第381話 天国と地獄
ーー楓がマウンドで大きく振りかぶる。そして一瞬のタメから力強く未央の構えたキャッチャーミットへ投げ込んだ。
「ストライーク!!」
ーーバックスクリーンに表示された球速は108km。初球はやや高めのインコース。コースとしてはかなり甘い。だが決して失投では無い。未央が構えたコース通りに楓は投げた。そのコントロールに寸分の狂いも無い。未央はあえて甘めのインハイを要求したのだ。三条累は手を出して来ない事を予測して。
「へぇ…今のって失投じゃなくて未央ちゃんの配給だよね?」
「はい。三条先輩は絶対初球は見てくるって思ったので。」
「読まれてるみたいで嫌だな。」
「あはは。で、どうでした?良い球でしょ?」
「そうだね。120km近い球に感じる。初速と終速にほとんど差がないんだろうね。手元で伸びてくるようだもん。」
「三条先輩にそう言われるんなら楓のストレートもまあまあですね。」
「流石は芹澤さんだね。球歴10日ぐらいでコレだもん。野球部に入って欲しいぐらい。」
ーー三条累がバッターボックスから一旦外れ、楓を見る。
「でも真っ直ぐだけじゃ私たちは抑えられないよ。」
ーー三条累は軽くバットを振り、バッターボックスへと戻る。
それを見て未央が楓にサインを送る。楓は軽く頷き先程と同じく大きく振りかぶり、未央の構えたミット目がけて投げ込む。
コースは1球目と全く同じ。球種もストレート。大胆な配給と思うかもしれないが累が意表を突かれる事はない。バットを鋭く振り抜きアジャストさせる。累が打った球は真後ろに飛び、楓は打たれる事を辛くも逃れた。
しかしそれは首の皮一枚繋がったにすぎない。打球が真後ろに飛ぶということはタイミングは完全に合っているからだ。あとは高低差を調整するだけ。僅か2球で楓のストレートは三条累というプレイヤーに合わせられてしまった。
ーー未央からサインが出る。それを楓は首を横に振る事無く頷き、3球目を投じる。
軌道は全く同じ所を目がけて。
「3球とも同じコースなんていくらなんでもナメすぎだよ。」
ーー累が楓の手から放たれた白球を見極め、真芯で捉えようとする。
しかし、ここで異変に気付く。いつまで経ってもボールが来ない。累が予想した到達地点よりも遥か後方にボールがある。もう修正は出来ない。一旦泳がされた身体はそのままバットを振る事しか出来ない。完全にタイミングを狂わされ累のバットは空を切った。
「ストライク!!バッターアウト!!」
ーーチェンジアップ。
ここまで一度も見せる事がなく取っておいたとっておきの変化球だ。バックスクリーンに表示された球速は76km。30km以上の緩急をつけられたら初見でそれを捉える事は難しい。ましてや三条累は楓のチェンジアップの存在を知らない。累が負けるのは必然。勝つべくして楓と未央は勝ったのだ。
「累が三振したのなんて久しぶりに見たんだけど。」
ーーバットを持ち、控えている本田莉緒と細川梓が話している。
「チェンジアップか。ここまでずっと温存しておくとか未央ちゃんにしては思い切った事したね。一歩間違えれば準決勝で負けてたのに。」
「未央らしくない作戦だから芹澤さんかあの新任のイケメン監督の指示でしょ。」
ーー三条累がベンチへと引き返してくる。
「累、どうだった?」
ーー本田莉緒が三条累に声をかける。
「見事にやられた。未央ちゃん敵にすると厄介だね。見透かされてるって感じ。」
「芹澤さんの球はどう?」
「表示された球速よりも伸びてくるよ。120km以上に感じる。それであのチェンジアップ混ぜられたら結構面倒かな。」
「累がそこまで言うなら私は凡退しそうなんだけど。」
ーー細川梓が微妙な顔をしながらそう言う。
「1巡目は厳しいかもね。でも莉緒なら1巡目でも捉えられると思うよ。」
ーー累に言われ莉緒も満更ではない顔を見せる。
「ナメてる訳じゃないけど私も打てると思う。中体連前だからね。素人に抑えられたんじゃ都大会優勝なんて夢の話もいいとこ。全打席柵越えするつもりで行く。」
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ーー三者凡退で1回表を抑えた2Aナインは意気揚々とベンチへ引き上げる。三条累、細川梓という強打者を抑え、チームの雰囲気は非常に良いものに仕上がっていた。
「ナイスだ、楓、未央。」
ーー慎太郎がバッテリーを激励する。
「ウフフ、立ち上がりは上々ですね。」
球の走りも悪くない。肩に重さを感じるけどこれが最後の試合だから踏ん張りどころよ。絶対に勝ってシーンをクリアするんだから。
「問題は次の回の本田先輩だね。チェンジアップは割れちゃってるからもう騙しは効かない。でも1巡目が終わるまではシンカーは使えない。なんとか真っ直ぐとチェンジアップで抑えるしかないかな。とにかくホームラン打たれないようにしよう。最悪フォアボールでも構わないぐらいで攻めるよ。」
未央がここまで警戒するって事はそれだけあの4番の人は危険って事ね。
先制点は与えない。ううん。完封するぐらいの気持ちで行かなきゃ。
「わかったわ。」
ーー1回裏の2Aの攻撃は三者凡退で終わる。今まで戦ってきたストレートしか投げられないようなピッチャーでは無く、雛鳥学園野球部の2番手投手である細川梓の前にかする事すら出来なかった。
それを見た楓はより一層点は与えないと思うようになる。多くても1点。それ以上の点を与えればこのチームでは逆転は出来ない。それは容易に想像出来た。
ーーだが現実は残酷である。
ーーパァーン
ーー本田莉緒に投じた1球。アウトローに外したボール球だった。それをいとも簡単にライトスタンドへと叩き込む。
与えてはいけない先制点を与えた瞬間であった。
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