『鬼マシーン』も、ずいぶんと縮んでいた。

 もちろんそんなはずもなく、自分たちが成長しただけなのだろう。

 なのに寂しい。

 昔はあんなに大きかったのに。あんなに恐ろしかったのに。

「アンタも、見るの、久しぶり?」

 桃彦が頷いた。リビングから戻ってきたその手には、年期の入ったほうの木刀が握られている。

「……これ、“ぎんざん”、って読むの?」

 刀身の一部を見つめながら、銀じいちゃんに訊いている。

「まぁ、そう呼んでも構わんけどな……」

 とはいえ苦笑いだ。

「いちおう、“銀残”と書いて“ぎんのこし”と読む。そのつもりだったよ」

「“ぎんのこし”ね。オッケー、分かった」

 そんなにあからさまなヒントがあったとは。ともかく、やっぱり銀じいちゃんの作品だった。


「……とうりんかざん」


 背後から、昌おじちゃんの弱々しい声が届いた。

「……子供の頃、好きな漫画があってさ。“風林火山”っていう木刀を、主人公が持ってて……。だから、一文字だけ、風を桃に代えてみたんだ……」

「あ、もう一本の木刀ね。あっちは、父さんが作ってくれたんだね」

「まぁ、父ちゃんの真似しただけでさ……。出来には自信がない。あくまで予備だと思ってくれよ……」

「うん、ありがとう」

 よかった!

 一時はどうなるかと思ったが、うまく銀じいちゃんを立てることができた。


「――よし、桃彦。思いっきり、鬼に打ち込んでみろ!」


 銀じいちゃんの合図で、桃彦が鬼マシーンに向かい合った。

 平均的な身長の桃彦だが、それでもまだ鬼マシーンのほうが大きい。実際の鬼は素手だというのに、プラスチック製の金棒まで持っている。

 お互いに、中段の構えだ。

「あー、すごいッ! こんなの、初めてだよッ!」

 たしかに、こんなに声を張っている桃彦も珍しい。

 少なくとも、桃子はほとんど見たことがない。ふと、よからぬ妄想をしてしまって、慌てて打ち消した。今はただ、じいちゃん孝行に専念するべきだ。

「ねぇ、じいちゃん。そろそろ打ち込んでみても、いい?」

「あぁ、もちろん」

「でも、たぶん一瞬だよ、これ。ほんとに一瞬だと思うから、見逃さないでね」

 いくらなんでも、大げさすぎる。

「今から三秒、まばたき禁止ね。――じゃ、行くよッ!」


 え……ッ。


 三秒どころか、一秒もかからなかった。

 鬼マシーンのスネに打ち込んだ桃彦は、もう背後に回り込んでいる。

 どうやって間合いを詰めたのだろう。まばたきはしなかったはずだが、目が追い付かなかった。ぼんやりと細長い残像だけが焼き付いている。


「突きー、って入れたいところだけど。それは止めておくね、今は」


 その場に鬼マシーンだけを残して、桃彦がこっちに戻ってくる。

 桃子だけでなく、他の二人もまだ声を発していない。長くこの言い伝えを守ってきた守山家の面々にとっても、目の前で起きたことがまだ信じられないのだろう。

 何しろ、桃彦なのだ。

 運動に関しては、全くといっていいほどセンスを持ち合わせていない。鬼マシーンでの稽古にしても、冷やかしの桃子のほうがまだ上手にこなしていたくらいだ。

 それが、どうだろう。

 今さっきの身のこなしは、全日本のトップクラス――いや、それ以上かもしれない。もう一度見てみたい気もするが、何となく怖い気もする。


「ねえ、モコちゃん……、ちょっと、ぼくの腕、触ってみてよ」


 今さら呼び方なんてどうでもいい。あらためて中段の構えを作ってみせた桃彦の、近いほうの二の腕をつかんでみる。

 ……ん!?

 ガチムチの筋肉とは全然違う。

 が、それ以上にしなやかな筋肉を感じる。どう考えても、ふだんの桃彦が持ち合わせているものとは違う。そんなはずがない。

「こんなにやわらかくて、強い筋肉。ちょっとないよね」

「桃が入ってから、ずっと?」

「ううん、木刀をちゃんと構えてから。下ろしたら元に戻っちゃう。……あ、太ももとかも触ってみる?」

 一瞬ためらったが、せっかくなので触っておくことにした。

 ズボン越しでも、たしかにしなやかな筋肉が主張してくる。位置的にもきわどいので、軽く触っただけですぐに止めた。

 それにしても、だ。

 いったいどういう仕組みなのだろう。かなりの即効性のあるドーピングだ。桃の実にそんな成分が含まれているとも思えないし。


「じいちゃん、父さん……、ぼく、鬼退治に行ってくるよ!」


 銀じいちゃんも、昌おじちゃんも、まだ言葉が出てこない。

 驚きは桃子も同じだったが、これまでの年月の重みが違いすぎるのだろう。

 二人とも、子供の頃からずっと聞かされてきて、ずっと桃の木に尽くしてきたのだ。信じるしかなかったし、実際に九十九パーセントは信じてきたのだろう。


 それが今、目の前で百パーセントになりつつある。

 たしかに、簡単には言葉にならないのかもしれない。

 





 

 


 

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