第376話 野球

「それじゃまずはキャッチボールやって身体を温めようか。5mぐらい距離をとって相手の胸に向かってボールを投げて見て。怖い子は距離を詰めて軽く投げて、慣れて来たら距離を広げてね。」


「はーい!」



タロウさんが私と未央を除く7人に指示を出している。彼が誰かを教える所なんて初めてみたけど…良いわね。うん。



「さてと。それじゃ楓と未央もキャッチボールから始めようか。」


「イエッサー!」


「楓は投球フォームを意識しつつ投げてみようか。」


「投球フォーム…?」


「それはね…」



喋りながらタロウさんが私に近づいて来る。そしーーえ!?



「えっ!?ちょ、ちょっ!?」



ーー慎太郎が楓の身体をあちこちと掴んでは触ってフォームのレクチャーをする。当然楓の耳には何も入って来ない。ただただ顔を赤くして口をパクパクさせている。それを未央はニマニマしながら眺めていた。



「ーーって感じで投げてみて。わかったかな?」


「えっ!?何がですか!?」


「おいおい、ちゃんと話し聞いてなきゃダメじゃん。」



そんなの無理に決まってるじゃない!!女の子の身体をそんなに簡単に触っちゃダメよ!!



『田辺せんせー!!』



ーー他の女子たちからお呼びがかかる慎太郎。



「ういー!えー…どうするかな…」


「楓には私が教えとくからセンセーは行っていいよ。」


「ん、そうか?じゃよろしく頼むよ、未央。」


「ラジャー!」



ーーそう言って慎太郎は他の女子たちの所へと向かった。



「ふぅーん。」


「な、なによ!?」



ーー未央が悪戯っ子のような目で楓を見る。



「楓と田辺センセーってホントに親戚なのかなーって。」


「そ、そうよ!?当たり前じゃない!!」


「なんか楓の態度が変なんだもん。楓は恋する乙女の顔してるし。」



そ、そんな顔してたのかしら。未央は鋭いから困るのよね。



「き、気のせいよ!!」


「親戚同士でも結婚出来るしね。」


「未央!!」


「いやー、貴重な楓が見れておねーさん嬉しいよ。」


「もう!!早く練習するわよ!!」


「はーい。」



私は未央めがけてボールを投げる。するとパァンという気持ちの良い音がする。なんか楽しいわね。



「ダメダメダメ!最初からそんな強く投げたら肩壊すよ!最初は軽く投げて!」


「あ…ごめん。」



未央は野球やると人が変わるのよね。



「それと投げ方が全然ダメだよ。こうやって『ガッ』と振りかぶって、足を『グッ』と横に移動させて、『ビュン』と腕を振る。わかった?」



わかるわけないでしょ。やっぱり未央に聞いちゃダメだわ。でも未央がやったフォームのようにやればいいのなら真似てみようかな。



「とりあえずやってみるわ。行くよ。」


「ばっちこーい!!」



私は見よう見まねで未央のように投げてみる。


ーーパァン。


するとさっきよりも全然力が入っていないのに同じような音が出た。



「おっ!イイじゃん!軽く放ってもさっきぐらいの球速だよ!」


「本当?ウフフ、それなら良かった。」



そのまま数十球投げていると次第に身体が温まって来た。肩の可動もさっきより滑らかな気がする。



「んじゃそろそろ行こうか。私のミット目がけて全力で投げてみて。ちゃんとコントロールさせないとダメだよ。」


「やってみる。」



私は先ほどと同じように振りかぶり、片足を上げ、投げ込む。



ーースパァーン



さっきよりも遥かに気持ちの良い音がする。私は自分の内側から震え上がるのを感じた。



「ナイスボール!!110kmぐらい出てるんじゃないかな?これがちゃんとコントロール出来て体力持つなら悪くないかも。」



なら優勝出来る可能性があるって事かしら?それならかなり希望が出る。



「優勝出来そう?」


「うーん…それは難しいかも…」


「え…?」


「ウチの野球部結構強いんだよね。男子と同じ都大会で準優勝してるぐらいだからさ。だもん当然この程度の真っ直ぐじゃ背番号二桁の子たちでもバカスカ打たれると思う。レギュラー相手なら長打は間違いない。正直このままだといいとこ三回戦突破ぐらいで負けかな。」



だ、ダメじゃない。それじゃ結局は優勝なんて無理。どうすればいいのよ。


ーー俯いてしまう楓の頭を背後から慎太郎が撫でる。



「だから当然特訓が必要だ。」


「タロウさん…」


「お!やっぱ作戦あるんだね!」


「ああ。楓には変化球を覚えてもらう。」


「変化球…?」


「ええっ!?モノになるかな?」


「モノにさせる。俺が楓に仕込むよ。」


「し、仕込む!?」



ーー台詞の一部だけ切り取るととんでもない会話だな。



「目標としてはチェンジアップをマスターしてもらう。」


「あー。チェンジアップなら落ちなくても最悪タイミング外すだけでいいしね。」


「チェンジアップのコントロールが定まったらシンカーまで習得してもらう。チェンジアップもシンカーもそんなに難しい変化球じゃないからな。約2週間あるから楓なら習得出来るはず。」


「おー!流石は日本代表!かなり現実的な話じゃん!」



何の話をしてるのか全然わからないんだけど。



「問題は打撃面だが…未央、未央はシニアで何番打ってる?」


「ふっふっふ。未央ちゃんは成城リトルシニアで四番を打っているのだ。」


「おおっ!?成城って東京でナンバーワンの強豪じゃん!!そこで女子で四番かよ!?」


「まあまあ!そんな大した事じゃありやせんよ旦那!」



もう全然話についていけないんだけど。



「なら未央は四番だな。後は他の子で打線を組むしかない。優勝するのにライバルになりそうなのってどのクラス?」


「そうだねぇ…3Aと3F、それに1Aかな。特に3Aには私と同じ成城リトルシニアにいる本田先輩と三条先輩がいるから相当手強いよ。」


「その2人ってどれぐらい上手いの?」


「本田先輩はシニアとウチで5番キャッチャーやってる。三条先輩はシニアとウチで1番セカンド。」


「おいおい、女子が3人もシニアでレギュラーかよ。」


「更に3Aにはウチの2番手ピッチャーで正センターの細川先輩がいる。」


「ピッチャーとキャッチャーの経験者セットはキツイな。」


「正直楓に完封してもらわないと負けるね。」



責任重大じゃない。



「ま、それは任せてくれ。本番までに楓をきっちり仕込むから。」


「へぇー。」



未央がニマニマしながら私を見る。そんな目で見たって私は顔を赤くしたりしないんだから。私はもう大人の女なのよ。


ーー顔真っ赤ですよ。



「未央は俺と一緒に他の子のポジション決めをしよう。楓は壁当てネットでチェンジアップの練習ね。握り方はこう。」



ーー慎太郎に手を掴まれ、手取り足取りチェンジアップの投げ方を調教される楓。その顔は文字通り真っ赤になり、沸騰寸前であった。


ーー野球の特訓が始まる。

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