第12章 Family Report 第3話

「3年くらい前まで由美や三村さんと『ROKETS』にいたひとなのね。それがまりあに移動になって、仕事が忙しくなって、子供に手をかけてあげられなくなって奥さまとも揉めて、離婚したみたいなの。子供にあまりなつかれていないとも言ってたな」

「名前もう一度言って」

 と律子。

「崎谷……えーと……」

「ケンタロウ。覚えてないのかよ」

「みんな名字で呼ぶんだもん。あんたよくわかったわね」

「さっき電話で名乗られたんだよ。それ忘れるほど馬鹿じゃねえ」

「崎谷さんって、三村の話によく出てきたひとだわ。飲みに行くっていうとたいてい名前が出てきたもの……そういえば最近名前聞かないなと思ったら異動してたのね……ふーむ……」

「律っちゃんひとりで納得しないでよ。祐介。どう思う?」

「どうって?」

「いや、つきあっていいのかな。と」

「俺じゃわかんねえよ」

「子供に懐かれてないってのが引っ掛かるね」

 と律子が言った。

 2018〜21年なら「ワンオペ育児」の典型と言われているような事例だろう。

「あたしはなんだか賛成できないな。いやな予感がする」

「ダメに1票、と」

「俺は一緒に花やしき行ってみる」

「ありがと」

「今のアポの取り方もなんか引っかかるな……」

 律子は人づきあいド下手なのに、達人のような台詞を言い放った。


 次の日曜日は香苗の誕生祝いカラオケなので、律子に切り出してみる。

「次の日曜藤井家のカラオケだけど行く?」

「あー……アスカちゃんも香苗ちゃんも大きくなったでしょ」

「うん、香苗なんか今年就職したよ。今月19の誕生日でその祝いも兼ねてるカラオケ」

「えー。そうなんだ……行こうかな」

「初めて会う人が参加するかもしれないね」

「じゃあ行かない」

 即答だった。

「あんたここで少し自分の殻を破ることもしなさいよ」

「だって……初めての人怖い……」

「そんな世の中怖いひとばっかじゃないって。自分の殻を破るためにも参加しなさい。事前に藤花亭で会っておけばいいじゃない」

 というわけで、カラオケの前に、律子を藤花亭に連れて行くことにした。

 のだがその出かけに。

 RRRRR

「誰よ! 信宏か! チッ、出るか。ハイ」

『あー姉ちゃん、あの絵、下絵に入ってくれって』

「ちょっと後にしてくれる?」

『どしたの、出かけるの?』

「最近律子と一緒に住んでてさ、藤井家のカラオケに初めて参加するって言うから、今から藤花亭連れてって顔合わせするの」

『あ。それ俺も参加したい! いつ?』

 と言うので、日時を言った。香苗の誕生祝いだよと付け加えて。

『行ける! 久々だから行きたい』

 妙に熱望する弟を断り切れず、また、断る大した理由もないため、一緒に行くことを藤井夫妻に伝えとくと請け合って電話を切った。


 律子を連れて行くと、藤井夫妻は大歓迎してくれた。

「しばらくうちに住むことになったので。ここにもちょいちょい来ると思うけど、よろしく」

「八木さん、毬ちゃんの妹の三村律子ちゃん」

 と、その場にいた八木に、隆宏が紹介した。 

「はじめまして。よろしくお願いします。

 日曜カラオケなんでしょう? いらっしゃるんですか?」

「……はじめまして」

 律子は硬い。

「ちょっと対人恐怖気味な娘なのよ。最初は愛想悪いけど、慣れたら明るいから。

 八木ちゃん今回も参加するの? 

 あ、大将、信宏が参加したがってるんだけど」

「うん」

「バンドのヴォーカルだったから歌上手いよ、八木さんは」

「おお、信宏くんも久々だね、楽しみ。

 しかし律っちゃん、三村さんと何かあったの?」

 と隆宏に言われて、姉妹揃って固まった。

 ここで本当のことを言うわけにはいかない。

 夫妻は由美のことを小学生から知っている人物である。

 改めて考えると、近場で手を出すってロクなことじゃないなと思う毬子。

「まあ夫婦ならいろいろあるやね」

 と絢子が言って、夫婦揃って手は仕事に。


 その夜0時45分。藤井家2階のダイニングにて。

「風呂入ったよ」

「じゃあ入るね」

 夫婦の会話。

「律っちゃんだけどさ」

「何?」

「三村さん何かやらかしたんじゃないのかね」

「暴力とか?」

「浮気とか」

 夫婦は顔を見合わせた。

「浮気なら攻撃的に愚痴るとかするじゃろう」

「そういやそうやね」

「それをしないということは、たとえば、わしらの知っている……由美ちゃんが相手とか」

 これを扉の外で聴いている者がいた。

 明日香である。トイレに立ったのだ。

「それ当たってるよ」

 と夫婦の会話に果敢に入っていく次女明日香。

「大人の話に口を出すんじゃない、まったく……」

 と隆宏は言ったが、明日香は止まらなかった。

「あたし祐介と渋谷で見たもん。ふたりでホテル街にいるとこ。祐介から口止めされてるんだ」

「な……」

 夫婦は二の句が継げない。

 渋谷と言われて、絢子は、一哉とみゆきが、祐介と明日香を探し回った時のことを思い出した。

 長女香苗もだが、次女明日香は、根拠のない憶測などで他人を陥れる子供ではない。その点においては、育児は成功したと、夫婦で思っている。姉妹どちらも、けっこう、大人の言うことを聞かない面も見せるのだが。他人を陥れるための嘘はつかない子だという点は信頼できる。

「いやー、秘密って重いものだね、て、なんでそんなことに行きついたの?」

「律っちゃんが今毬ちゃん家に居るんよ」

「あー、祐介がそんなこと言ってたな。由美さんのこと知ってるとは言ってなかったけど」

 しばらく黙る3人。

「……さっさと寝なさい。まだ勉強するんか?」

「はあい」

 明日香は階段を上がっていった。


 絢子も風呂に入ってきて、髪をタオルドライしながら夫婦の寝室である。パジャマの、淡いピンクと白のギンガムチェックという色と柄が可愛い。隆宏は薄いグレーと白のストライプだ。

「どうする?」

「毬ちゃんに聞いてみるか? 律っちゃんじゃ生々し過ぎて話せんじゃろう、律っちゃんあの性格じゃし」

「三村さんて確か、由美ちゃんと、最近よく来るりんだちゃんの担当さんと、昔つるんでたって聞いたことなかったか? 昔は三村さんもうちによく来てたろう」

「ほじゃね。最近来ない思てたらどうしたんじゃろうね」

「明日毬ちゃん呼び出して聞いてみるか」

「うん」

「一人で呼べよ」

「うん」

 絢子が毬子に、話があるから明日の3時頃店に来てくれとメールを打った。

 中学生らしくない付き合いしてる彼氏を持つ中学生を娘に持つもんやないな、と思った隆宏だった。

 娘に対する執着は、世の父親平均に比べると薄いけど。

 隣に居る絢子が、隆宏の肩にこてんと頭をもたせかけた。

 夫は妻の頭をますます引き寄せる。


 書き忘れていたが、既に中学校の2学期は始まっている。午前7時55分、制服姿の明日香が七瀬家に現れた。

「なんねえ、珍しい」

 パジャマ姿で玄関に出た祐介が言った。

 普段一緒に登校するということは少ないのである。祐介が遅刻が多いので、付き合いきれなくなったのだ。 

「ひとに聞かれないで話したいことがあるの」

「わかった」

 誰もいない廊下を振り向くと、

「おふくろー! 律子さんでもいいや、パン1枚焼いといてー!」

 こう叫ぶと、制服に着替えた祐介は、5分後、髪に櫛を入れながら口にトーストを押しこもうとしつつ、再び明日香の前に現れた。制服の着崩し様が酷い。


「話ってなんねえ」

 通い慣れた通学路を歩く2人。祐介が切り出す。

「由美さんと三村さんの不倫、うちの親も気付いたよ」

「…………カンええなあ2人とも。なんでよ」

 反応するまでにいささか時間がかかった祐介である。

「律子さんが今あんたん家に居るって知ったって。それだけで」

「すげえ」

「想像力が違うんじゃない?」

「それ多分、うちのおふくろ負けとる」

 藤井夫妻、作家漫画家並みの想像力があるのかも。


 午後2時に、毬子が藤花亭に行ってみると、

「爺さん悪い、これから大事な話するんで」

「しょうがねえなあ。次来る時は頼むぜ」

 と言って、プレスリー爺さんが店を出ていくところに出くわした。

 昼休みのはずの時間も客の相手をしているあたり、しんどくないのかな? と思いながら毬子は店に入っていく。もちろんプレスリー爺さんに会釈は欠かさない。

「大将、なんかあった?」

「毬ちゃん、言いにくいんじゃが……」

「何?」

「由美ちゃんと三村さん、付きおぉとるん?」

「明日香が祐ちゃんと見たと言っとって」

 それか……あたしの方が話しやすいからだろうな……

 毬子は観念した。

「うん。由美も認めた。アスカと祐介が見たというのはびっくりしてたけど」

 大人は基本、中学生がホテル街を歩くと思っていないだろうが、むしろ自宅でエッチなことを出来ない学生の方が必要とする施設ではあるし。中学生にはまだ早い、とも言えるが。相手が見つかっていないことの多い年齢だし。


「あたしは……前のカラオケ大会で絢子さんが由美を呼びたがったじゃないですか、それでカラオケ出られるか聞こうと思ったけど、由美がなかなかつかまらないんで、朝家に電話かけたら三村さんが出て、びっくりして固まったら、祐介が渋谷で二人を見た、こんなこと言えないと思って黙ってた、て言いだして」

「うちも昨夜、夫婦で話しとってその意見が出たら、明日香が渋谷で見た言いよって。

 毬ちゃん三村さんを責めちょる風じゃないね。普通姉なら妹の肩持つじゃろう」

「だって律子、三村さんに求めてばっかりなんだもの、頼って、当てにして、甘えて。夫婦って、支え合って頼り合って、ってものじゃないんですか? そうじゃなければ頼られるばかりだった方が潰れるでしょ。三村さんは潰れる前に由美に逃げたんだ。だけどこれ全部、姉としては律子に言いにくいけど、姉だから、律子の依存心の強さも知っているというか、三村さんの重荷に思う気持ちもわかるというか。結婚したことないから夫婦については想像だけど。浮気する方が全面的に悪いのかもしれないけど。あたしの友達のことをもっと大切にして欲しいとも思うんですけど。

 由美に言わせれば最初から情熱はないらしいんですけどね」

 そもそも妹と親友両方が大事にされてないのだから、毬子は三村の方に怒りが沸くところではある。

「そうか……」

「情熱のない不倫なんてそんなのあるの?」

 絢子の疑問はここでは無視された。

「それで、祐介が夏休みの宿題でわからないところがあって、それがアスカにもみゆきちゃんにも一哉くんにもわからなかった問題らしくて、それで律子も大卒だから、ってんで呼んで来てもらったんです。で、三村さんが由美と浮気してるとわかって、ウチにそのまま居座ってるというか」

「なるほどなあ……」

「そういうことか……」

「大将も絢子さんも、三村さんより由美の方をよく知っているから、言いにくかったんです昨日」

「……あたしも隆宏さんに育て直された人間じゃけどね……」

 絢子の生い立ちは、2021年で言えば「毒親」案件のひどいものだろう。三村は律子を育て直すことはできなかったのかと絢子は思った。それが出来る夫というのもなかなかいないが。

 七瀬家3人姉弟、それなりに愛情を受けて育ってはきたけど、社交性にひどく差がある。律子は赤ちゃんの頃から人見知りで、ひどいと父親のことも嫌がってた時期があって、それに母親が手を焼いたとは毬子からも、当の母親からも聞いたことがある。

 3人はそれっきり黙った。

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