第7章 Fireworks 第3話

 リビングは記憶よりきれいだった。ただ八木は、図書館並みに壁一面に並ぶ漫画と小説とCDにぎょっとするのではないか、とは思う。

 クロゼットのある部屋は、まだ少し片付き終わってなかったので、しっかり閉じる。寝室も祐介の部屋も閉じる。

 プラス水回り。

 夕ご飯はどうするか……藤井夫妻が来るから……鉄板モノより刺身とかの方がいいかな。八木ちゃんも年中藤花亭で顔を見るということは、栄養偏ってそうでそっちの方がいいだろう。あと酒。缶ビールと、ウィスキーと……。

 客を迎える準備に集中した。


 スーパーで刺身と豆腐、ほうれん草(おひたしをつくる)、など買ってきて、盛り付ける。酒類も買う。自転車のペダルが重く感じた。

 できたのは午後6時だった。

 藤井さん家に電話を掛ける。

 なかなか出ない。10回を数えようとする頃、やっと絢子が出た。

『はい、藤花亭です』

「もしもしあたし、準備できましたよー」

『お客さん来ちゃったから行けんのよ、八木さん迎えに来てもらえる?』

 うわあ。


 クラスの女子たちで集まって花火を見る話があったそうで、みゆきはそっちに参加した。明日香はカミナリ恐怖からくる花火の重い音に対する苦手意識におんぶして、クラスの集まりを断って祐介と一緒にいた。

 実は昼間はずっと、明日香の部屋で勉強をしていたのである。

 夕ご飯は、通りの向こうの中華料理屋で焼きそばや唐揚げを食べて。

 今夜はずっと一緒よ、と言われているので、中華料理屋を出てから、

「これからどこへ行くんだよ」

「ついてきてくれればいいから」

 と笑顔を貼り付ける明日香。


 やがて、アパートが見えて、八木の部屋の前で「八木」の名前表示を見た瞬間、

「どういうことだよ!」

 と祐介は大声をあげた。

 鍵を開けた明日香は、

「すぐ中に入る!」

 と祐介を中へ引っ張り込む。


 男のひとり暮らし部屋にしては綺麗にしてある、というか、昨夜仕事から帰宅してから掃除したのかもしれない、ということで、申し訳なさが一瞬、明日香を襲った。が暑さが勝って、まずエアコンをつける。祐介は部屋を見まわしながら、

「信じらんねえ……」

「と言っても部屋借りちゃったよ」

「何か弱み握ったとか?」

「その手のことはしてないよ。あっ、ねえ、カラオケの時いろいろ写真撮ってくれたんだって? 見せて?」

 部屋の中央の低いテーブルに携帯電話を出す祐介。

「何で今まで見たいって言わんかったんよ」

「八木さんから聞くまであんたが撮った写真があるなんて知らんかったもん。それに、ふたりきりの時にふたりで見たかったから」

 う……殺し文句だ……と感じながらベッドに座って携帯電話を操作する祐介。

 ふと枕元の方を見ると。

 封を切ってない避妊具がひと箱置いてあった。

 明日香に携帯電話を渡してから箱をチラッと見る。1ダース入りだった。


「あらー」

 毬子は藤花亭の扉を再度あけた途端、こう声をあげた。とても混んでいる。浴衣姿が4割くらいか。

「じゃあ行きましょうか」

 と八木は立ち上がる。

「ごめんね毬ちゃん」

「いいえ、商売繁盛良きかな良きかな。そいじゃ」

 と言って、ポロシャツのポケットに眼鏡を入れてる八木を連れて歩き出す。

 歩き出してすぐ、

「こっちの方は初めて来るなあ」

 と八木は言う。キョロキョロしながら。

「特に何もないからね、マンションくらい」

「あ、文房具屋がある」

 文房具屋か本屋としか思えない、緑のカバーのような看板の店舗らしき建物の前を通り過ぎた。

「潰れたとこだよ」

「……」

 地元民の容赦のないひとことに八木が絶句したその時、ドーン、と音がした。

「急ごう」

 八木と毬子は歩くのを速めた。


「あ、これアジ純だ。なんかクネクネしてる」

 八木の部屋に祐介と明日香がふたりで居る、といういささか異常な状況下で、祐介の携帯電話のアルバムを見ながら。

「いつものことだろ」

「アジ純もうやめようかな」

 と言った瞬間、ドーン、という音がした。

「きゃ……」

 と言って明日香は祐介に抱きついた。

「雷じゃないだろ。わざとか」

「わざとじゃないよう」

 言うと明日香はなおさらきつく抱きついた。

 ぎゅっ……と明日香に応えるように、明日香を抱きしめる祐介。

「もっとカップルらしいこと、したかったの」

 くっついて本音を言う明日香。

「どうしたらええかわからんかったん。明日香が特別と言えばそうなんだけど、恋とかエロとかなのかわからんかったし。

 でもこないだプール行って分かった。

 好きや」

 明日香はさらに力を入れて祐介を抱きしめた。


「お邪魔しまーす」

 いいとこ住んでるな、と建物に入った瞬間に思った八木は、部屋に入ってリビングに着いた途端、壁一面の漫画・小説・CDに若干たじろいだ。

 ふと。

「あ、これ懐かしい」

 と言いながら八木が手に取ったのは「キャプテン翼」である。

「好きに何か読んで待ってて」

 と言った瞬間、また、ドーン!


「キャプテン翼」って言えばさ、松山が美子ちゃん追っかけて成田までタクシーぶっ飛ばした話は、たいていの同世代が覚えてるんだよね。

 と少しは性別を選ばない話題を選ぶとそこから話が膨らんだ。続いて「きまぐれオレンジ・ロード」の、ヒロインが、赤いビキニ姿の表紙を手に取る八木。

「それは今読み返すと主人公はすごいムカつくんだけどねー」

 ときまオレについてもコメントする毬子。


「どうぞー」

 と言われてテ―ブルに来たら、刺身が盛り付けてあった。

「お、刺身! 久々ー」

「年中藤花亭で顔見るんだもん、肉より魚の方がいいかなと思って」

 気が利くところもあるんだな、という感想を持ったが、八木は口に出さない。

 お客さま用の青い茶碗にご飯をよそって、みそ汁と冷ややっこと、八宝菜。ゆで卵のついたサラダ。ほうれん草のおひたし。

 塩分はしっかり入れた。若いから多少は平気だろう。


 夕食の最中。毬子はこんな質問。

「八木ちゃん姪や甥はいるの」

 八木はビールをひと口飲んでから、

「姉が最近結婚したばっかりなんで。いませんよ」

「きょうだいはお姉さんだけ?」

「俺の下に弟がいて、3人です。今年4年生だったかな。毬子サンはきょうだいは?」

「妹と弟がいる。ちょっと年が離れてるんだ。妹は結婚はしてるけど子どもはいないから姪や甥はあたしもいない。妹はちょっと心配なんだよねー。弟も最近会社辞めて独立準備してるところだし。あ、弟81年生まれなんだけど、八木ちゃん近い?」

「俺も81年生まれですよ」

 と会話は続く。さすがに妹の夫と自分の親友が不倫しているとは言えない。4年生とは大学という意味だろう。

 他に八木からの質問は、

「あれだけの漫画全部読んだんですか?」

「うん。子供の頃買ったのも捨ててないからね」

 名作から最新ベストセラー、珠玉の佳作までさまざま置いてある本棚である。

 ふと、ドンドンと音がした。

「電気消す?」

 とイタズラっぽい笑顔で言って、リビングの電気を消す。

 ここは角部屋で、ちょうど花火の見える部屋なのだ。

 電気を消した次の瞬間、赤い色の花火が夜空に躍った。

「うわ……」

「綺麗でしょ?」

 窓辺にいる八木は、初めて間近で見た花火の迫力に、声もない。

 毬子がキッチンからハイボールのセットを持ってきた。

「うおっ」

 つまずきかける。

 氷は落とさなかった。

「電気つけた方がいいんじゃ……」

「ベランダ出る?」

「うん」

 八木は反射的にうなずく。

「気をつけて」

 窓が開く。熱気を感じる。

 ベランダに出た2人。

 またドーン! と音がして、今度は緑→黄色に光り、ベランダにカフェにあるような小さなテーブルがあるのが見えた。

 八木はポロシャツの胸ポケットから眼鏡を出して、かけた。

 夜の闇の中、毬子の笑顔が記憶に残っている。


 ドンドンと大会がたけなわに近づきつつある頃。

 そのままぎゅっと抱き合う中学生男女がいた。

「このままそばにいて。離さないで」

 明日香がせつなげに囁く。

 言われなくても離れがたくなっていた。祐介は、明日香と抱き合うことで、今までにない快感を覚えていたのである。

 抱き合うことで生まれる、落ち着いた、温泉につかって浸っているような快感。履いて捨てるのと違う、落ち着く快感。

「あー落ち着く―」

 ……気持ちええー、と漏れ聞こえた。

 冷房の効いた部屋。

 祐介は、明日香の頬にくちづけてみる。

 そのまま、唇に。

 だんだん深くなっていく。

 左手で抱きしめたまま祐介は、明日香のTシャツに右手を突っ込み、素肌の背中に触れた。

 

 午後8時。

 空の華は今が盛りを迎えていた。

「まじまじとは初めて見たけど、きれいだねー」

 楽しそうな笑顔の毬子の横顔を、ゆったりした気持ちで見つめる八木。


「そういえばさー、こないだSNSでバトン回したらさ、目玉焼きの味付けに関する質問があってさー」

「うんうん」

「うちの弟が塩味しか認めないなんてほざいててさー、誰が作るんじゃい、って思ったんだけど言いそびれちゃった……」

「自分で作るんと違うの? 目玉焼きくらい」

「うち女手があるし、だいたい母さんが専業主婦だから弟が料理覚えなくってさー。祐介はそれなりにやるのに」

 花火の合間に取り留めのないおしゃべりが続く。

 八木は居心地の良さを感じ始めていた。


 花火が終わって少し経って、毬子が切り出した。

「本当に今日はごめんね」

「東京の中学生ってみんなこんなんかね」

「そそそ、そんなことないっ。ないって!」

「しかし中学生がイイコトしとるっちゅうのに、俺たちが何もないのは癪な気がしてきた」

 言われて毬子は、ドキドキしてきた。


 ふと毬子が横を見ると、真顔の八木がいた。

 暗闇に浮かぶ顔。

 気が付くと唇が触れあっていた。

 吸い込まれるように。

 触れるだけのくちづけ。

 お互いに頭を寄せ合って、ぼーっとする刹那。 

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