第7章 Fireworks 第2話

 7月第4土曜の午後1時頃、休みだった八木は、自宅アパートの近所の駐車場で拾った石ころを、指示を受けた通り、藤花亭のとある窓に投げて、あてる。

 間もなくガラッとドアが開いた。藤井さんのおうち部分のドア。

(実はこの建物は3階建てである。2階はバス・トイレ、DKで、3階は夫婦と姉妹の寝室なのだが。3階は明日香が生まれる直前に増築工事した)。

「はい、鍵」

「ありがとうございます」

「なくしたら弁償してもらうで」

「はーい」

「頑張って」

 と言って、八木はお店の表に回る。


 八木が入店してから25分後。

「らーぶみーぃ てんだー」

 と、プレスリー爺さんが濁りのない低音で朗々と歌いながら藤花亭に入ってくると(無駄に声だけは良いと定評のある歌声である)、藤井夫妻と毬子、八木が、デジカメに見入っている。

 ギャルメイクの香苗に(出勤時はナチュラルメイクにしている)、

「香苗相変わらずだね」

「カラオケやったの?」

 毬子が持つデジカメを覗き込む爺さん。

「爺さん久しぶりじゃない?」

「今夜は休みとったでよ」

 今夜は隅田川の花火大会なのである。

「あ、アジ純だ」

「戻っちゃったじゃん」

「お、これいいよね、曲なんだっけ?」

 姉妹が歌って踊る「アジアの純真」の写真になった。藤井姉妹のデュエットは「アジアの純真」でしか見られないので、爺さんでも姉妹ツーショットを見れば、なんか変なダンス踊ってるあれか、と見当がつく。ただし曲名は覚えていない。

「アジアの純真。爺さんいつになったら覚えるの?」

「これ昔あれだけヒットしたのに覚えてないんじゃけえ、爺さんたぶん一生覚えへん」

「あーあ」

「ところで爺さん、何にする?」

「イカ玉とビール」

「毎度ありっ」

 夫婦はカウンターの向こうで揃って笑顔になる。

 爺さんが左手中指にはめているごついシルバーの指輪が、天井の明かりに反射した。


 トイレ以外に、たびたび席を立つ毬子を見て、

「冷房苦手なんですか?」

 と八木は口にする。先日のカラオケで気になっていたのだ。頷く毬子。

 扉が開く度毎に、道行く浴衣姿の若い娘たちが見えるし、店内に入ってもくる。

「今日えらく浴衣の女の子見るけど、お祭りなんですか?」

「え、知らないの?」

「隅田川の花火ですよ。遡れば江戸時代からあるイベントでさあ」

 プレスリー爺さんが答えてくれて。八木はそういえばこないだアスカちゃんがそんなこと言ってたな、と思い出すも口には出さないで。

「じゃあ今夜混むんですか?」

「うちからは見えないからそうでもないよ。でもってうちの子はろくに観に行かないね、香苗もどうでもいいみたいだし」

「ここの3階開放すれば花火目当ての客来るだろうに」

「アスカは相変わらず雷苦手治らないの?」

「うん。こないだもプール行って雷鳴って、祐ちゃんに支えられてずいぶん遅く帰ってきたくらいじゃけえ。次の日駅まで自転車取りに行っとったな」

「あー、藤花亭で夕飯食べるからええとメールしてきた時か!」

 と言って毬子は両腕を上に伸ばした。

「本当に世話かけるね祐ちゃんには」

「いやいや、うちのが勉強見てもらってるから……って今夜何時頃帰るか聞いてもはっきりしたこと言わないのよ。どうかしたのかな」

「うちなんか祐ちゃんと外泊してくるってはっきり言いよったよ。あまりに堂々としてて何も言い返せんかった」

「えーっ。じゃあどっか行くのかな。お金あるとも思えないけど」

「小遣いあるのかねあの子も」

 と絢子が言ったところで毬子はトイレに立って、帰って来たかと思えばドアの外へ消えた。

 八木は慌てて外へ出る。

 有線が斎藤和義の「歌うたいのバラッド」になった。


「ちょっとこっち……」

 八木は、ドアからずれたところに毬子を誘う。

「どうしたの、八木ちゃん」

「実は俺……今夜、アスカちゃんと祐介くんに部屋貸してるんですよね……」

「えもがっ……んっ」

 驚きのあまり大声を出そうとした毬子の口を八木が塞いだ。

「大将と女将には言いにくいけど毬子サンにだけはと思って。なんかアスカちゃん、カップルらしいことしてないって悩んでたみたいで、相談受けてその流れで……」

「じゃあ、八木ちゃん。今夜行くとこないのね?」

「……ハイ」

 八木は非常に情けなさそうな顔になっていた。

「じゃあ今夜はうちにおいでよ」

「そんな……」

 と言ったところで、ガラッ。

「聞こえちょるよ」

 と扉の内側から絢子がボソリ。

 八木は一瞬、固まった。


 話が深刻そうになって来たので、プレスリー爺さんは、

「じゃ、また」

 と退散し、他のお客はもういなかったので、4人だけだった。

「あたしは17で祐介産んでるから大きなこと言えないんだよねえ……」

「だから毬子サンには大将たちより話しやすかった」

「コラ」

 八木は話題を少し変えた。

「でもそういうことって、親は、知ってるのはいいけど、つつかないで欲しいと思いません?」

「思った思った」

「逆に子供に知られたらどう? 毬ちゃん?」

「これからはわかるだろうから、ね……」

「親のソレを知るのっていやなもんだよ」

 絢子のひとことは、重みを感じる。

「あたしは母親が18の時の子供でね、父親はいまだにどこの誰だかわからんの。名前は出入りの坊さんがつけた。男出入りが激しゅうて、母親が男を家に入れてる時は外へ出されてて、よく隆宏さんと遊んでたものだよ」

 毬子は何度も聞いた話だが、そういうチャチャは入れずに話を聞く。

 中卒の18歳がつけるには難しい漢字の名前である。

 この話をする時は、絢子は夫を隆宏さん、と呼ぶ。

「男も子供に気遣いのない奴らばかりでね。高校にも行けなくて。そのうちあたしが18になるちょっと前にはやくざ者と付き合うようになって、そのやくざに言われるままあたしを風俗に売ろうとしたんよ」

 そんな馬鹿な、という顔を八木はする。そんな八木の顔を見て絢子は、

「ほんとなんじゃってば」

 とワンクッション入れた。

「やくざ者のところへ行くまでにちいと時間を稼いどいて、隆宏さんと彼の両親と口裏合わせて東京へ逃げてしもうたのよ。後のこと隆宏さんの両親に任せて。逃げられた演技をしてくれたみたい。じゃけえ誕生日は偽装駆け落ち記念日? あと3週間くらいじゃけど。8月17日」

 八木は二の句が出てこない。自分が育ったのと同じ広島の街でそんな話があったとは、という感想である。

「じゃけえ毬ちゃんには、男が出来ても家へ入れるなってけっこうきつう言うたよね」

「はい、そうです」

 毬子はお手上げとでもいう感じにこう言った。

「あ、やっぱり俺お邪魔しちゃ悪いですよ」

「毬ちゃんと八木さんがどうこう言うわけじゃないけど……今回はうちの娘が悪いんじゃけえ、うちにいてくれてもええけど、花火見たいならうちは勧めない。毬ちゃん家は6階だから見やすいん違う?」

「うちはまあまあかな、あとあたし、基本年下は好みじゃないんで」

「俺も年上はよっぽど……」

 だいたい今日は生理3日目だしね、と自分に言い聞かせる毬子。

「毬ちゃん家から花火見たら? 今年は店閉めてうちらもお邪魔するかねえ」

「あたしちょっと片づけに帰ります。終わったらここに電話します」

 と言ってそそくさと毬子は帰宅した。

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