第1章 First access 第3話

 4月6日。

 午前11時に起きてみると誰もいない。

「始業式今日だっけ」

 呟くと毬子は、リビングを横切ってドアを開け、ポストを開けた。

 中には、携帯電話の請求書と、真っ白い封筒がひとつずつ。

 その封筒には、金箔で「寿」の文字。

 封筒の裏には、中谷家・佐藤家云々とある。

「やられたぜ……」

 少女漫画家をナメちゃいけねえなー。

 ドアを閉めて封筒を開け、中を見ると、6月25日に浅草の式場、と書いてあった。

「随分急だなあ……」

 毬子は顎に手をあてて考えた。

「あいつ子供出来たのかしらん」


 その頃。

 墨田区立××第6中学校。3年B組の教室の中である。

 髪を三つ編みにした明日香と、みゆきが白いブラウスに紺のブレザーとプリーツスカートの制服で、ひとつの机を挟んで向かい合っている。胸に細めの赤いリボン。スカート丈が大違いで、みゆきは膝上20センチ、明日香は膝下20センチ。

 明日香は机に突っ伏している。

「ああ、しんど」

「やな予感当たっちゃったね」

「あんたが縁起でもないこと言うからや。責任とんなさい」

「と言われてもねえ……具体的にどうすりゃいいのか……1年は長いよ?」

 みゆきは明日香に目線を合わせようと首をかしげた。

「3年続けて4人一緒で良かったって思おう、ね?」

 窓際では、祐介と一哉が男の子達と雑誌を広げていた。


 同時刻。

「業平橋第2コーポ」206号室には、「八木」という名前が出ていた。

 今、そのポストに若い者がピザ屋のチラシを入れたところ。


 時は飛んで5月中旬。

「何、ウエストでスカート折ったの?」

 朝、大荷物を持った明日香が祐介を迎えにやってきた、七瀬家の玄関。

 いつもより制服のスカート丈を短くしている。

「外野うるさいからさー、ちょっと折りゃ校則と折り合うっしょ? でもこれ、慣れないとけっこう難しいのね、こないだの日曜日にお姉ちゃんに教えてもらったんだけど、うまくできなくてボロクソ言われてさ」

 明日香の方が勉強ができることへのやっかみだろうか、と、考えなくもない毬子であるが、黙って明日香の言い分を聞く。 

「俺はやっと安心してコイツと歩けるわ」

 玄関に出てきた祐介が言った。

「失礼だなー祐介。なんでそんなこと言うの?」

「こいつと歩っとると皆振り返るけえ、なんか辛い」

「そりゃああたしが可愛いからよ」

「おまえなあ……」

「あんた達何時集合なの?」

 慌てて借り物の腕時計を見た2人は、

「ヤバッ……行ってきまーす」

「八つ橋あればええんよな?」

 お土産の話をするのは祐介。

「あんたにまかせる。いってらっしゃい」

 エレベーターに向かう2人に、毬子は手を振った。


 中学生共は修学旅行で京都へ行った。

 修学旅行に行っている間は彼氏を家に呼んで過ごそうと休みをとってあったのだが、肝心の男がいなくなってしまったので、仕方なく今日も藤花亭である。

 ただし、今日はりんだと由美も一緒だ。

 失恋アンド結婚祝いの飲み会で、主にりんだの都合で今日まで延びたのである。

 有線が〈てんとう虫のサンバ〉をかけている。

「あんたも本当に急なこと言ってきたもんよね。ぶた玉ちょうだい」

「ギリギリで招待状寄越してくるんじゃないよ、あたしイカ玉ね」

「でもホンマにおめでとう。はい、これはウチからのお祝い。奢りやよ」

 言いながら絢子が、カウンター越しに利奈のグラスにビールを注いだ。

「先輩達差し置いてスミマセン」

 りんだは照れながら頭を下げた。

「そうだよぉ。特にあたしがね」

 由美は、弱くない筈だが顔を赤くしてふくれた。

「ちょっと、由美だけじゃないでしょ」

「毬子は祐介がいるから」

「それって、旦那はいらないけど子供は欲しいってあれ?」

 毬子がボリュームを上げた。

「そんな甘いもんと違うぞ。あんたらが今更そんなこと言うとは思わんかったな」

 隆宏が口を挟む。

「でもねえ」

「ちょっと違いますよね。あとバツイチの人も。友達でもいるけどさ」

「あたしだって30になる時イヤだったよ」

 ったく、という顔で毬子はビールを煽り、

「産んだはいいけど可愛いばっかりじゃないしさ。小さい時はちょっと目ェ離すと具合悪くなるし、あたしに似たのかアタマは悪いし、大きくなったら問題起こしたっちゃ呼び出されるし。あたしがあいつの件で今まで2回警察呼ばれてるの忘れたの?

 由美だったら絶対ツアーの追っかけ取材はできないね」

「せやな」

「そこまで悪し様に言うことないでしょ」

「うちみたいに双親揃っちょったって、香苗はどんどん派手になりよるし、明日香は勉強はようできるけど先生と折り合い悪うて揉めよるし、子供おったら大変やぞ、わかっちょるかりんだちゃん……。

 まさかもうおるとか……」

「いや、できてません、できてません」

 利奈は顔の前で手を振る。

「ホンマか? 招待状発送いやに急やったちゅうやんか」

 隆宏も絡み酒の様相になってきた。手元にあるコップには水しか入っていないのだが。

「違いますって。たまたま式場開いたから入ったんですよ。狙ってキャンセル待ちして……殆ど賭けでしたね。先に6・7月仕事開けちゃったから」

「はいはい。あ、大将、ネギ焼き天かす入り追加」

 由美が言った。

「しっかしりんだちゃんに会うの久しぶりやねぇ思ったら結婚決めとったかぁ」

「本当にねえ、いつの間に」

 藤井夫妻は厨房で仕事をしながらしんみり。

 有線がウルフルズの〈バンザイ〉になった。

「よく暇があったこと」

「三津屋デパートの日本橋でスーツ見てたの。そしたらそこにいたんだ」

「アパレル勤務か」

 由美が自分のコップにビールを注ぎ足しながら言った。

「そう♪ “マリー・マーメイド”」

「また着る人を選ぶブランドに……」

 出てきたブランドの名前は、りんだお気に入りの、細身でないと着にくいタイプの洋服のブランドである。デザイナーはパリコレ出品経験豊富なベテラン。

 りんだは先輩2人に比べると貧弱に見える体型なのだ。身長も2人より頭半分低い。

「シナロケの鮎川誠みたいな感じかな。もう少しあったかいけど」

「誰も聞いとらんっつーの」

 由美は呆れ通しである。

「明日また会うんだ♪」

「一生のろけてろ」

 毬子はそう言うとコップの中のビールを一気にあおった。

「あ、もう試合始まっちょる。TVつけよ」

 隆宏が言って、TVが広島東洋カープの試合の中継を始めた。

「スカパー入れたんだ」

 りんだは目聡い。

「そ」

 絢子が言ったその時。

 どう聞いても携帯電話の着メロという音質で、〈ルパン3世のテーマ〉のメロディが流れてきた。

 少し聞いて、

「あ、これあたしだ」

 と毬子。

「え、あんたこれ使ってんの?」

「いつの間に変えたの?」

 由美と絢子が口々に言う中、毬子は携帯電話を持って入り口へ。

「はい大変お待たせしました」

『姉ちゃん? ゴブサタ』

「信宏? どうしたのよ。あんたニカバーやめるとか言ってたから皆で心配してたのに連絡よこさないで……」

「なに、信宏くん?」

 厨房から隆宏が口を挟んだ。

『今藤花亭なの?』

 隆宏の声を耳聡く聞きつけて、信宏は電話の向こうが何処であるかを読み取った。

「そ。りんだが結婚決まったから飲んでんの」

『2人揃って後輩に先越されてどーすんの』

「今すぐおいで。そんで由美に殺されな」

『怖えー。ところでさ、俺店出すことになったんだ』

「つーことはニカバーやめたのね」

『そ。で、退職金使って、原宿に』

「んな土地代高そうなとこで大丈夫なの? 違うとこでやったら」

『ま、ね。それで相談なんだけど……』

「金ならないよ」

 この素早さこそけんもほろろという。

『じゃなくて。看板描いてくんない?』

「は?」

『300センチ✖️1000センチくらいで、ジョーダンでもロッドマンでも桜木花道でもなんでもいいや』

「また肖像権うるさそうなもんばっかり……いったい何売る店なの」

 大体桜木花道は〈スラムダンク〉の主人公だから使えないじゃないか。NBAはNBAでうるさいって噂だし。

『スポーツウェアとかグッズとか。いつか年に1回くらいの割で3ON3大会やりたいなあ……』

「もう古くないか?」

『姉ちゃんまた漫画描けば? 店でも立場弱ぇんだろ。主人公バスケプレーヤーにして、そいつうちの看板にすりゃあいい』

「なんか最近そういうことよく言われるような……」

 人の話を聞かんかい、と続けたいが、

『まあいいや。とにかくその件で打ち合わせしたいから近いうちに会おうぜ……っつっても……俺来週の日曜の夕方がいいんだけど』

「28日? いいよ。どこにする」

『久びーにお好み焼き食いてーから藤花亭にしようよ』

「わかった」

『ああ……皆元気?』

「元気だよ」

『ふうん、じゃあな』

「あ、こら、あんた今の住所……」

 ツー、ツー、ツー。

「切りやがった……」

 がっくりと肩を落とす毬子に、

「元気そうなら良かったやないの」

「何言われたの」

 皆が水を向ける。

「もうすぐ原宿に出す自分の店の看板描いて、だって」

「ホンマにニカバーやめたんか」

「絵の依頼か。良かったじゃん」

「そうだよね、先輩描けるんだよね……。人手足りない時は手伝いお願いしますね」

「あんたマニアに人気あるからなあ、あたしごときを使ってファン減ったら悪いよ」

 また漫画描いたらと言われた、とは言わないが。

『2番。セカンド、東出……』

 TVからは、野球中継のアナウンス。

 少し立ち直る。そこへ絢子が、

「りんだちゃん、プロから見た毬ちゃんの絵ってどうなの?」

「あたしじゃあプロというより先輩として見ちゃうからなあ……」

「まだまだじゃなあ」

「逃げじゃないの?」

 由美も隆宏も、それぞれに甘いと思った。

「でも描いてみたら」

「そうだね……」

「先輩の絵の成功を祈って、かんぱーい!」

 りんだがはしゃいだ。


 同じ頃。

「業平橋第2コーポ」206号室。

 無人だから真っ暗。

 RRRRR。

 電話が鳴っているのが外まで聞こえてくる。

 鳴っている。

 ピーッ。

「八木です。ただいま留守にしております。ピーッという発信音が鳴りましたら、お名前とご用件をお願いします」

 ピーッ。

『明拓。お母ちゃんじゃけど。休みとれたかい。6月25日じゃけえ、すぐよ。休みとれたかどうかくらい連絡しんしゃい。夏美の結婚式じゃ、絶対来るんよ』

 ピーッ。

 

 2時間後。同じ住所。

 やはり無人。だから真っ暗。

 RRRRR。

 電話が鳴っているのが外まで聞こえてくる。

 鳴っている。

 ピーッ。

「八木です。ただいま留守にしております。ピーッという発信音が鳴りましたら、お名前とご用件をお願いします」

 ピーッ。

『八木ちゃん、文佳です。家にいるんで電話ください』

 ピーッ。


 翌日。

「じゃあ7時半にね。頑張ってねえ」

 三津屋百貨店日本橋店でりんだは、満面の笑顔で手を振ってから踵を返すと歩き出した。鮎川誠に似ているという彼氏・中谷氏は、今苦笑いをしている眼鏡をかけた長身細身の男性。

 上行ってお風呂用品見てこよう、と思って歩いたはいいが、着いた場所にあったエスカレーターは下り用だった。

 ちっ。

 体を斜めにして前方を見るが、このフロアのエスカレーターは対になっていないらしい。

 そこへ、目の前にネクタイを締めて名札をつけた店員とおぼしき青年が下りてきた。「REST TIME」というのと、「八木」と書いてあるのと、名札を2つつけてる。美青年だ。薄味な顔立ち。足は短いけど。

 周りに他の店員がいないので、

「すみません。上りエスカレーターはどちらですか?」

 聞かれた青年は、エレベーターガール風に片手を伸ばし、

「ここをまっすぐ行って右に曲がった壁際です。よろしいですか」

 と言った。

「有難うございました」

「いえいえ。では」

 そのまま下りエスカレーターに乗って行ってしまった。

 いい男だったなあ。

 ついつい丁寧にしちゃったぜ。

 さ、買い物買い物。

 りんだは教えられた通りに歩いて上りエスカレーターを見つけ、それに乗って上がって行った。

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