですよ……やっぱり知ってたんだ」

「あたりまえでしょ。“ジラフ”のツアー取材の時に仙台で3人で雑魚寝した仲だよ」

「どーゆーツアーだったんですかそれ……あ、ちょうどいいから渡しちゃお。決まったんですよ」

 言いながらりんだは再びバッグをかきまわし、白い封筒を出した。

「何これ……!」

 3人で封筒を囲む格好になり。

「……」

 封筒を裏返して書いてあった文字に絶句してから、

「あ、俺楽屋行ってきていい?」

 三村は恐怖を浮かべた面持ちで歩き始めた。

「りんだ?」

 やられたぜ、という気持ちになりながら、由美は封筒をぐしゃっと握って後輩を見た。

「随分急な話じゃないの?」

「先輩紙にシワできちゃう!」

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