お迎えの車は、時間通りにあらわれた。

 乗り込むぎりぎりまで、銀じいちゃんはほとんど喋らなかった。庭先からそのまま車に向かう途中で、桃子に夏休み中の見舞いを約束させたくらいだった。

 そして、ようやく気持ちが固まったのだろう。

 いったん振り返った銀じいちゃんは、桃彦をまっすぐに見つめた。


「気をつけて、行ってこい」


「うん。……帰ってきたら、たっぷり土産話を持っていくよ」

「あぁ、それまで頑張って生きておくよ」

 小さく笑って、銀じいちゃんは車に乗り込んだ。昌おじちゃんは、助手席の職員さんに何度も何度も頭を下げていた。お礼のはずなのに、お詫びにしか見えなかった。


 車がすっかり見えなくなってから、やっと昌おじちゃんが声を漏らした。

「伝統あるお祭りでも、たまにはうっかり事故も起きる……」

 どうやら桃彦に向けているらしい。

「桃が、必ず勝つようになってるらしいが……、まぁ、用心は必要だな」

 桃子もうっかり頷いていた。

 さっきの桃彦を見てしまっては、さすがに全く信じないともいかなくなった。どうやら本当に、守山家の一大事を迎えているのだろう。

 とはいえ、銀じいちゃんは病院だし、昌おじちゃんは頼りない。潤子おばちゃんは、そんな家族のために残業を増やしている。

 となると、ある程度は自分が、出発までのサポートをしてやるべきだろう。生まれながらのお隣りさんとして、それくらいなら許容範囲だ。

 決して、暇だからではない。


 さっそくの作戦会議には、昌おじちゃんも参加させた。

「三人の家来って……、えーと、何と何と何だっけ?」

 リビングに戻るなり、そう切り出した。

「三従者だね。恒河沙と、阿僧祇と、那由多」

「そうそう、ごうがしゃと、あそうぎと、なゆた。彼だか彼女だか知らないけど、どうやって集めたらいいの?」

 昌おじちゃんは話し下手だ。内容が内容だけに、なおさら顔をしかめている。

「そうだな……、桃彦、ちょっとやってみようか?」

「え? ぼくが、どうするって?」

「うん。……おれに、三従者の誰かひとりを入れてみようかと」


 ……んんッ!?


「いや、さっき、桃子がそんなこと言ってたの聞いてさ。なるほど、と思って」

「けど、言った後ですぐ引っ込めたじゃん。モラルの問題」

「そうかな? 案外、いいアイデアだと思ったけど……。それこそ、おれが自分で作った“桃林火山”を持ってさ。何なら、桃彦の盾になってもいい」

 いきなり想定外の、ややこしい展開だ。

 助けを求めて、桃彦を見る。何やら考え込んでいる顔つきだが、それでもすぐに頷いてくれた。

「……うん。父さんは、やっぱり那由多がいいと思う」

 この親にしてこの子あり。

 もう知らない。どうぞ勝手におやりなさい!

「じゃ、那由多だな。……やり方は簡単だ。おれのどこかに触れたまま、真っすぐにおれを見て、こう呟く。“よう戻ったな、那由多”」

「へー、それだけでいいの?」

「らしいな。あとは、実際にやってみないと分からん」

 何となく、いやな予感がしてきた。

 万が一にも、昌おじちゃんに那由多が入ったとしよう。次はおそらく、自分だ。恒河沙か阿僧祇を入れられる。もちろんさせるつもりはないが、眠っているときにやられたら終わりだ。潤子おばちゃんも含めて、三人で鬼退治のお供だろう。

「よし、じゃ、やる――あ、いちおう、母さんのオッケーもらってからがいいんじゃない?」

「大丈夫だ。母さんなら、おれと違って、ひとりでも立派にやっていけるから」

 そんな父親の左肩に、息子がそっと手を置いた。二人揃っての深呼吸。桃子も思わず息を呑んだ。


「……よう戻ったな、……那由多」

 

 


 

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