第14章 Return to Japan 第1話

「毬ちゃん? ああやっとつかまった」

『どうしたの? 絢子さん』

 りんだの仕事に来るとよくなんか起きるな、などと毬子は思いながら絢子に聞く。

「よく聞いて、今日の夕方うちの店に白石……? さんて人現れたんよ」

『白石……?』

「祐ちゃんのおとっつあんじゃ! 忘れたんかい」

 早く毬子と連絡取らなきゃと意気込んでいた女将・絢子は電話口で叫んだ。

 閉店後、夜更けの、藤井家のリビングである。

『え? なんで? なんで? どういうこと?』

「うちに来れば毬ちゃんに会えると思ったらしいんよ。成田から直接うちへ来たんじゃて、青砥で乗り換えたとか言ってたかな」

『まいったなあ……ライヴの日の朝まで出れないよ……』

 広島流お好み焼き屋「藤花亭」の女将・藤井絢子が七瀬毬子と連絡がついたのはその日の夜だった。毬子がいるのは、りんだのスタジオ兼旧宅の洗面所である。隣に洗濯機があるが今日これは使われていない。

 凱旋帰国してライヴをやる予定と聞いていた元恋人・白石エータローが帰国即藤花亭に現れたという話は、りんだのアシスタントの仕事に入っていた毬子を驚かせた。エータローは、毬子の息子・祐介の父親である。

「引っ越したと聞いたから今の家はわからないし、わかってても家に行ったらまずいと思ったし、じゃて」

『その程度の常識はあったのね』

「少しはまともなところもあるんやな、ともあたしは思ったけね。うちの大将がえらい怒ってたんよ。祐ちゃんと明日香は店と家の間で盗み見してて白石さんとは会ってない」

『祐介隠れてたの』

「そう」

 心は早く決まった。

『……凱旋ライヴに行くから今は会わなくていいや。心の準備が出来てないと人前で罵倒語ぶつけかねないし』

「それがええね。明日も来たら言っとく。毬ちゃんは泊まり込みの仕事で凱旋ライヴまであなたには会えませんて」

『ありがとうございます。よろしくお願いします。おやすみなさい』

「おやすみ。無理するんじゃないで」

 さ、もう1件電話じゃ。


 RRRRR

 由美の現在の着メロはアヴリル・ラヴィーンの「SK8ER BOi」だ。

「はい」

『もしもし、由美ちゃん? 夜分ごめん。よく聞いて。祐ちゃんの父親の白石エータロー……さん、今日の夕方うちの店に現れた』

「マジですか」

『大マジよ。成田から直接うちに来たんじゃて。引っ越したんなら家はわからんし、わかってても行くのは失礼じゃけえ、うちに行ったら会えそうだと思ったから来た、言うてたわ』

『そんな帰国即会いたいほど毬子に本気だったんなら、毬子が高校卒業するの待って連れてけばよかったん違うか。毬子はどうしたんです?』

 由美は、左足で右足の向う脛をひっかくという行儀の悪いことをしながらたたみかけた。

「りんだちゃんの仕事で凱旋ライヴ当日の朝まで空かないて。ほじゃからライヴで会うって」

『それか……』

 周囲の人間たちは、毬子の新しい仕事にまだ慣れていないようで。

 由美は自分の額を一発叩くと、

『あたし、とりあえず明日のどこかの時間に店に顔出しますよ。ライヴハウスの地図印刷したの、預かってもらえませんか? 当日会場行くまで毬子に会えないから』

 と言った。

 今日なら添付ファイルで送ってしまえるが、この時の由美は確実に届く方法を考えたのだ。

「わかった。由美ちゃんも仕事頑張りい」

『はい、おやすみなさい』

「おやすみ」

 絢子との電話を切った後由美は、足の爪を切った。まだ、これをするのに不便を感じないプロポーション。


 翌日、よく晴れた午後0時45分。再びエータローは藤花亭に現れた。

「毬ちゃんと連絡はついたけど、泊まり込みの仕事だから凱旋ライヴまであなたには会えませんて伝えて、と昨夜伝言を受けました。由美ちゃんはこれから、ライヴハウスの地図を預けるのも兼ねてうちに来るそうやて」

 と絢子が言うと、

「泊まり込みって……あいつ何やってんです?」

「少女漫画家のアシスタントじゃ」

 と言ったのは隆宏だ。

 客の入りは9割である。客の多くの注目を浴びている。

「……良かった……夢に近づけたんやな……」

 エータローは、そばにあるカウンターに左手をついて、身体を支えているようだ。

「毬ちゃんと由美ちゃんの後輩に少女漫画家になった子がいて、その子の手伝いを夏からやっとるんよ」 

 と隆宏が言ったその時、ガラッと藤花亭の扉が開いた。

「エータロー来ちょるっ!?」

 淡いグレーのパンツスーツ姿の由美は、中ヒールにもかかわらず走って来たのか、息が上がっている。

「由美ちゃん……」

「由美か? オレエータロー! ひっさしぶりやなあ」

 外国でついた癖か、ハグしようとするエータローの右腕を、由美はひっぱたいた。

「毬子に1人で育児させてどう思ってるのよ」

「そ、それは……」

「そうや、毬ちゃん、今年の初夏まで銀座の女をやっちょったんで。祐ちゃんが生まれる時に分娩室の廊下にいたのワシら一家じゃて、由美ちゃんも……いたな?」

 隆宏が会話に入った。たたみかけた。

「間に合ったのは春休みじゃったけえ」

 生まれたのは午後0時過ぎである。

 由美は広島風の言葉を使った。一応故郷の言葉なのだ。

「え……」

 自分が渡英した裏で、日本では恋人がそんなことになっていたとは夢にも思わなかったエータローである。

「焼けぼっくいに火を狙ったって無駄じゃけえね」

「凱旋ライヴ来てもらえるだけでありがたいと思いなさいよ」

「はい……」

「この辺でやめとくか。お好み食べてく? どうする?」

 昨日の夕方は混んでいて、エータローは食べて行かなかった。だから余計に商売っ気が出ている藤井夫妻である。

「豚玉ください……」

「あいよっ」

 カウンターの開いてる場所に座って力なく注文するエータローに、大将こと隆宏がイキの良い相槌を打った。

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