「それじゃ、さっそく話に入ろう……」

 銀じいちゃんは静かに話し始めた。

「いや、別に、今さら自虐に走るわけじゃないが……、我が守山家は、何ともちっぽけな家柄だ」

 かなり微妙な入り口だ。ひとまずリアクションは控えておこう。

「家はこのとおりのあばら家だし、庭もこんなに狭い。この桃の木と、そのおまけの台木だけしかない」

 淡々と続けながら、銀じいちゃんは桃子の頭越しに宙を見上げた。

「隣りの枕木家とはえらい違いだ」

 たしかに桃子の家は三階建てで、この近所でも目立っている。

 地上の庭こそないが、屋上が全面テラスになっている。守山家の庭の、ざっと倍以上の広さはあるだろう。

「当主の昌彦が失業中なら、俺もこの通りだ。辛うじて潤子さんに食わしてもらってるどころか、何かと枕木家に援助してもらってる」

 噛みしめるように言いながら、膝上のタブレットを手にとった。

「このタブレットだって、洋一が買ってくれたものだ。経費も全部払ってくれてるし……。あいつは昔から、ああいう男だよ。洋一が隣に越してきてくれなかったら、昌彦はいじめられっ子のままだった……」

 銀じいちゃんはいったい、何を話そうとしているのだろう。少なくとも桃子には、居心地の悪さしかない。

「とまあ、そんな現実を真摯に受け止めながらも、だ。俺はあえて、孫に伝えよう。……なぁ、桃彦よ」

 銀じいちゃんが桃彦を見上げて言った。


「我が守山家には……、代々引き継がれてきた重大な使命があるのだ!」


 しばらくは沈黙だけが流れていた。

「……使命? 重大な? ……それって、社会的に?」

 桃彦の間抜けな疑問符が、ようやく静寂を破った。

「あぁ。社会的っていうか、地球的っていうか、宇宙的っていうか……、とにかく大きな役割を担っている」

「よく分かんないけど、何か、誇らしくなってきたよ」

「あぁ、俺もそう信じてる」

 さすがに呆れた。

 二人で盛り上がってくれるのは構わないが、そろそろもう付き合いきれない。ここまでの心配を返してほしいくらいだ。

「あのさー、銀じいちゃん。宇宙とか地球とかそういうのいいから、もっと具体的に話してよ」

 予定より冷たい口調になってしまった。

「すまんな、桃子。……もちろん、ふざけてるわけじゃない。あくまで真剣な話なんだが……」

「そう思いたいから言ってんの。……だから、どんな役割なの?」


「あぁ……。大げさに聞こえるかもしれんが……、この世の平和を守ってきたんだ」


 平和を?

 戦争がらみの何か?

 そんなこと言われても、にわかには信じられない。十七年ちょっとお隣りさんをつとめてきたが、どこにもそんな匂いはしなかった。

 もちろん、今も。


 それ以上の言葉を継がずに、銀じいちゃんはタブレットを触り始めている。

 そんな祖父を、桃彦は真顔で見つめている。ひょっとすると、さっき水を差してしまった自分に対して、静かに怒っているのかもしれない。

「たぶんお前たちも知ってると思うが……、七月に入ってから、この近辺でこういう事件が続いているだろう?」

 銀じいちゃんが差し出してきたタブレットの画面には、有名なニュースサイトが表示されていた。


 わざわざ見るまでもなく、やはりあの事件のニュースだった。


「もちろん、知ってるよ」

 桃彦に先を越された。

「今日の終業式でも、校長先生が話してた。事件が解決するまでは、夜間の外出は禁止だってさ」

 それこそ、サラミちゃんの大事な話もそれだったのだ。

「ああ、そうするべきだ」

 銀じいちゃんは深く頷きながら続ける。

「昨夜のこれでもう六件。被害者は八人か。全員が首や手足をちぎられていて、その一部は欠損。歯形みたいな跡も残っているらしい」

「おとといだったかな……、何かのテレビで、野生の動物のしわざじゃないか、って言ってたけど……」

「たしかに、決まって夜中の犯行だし、当初は山の中が多かったからな……。ところが、最近のはちょっと違う。昨夜のなんて街のど真ん中……、市民ホールの駐車場だからな」

「模倣犯じゃないか、って今朝のテレビで言ってたよ。野生動物を真似てるだけで、今回のは人間のしわざじゃないかって……」

「ちょっと待ってよ、二人とも……」

 たまらなくなって、口を挿んだ。

「平和を守るって話が、その連続殺人事件につながるっていうの? 武装してパトロールでもするつもり? 警察に任せとくしかないじゃん!」

 真面目かよ。

 我ながらそう思うが、早めに釘を刺しておこう。

「……あぁ。たしかに、桃子の言うとおりだろう。相手が人間の場合ならな」

「動物でも一緒じゃん! 猿とか熊とか猪とか、警察が間抜けに追いかけ回してるニュース、よく見るじゃん!」

「あぁ。たしかに、相手が動物の場合ならね」

 どうしちゃったのだろう。

 桃子のよく知っている銀じいちゃんとは思えない。といって、ふざけているようにも見えないから、いよいよ不安になってくる。

 が、どうやら桃彦は違うらしい。

「つまりはじいちゃん、こういうこと? 人間でも動物でもない何かが、この近くにあらわれたってこと?」

「あぁ、そうに違いない」

「まだよく分かんないけど……、それって、何なの?」

 答えようとした銀じいちゃんが、ごくりと息を呑む。

 細長く、ゆっくりとその息を吐きだしてしまってから、いったん宙を見上げて言った。


「あえてその呼びかたを使うなら…………、鬼だよ」

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