第13章 Unsales Talk 第4話
その崎谷とほぼ入れ替わりにドアが開いて、新しい客に絢子が声をかける。
「あ、八木さんいらっしゃい」
なんかほっとするような。
八木も笑顔で、カウンターの毬子の隣に座る。
「こないだはどうも」
と軽く頭を下げた。毬子も頭を下げ返す。
「八木ちゃんはこないだカラオケ一緒だったでしょ」
「うん……」
律子がうなずいたところで。
「毬ちゃん。パソコン。八木さんにも聞いてみたら?」
と隆宏が言いだす。
「え、えー、悪いですよ……」
「パソコンがどうかしたんですか?」
と、八木。
「弟に依頼されたでっかい絵を描くんだけど、ノートパソコンじゃ重いから買い替えて。ビックパソコン館の店員にデスクトップパソコン勧められて買ったんだけど、ひとりで繋げれなくってね」
「毬子さん絵―描くんだ」
「うん、中高時代取った杵柄で」
「だからあの漫画の量なんね」
「はは……引っ越しごとに手放すのも多いよ」
ここで、
「あたしたちはもっと引っ越し多かったから、あまり買ってもらえなかったですよ」
と発言したのは律子である、
毬子は真顔で隣の律子を見た。
藤井夫妻も、鳩が豆鉄砲食らったような、と形容できる顔をしている。
「え、どういうこと?」
八木は戸惑った。
普通の受け答えでしかなかったから。
「ところでさ」
「なに?」
「八木ちゃん、パソコンは?」
「わかった、繋いでやるよ」
「ありがとうー。ノートパソコン律子にあげるから」
これでネットをはじめて人見知りを直してもらおうという腹である。
「じゃああたしたちはこれで」
「毬ちゃんたち1950円ね」
言われて毬子は2000円を出し、おつりを受け取って出て行った。
「上出来」
と毬子は言った。
厳密には初対面でないひと達だけど。
「この意気で行こう」
自分もひとりで歩けるかもしれない。
律子はそう思った。
もっとひとと関わって、自分の足で歩こう。
ひとにベビーカーを押してもらうのでなくて。
自立とは依存先を増やすこと、という説があることまでは、まだこの姉妹は知らない。
姉妹が去った藤花亭では、
「さっきのあれなんだったんです?」
と八木が藤井夫妻に質問する。
「律っちゃんはね、人見知りが激しくて初対面の人の前で固まるタイプなんよ。人と打ち解けるのに物凄く時間がかかる。旦那さんと毬ちゃんくらいにしか気を許してねえんじゃねえか、てくらい」
「まあでも八木さんに会うのは3度目だっけ? 打ち解けてきたんかな」
離婚するとしたらなおさらひとり立ち……初対面の人苦手などと言ってはいられない、うまく運ぶ第一歩になったかな、と夫婦で思っていた。
「あ、思い出した、毬子さんのパソコン見てやるって言ったのに日にち決めてない」
「電話してあげるよ」
と言って、絢子が携帯電話を出し、履歴から毬子を呼び出して鳴らした。スカルというバンドのライヴの待ち合わせ用に連絡先を聴いたことはあったのだが、絢子の誤解したままの親切に甘える。
「毬ちゃん、八木さんがパソコン見に行く日を決めるの忘れたからって……はい」
絢子は八木に携帯電話を渡す。この頃はみんなまだ、いわゆる「ガラケー」だ。
「もしもし、電話代わりました、八木です」
『ごめんね、親切受け取って、受ける日取り決めなきゃね』
「次の月曜日休みだけど」
『お昼ごはんつくるから、食べたらお願いします』
「じゃあ12時に七瀬さん家行けばいいんね」
『はい、ありがとー。あ、絢子さんに変わって』
「女将さん……?」
新しい客が来たところで、絢子はお冷やを出してあげていたところだった。カウンターのこちら側でいわゆる「ガラケー」を受け取る。
「はいはい」
『絢子さん、八木ちゃんもありがとうー』
と言って、電話は切れた。
一瞬、隆宏が、粉をボウルにあけながらまじまじと八木を見た。
自宅にて。
律子が掃除機をかけている間に、毬子の携帯電話に由美からのメールが入った。
「エータローの凱旋ライヴもう来週だよ。待ち合わせ時間決めよう!」
だった。
その前に信宏にメールをし、決まった時間を由美に送り、了解を得た。翌週土曜日午後5時半に六本木駅集合。
ライヴの開始時刻は午後7時である。
翌週月曜日12時。直前までかかった自室の整理が終わった。
ピンポーン。
「いらっしゃーい」
「お邪魔しまーす」
何気に俺この家に来るのもう3回目違うか? などと考えながら八木は、玄関でバスケットシューズを脱ぐ。
「ご飯できてるからまず食べてねー」
と言われて完全に毒気が抜けた八木であった。
青い来客用茶碗で、いただきまーす。
食事のあと1本ラッキーストライクを吸って(携帯用灰皿は持ち歩いている八木である)、午後1時から本題に入り始めた。
「電源何処にさせばいいの?」
「あ、ここ」
「モニターの分も指すとこ要るから電源タップひとつ増やして」
「え、何それ?」
「これじゃこれ!」
たこ足配線のタップを指差す八木である。
「はあい、ちょっと待ってね」
「モニターは机の上でいいの?」
「うん」
「ノートパソコンはどうする?」
「律子に居間に持ってかせよう、りつこー」
言われた律子が出てきて、タップから電源を抜いたノートパソコンを持っていく。
繋ぐのは30分ほどで終わった。八木は、自分もそこまでパソコンに詳しい方ではないけど、この姉妹はもっと勉強した方がいいんじゃねえかなどと思いつつ、口には出さない。代わりに漫画の話をする。
「あ、そうだ、『BANANA FISH』面白いですよ、それ読み終わったら藤花亭に持ってきますから、今日また何か貸してもらえないかなあ」
「お礼代わりになんでも貸すよん。
ジャンル何か希望ある?」
「アクションものがええなあ」
と言われて、
「アクションね……『南京路に花吹雪』なんかどうかな。アッシュおもしろいならそっちも……あ、アクションでも漫画でもないけど『銀河英雄伝説』どう?」
「聞いたことあるなあ……おもしろい?」
「戦争中のビーム砲の描写が退屈な以外は満点だよ」
「じゃあ今出たタイトル両方お願いします」
「銀英伝はとりあえず1巻ね」
毬子はウキウキする自分を感じていた。
「いつまでに返すってのあります?」
「ないよ、予約入ってるのないし」
と会話を交わして八木はまた、本を持って七瀬家を辞去した。
「どうもありがとう!」
八木の背中に叫んだ。
翌日からりんだの仕事。10月分。
毬子が、朝からりんだの仕事に行った当日に、藤花亭では大事件が発生していた。
雨の夕方、客がスイッチを押して暖簾をくぐる。
「ごぶさたしてまーす」
と言って客は頭を下げ、あげると店内をキョロキョロ見渡した。
「いらっしゃ……え!?」
「えーっ!?」
藤井夫妻は入ってきた客に驚いて、ふたりとも大声をあげる。客商売失格かもしれない。
白石エータローだったのだ。少し低めの身長に長めの引っ詰めた髪は昔と変わらない。
「毬子引っ越したらしいんで、ここに来れば逢えるかと思って。ご無沙汰してます」
「あ、あんたなあ! 毬ちゃんが15年間どうやって……!」
隆宏は激高している。
「とりあえず毬ちゃんにメールしないと、由美ちゃんも祐ちゃんも」
絢子は精一杯出せるスピードを出して、ガラケーでメールをした。
「本当にすみませんでした」
「毬ちゃんに謝れよ」
「ハイ……」
「祐ちゃんがいるとは聞いてるの?」
「祐ちゃん……祐介ですね……」
俺の息子か……と思いながら革パン姿で立っている。雨だからちょうど良かったなとも思う。
「由美ちゃんは今日は来られんって。祐ちゃんはうちの3階にいるけど心の準備が出来てないって」
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