鬼があらわれた?


 銀じいちゃんは思いっきり真顔で、そう話している。とはいえ、桃子にはすんなり信じられるはずもない。

 何しろ、鬼だ。

 警察もマスコミも、校長もサラミちゃんも、そんなこと言っていなかった。今のところ銀じいちゃんだけだ。

 もっとも、隣の桃彦がまんざらでもなさそうなのは気になるが。


「――お前たち、おじじこと覚えてるか?」

 銀じいちゃんが訊いてくる。

 ひいじいちゃんのことを、桃彦の家族がそう呼んでいるのは知っている。

「アタシは覚えてない。お父さんの撮ったビデオで見たことあるけど」

「ぼくもぜんぜん」

「まぁ、お前たちが二歳にもならんうちに逝っちまったからな……」

 寂しそうに笑ったかと思うと、もう真顔に戻っている。

「前回、鬼があらわれたのが、ちょうど八十年前。そして……」

 なぜか拝むように手を合わせてから、穏やかに続けた。

 

「そのときに鬼を退治したのが、おじじなんだよ」


「……ちょうど、ってどういうこと?」

 桃彦と同じことを、桃子も思っていた。

「あぁ。前々回が、さらにその八十年前だったらしい。まだ江戸時代だってさ。そのときはおじじのおじじ――吾作さんが退治したらしい」

「へぇ、なんか、誇らしくなってきたなー。じゃ、そんなふうに、大昔からずっと、守山家が鬼を退治してきたってこと?」

「おそらくな。吾作さんより昔のことは定かじゃないが……」

「家系図とか、それこそ巻物とか、それっぽいのは残ってないの?」

「ない。そもそも、そんな立派な家柄じゃないからな。ご先祖様のひとりが、たまたま桃の近くにいただけなんだろう」


「桃? ……って、この桃の木?」


 桃彦の声につられるように、三人揃って、目の前の桃の木を見上げた。

 枝ぶりにも元気がない、どちらかというと貧弱な桃の木だ。

「あぁ。この桃の木が、この世を鬼から守ってくれている。だから、守山家は代々、この桃の木を守ってきた」

「あ、ひょっとして……」

 桃彦が、全てを悟ったような真顔で続ける。

「おじじも、おじじのおじじも、あの桃の木から生まれたんだよね?」

 なるほど! 桃から生まれた何とやら!

 …………。

 生まれて初めてのレベルで、桃子は自分の運命を呪った。たまたまこんなバカのお隣りさんに生まれたばかりに、自分まで名前に桃を食らってしまったのだから。ほんの一口も食べられないどころか、触ることもできないのに。

「まあ、さすがに生まれちゃおらんが、それに近いことは言える」

 銀じいちゃんまで!

「何しろ、相手は鬼だ。退治するとはいっても、簡単なことじゃない」

 うっかり脳裏に浮かんだのは、分かりやすい赤鬼だ。トゲトゲつきの、ぶっとい金棒を振り回しているような。

「やっぱり、人間よりぜんぜん大きいの?」

「らしいぞ。吾作さんは八尺と言ってたらしい。一尺が三十センチだから、二メートル半ってとこだな」

「でけー。そりゃ、手足を引きちぎられるなー」

「でも、おじじはずっと信じてなかったそうだ。何しろ吾作さんは、村一番のホラ吹きで有名だったらしい」

 やっぱり、自分は生まれてくる場所を間違えた。少なくとも、守山家の隣には生まれてくるんじゃなかった。

「だが、実際に自分が対峙してみて……、その巨体に驚いた。向こうは前かがみの体勢だったのに、それでも顔を見上げたそうだ。おじじも昔の人間にしては大きいほうだったから……、やっぱり二メートル以上はあったんだろうな」

「すげー。赤鬼? 青鬼?」

「真夜中でよく分からなかったらしいが、全身を黒っぽい体毛で覆われていたそうだ。それこそ巨大な山猿かと思ったらしい」

 おやおや、思い描いていた鬼とはちょっと違いそうだ。

「けど、サルなら動きも素早いんじゃない? どうやって退治したの?」

「ん……、あぁ、鬼には急所があってな」

 銀じいちゃんはタブレットを触りはじめた。開いているフォルダは、前に桃子が作ってあげたものだ。守山家のアルバムから選抜された画像たちがおさまっている。

「まあ、桃彦はあんまり見たくないだろうが……」

 銀じいちゃんが選んだ一枚の画像に、桃彦が苦笑いを浮かべている。


『鬼マシーン』――。


 桃子たちはずっとそう呼んでいた。

 今思えば手作り感満載の、剣道の打ち込み台だ。守山家の庭先にずっと置いてあったが、そういえばもう何年も見かけていない。

「これを作ったのは、おじじでな。……もっとも、頭に角をつけたり、シマシマパンツを履かせたりしたのは俺だけどな」

 だからこそ、桃子たちは鬼と呼びはじめたのだ。節分の豆まきのとき以外にも、銀じいちゃんは桃彦の稽古にこれを使っていた。冷やかしの桃子はともかく、桃彦にとってはいよいよ鬼に見えていただろう。

「なるほどね。ってことは、あそことあそこが急所なんだね」

 やけに得意げな桃彦だが、桃子もとっくに分かっている。

 スネと、あそこだ。

 鬼マシーンでの稽古は奇妙で、面も胴も小手も打ち込まなかった。

 ほとんど抜き胴の要領で、ひたすらスネに打ち込む。そして、そのままマシーンの背後に回り込んでは、あそこに突きを入れていたのだ。

「あぁ。おじじも吾作さんも、そのコンボで鬼を一撃で仕留めた」

 コンボだし二撃じゃん、とも思ったが、あえて口にはしない。

「ってことは、こっちの武器は竹刀?」

「いや、特別な木刀だ。それ以外じゃ、鬼は斬れん」

「向こうの武器は? やっぱり金棒?」

「向こうは手ぶらだが、いかんせん怪力だ。掴まれたらおしまいさ」

「すげー。おじじも、おじじのおじじも、剣の達人だったんだね。ぼくとはぜんぜん違う」

 たしかに、桃彦にはまったくセンスがない。それは桃子もよく知っている。

「いや、そうでもないらしい。吾作さんはただの百姓だし、おじじも剣道を始めたのは戦後のことだからな」

 とっさに暗算しようとして、桃子はすぐに諦めた。

「ってことは、八十年前って、戦前?」

「あぁ。おまけに、鬼と闘ったときはちょうど十七歳――そう、吾作さんが鬼と闘ったのと同じ歳だ」

 ふと隣に目を向ける。桃彦の横顔が、なぜか微笑んでいる。


「……そっか。……じゃ、今回はぼくの番ってことだね」

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