第90話 敗北

牡丹さんの店からタクシーで小山駅まで戻って来た。

時刻は11時半だが、田舎は終電が早いからタクシーで帰らないと足がないのだ。

コンビニでアイスとケーキを買ってマンションへと帰る。外から見ると部屋に明かりが点いている。美波が寝ないで待ってるのかな。急いで帰らないと。


大急ぎで自室まで行き、鍵を開けてドアを開く。


「ただいま。」


キッチンのドアが開き、美波とアリスが大急ぎで玄関まで出迎えに来る。


「おかえりなさいっ!」

「おかえりなさい!」


「遅くなってごめん。アリスも起きてたのか?」


「はい!」


「そっか。本当にごめん。」


「大丈夫ですっ!ご飯にしますか?お風呂にしますか?」


「そうだなーー」


その時だった。アリスのお腹の音が玄関に響き渡る。


「す、すみません…!」


「…もしかして2人とも夕飯まだ食べてないの?」


俺が尋ねると2人は苦笑いをする。


「私はどっちにしても待ってるつもりだったんですけどアリスちゃんも待つって言うので2人て待ったんです。」


「みんなで食べたかったんです。みんなで食べるご飯は美味しいですから。それにタロウさんが1人で食べるのは可哀想です。」


なんて良い子なんや。アリスの為なら俺はどんな嫌な仕事でもするからな。絶対俺が幸せにしてやる。


「2人ともありがとう。」


俺は美波とアリスの頭を撫でる。2人とも心地良さそうな顔をする。


「じゃあ先に食べよう。それと、遅い時間で悪いけどお土産。」


「何ですか?わ!ケーキとアイス!」


「わー!美味しそう!」


「コンビニのだけど結構美味しいよ。」


「食後に食べましょう!」


「楽しみです!ありがとうございます!」


「あれ?その袋は何ですか?」


美波が牡丹の鉢が入っている袋を指差す。


「花を買って来たんだ。」


「あ、牡丹ですね。すごく綺麗です。だからお花屋さんの店主の方を病院に連れて行ったんですね。」


やっぱり女子だからわかるのか。美波は女子力高いからな。


「何だかその店に惹かれて入ったんだ。明日ベランダに置いて日光に当てないと。」


「そうなんですねっ!あれ…?中に何か入って…ふーん。」


島村牡丹の手書きのカードを相葉美波が発見し、目つきが鋭くなった事に田辺慎太郎は気づいていない。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





食事も風呂も済ませ後は寝るだけとなった。

相変わらず同じ部屋に川の字で寝るフォーメーションだ。俺の試練の時がやってきた。悟りだ、悟りを開け。神に最も近い男になるんだ。


「美波は明日大学あるの?」


「はいっ。明日は朝から授業に出ないといけません。」


「送って行こーー」

「はいっ!!お願いします!!!」


「あ、はい。」


久しぶりに美波の圧を感じたな。この何ともいえないプレッシャーって三國以上なんだけど。


「私も着いて行っていいですか?」


「あ、アリスは絶対来てもらわないとダメだ。」


「…?どうしてですか?」


「転校手続きの為に筑波山市に行かないといけないんだ。小学校と役所で書類を書いてもらう手続きをしないといつまでもアリスはこっちに転校できない。」


「あ…そうですよね。」


「書類が出来るまで2週間ぐらいかかるみたいだから学校に通えるのは来月からになっちゃうだろうな。ごめんな。勉強は俺がしっかり教えるからさ。」


「そんなの全然構いません!むしろ…」


「むしろ?」


「な、何でもありません!」


「お、おう。」


アリスにも美波のひとり言が伝染してきたのかな。教育上良くないような気がするな。


「明日は俺とドライブにでも行くって思っててくれよ。」


「はい!凄い楽しみです!」


「…いいなぁ。授業サボっちゃおうかなぁ。」


また美波がブツブツ言ってるな。安定のスルーが一番だ。


「そうだ美波。明日の夜は美波のシーンに挑もう。」


「いいんですか?」


「次は美波って約束だろ。アリス、以前から美波のシーンを次に攻略するって決めてたんだ。申し訳ないけどそれでいいかな?次はアリスのシーンを攻略するからさ。」


「全然構いません!私はいつでも大丈夫です!」


「ありがとうアリスちゃん。じゃあタロウさん、お願いしてもいいですか?」


「もちろん。明日の夜に攻略しよう。」


「…よし!やっと私のターンね!距離を詰めるのよ美波!!」


…なんか美波のやる気が違う方向に向いてる気がするのは俺の気のせいだろうか。


「じゃあ明日に備えて寝ようか。」


「はいっ!」

「はい!」




…寝静まって1時間ほどが経過した。

俺は左側で寝ている美波を確認する。可愛い。襲いかかりたい。いやいや、違うだろ。そうじゃないだろ。

美波はスースーと寝息を立てている。完全に寝ている。よし。

続いて俺は右側で寝ているアリスを確認する。可愛い。でもアリスに欲情はしない。してたら流石に終わってる。アリスもスースーと寝息を立てている。完全に寝ている。よし。

俺は音を立てないようにスマホを取ろうと右手を伸ばす。狙いは楓さんの写真だ。念の為言っておくが隠し撮りしたやつではない。堂々と楓さんを撮ったやつだ。今日は楓さんをオカズにして処理するって決めてたんだ。夢オチとかありえない結末だったが感触がある事に間違いは無い。俺はこのミッションを絶対に成功させる。


先ずはスマホを持って寝室から出なくてはならない。スマホが無いと楓さんの写真は当然無い。男にとって視覚は非常に大事だ。見ながらしないとダメなのが男なのだ。スマホの奪取は絶対事項。

次に寝室から出たらトイレに籠城しなくてはいけない。この家の中で絶対領域はトイレしか無い。そこ以外では見られる恐れがある。トイレでするしかない。幸いな事に我が家はトイレが二ヶ所ある。無駄に5LDKの間取りだ。結婚して家族が増えた時の為に買っておいた甲斐があったってもんだ。それなら仮に美波かアリスがトイレに起きても困る事は無い。

そして処理が済んだら風呂で綺麗にしなくてはならない。変な匂いがしてたら絶対バレる。『タロウさん臭くない?』なんて言われたらたまったもんじゃない。風呂で洗うのは絶対だ。そして寝室に戻って来ればミッション終了だ。俺の計算によると10分あればこのミッションを完遂できる。よし!


ーーだがここで想定外の事態が起こる


もう少しでスマホに手がかかるといった時に左腕を掴まれる。俺は危うく声が出そうになるが何とかそれを飲み込んだ。

一体何が起きたんだと恐る恐る左を向く。すると美波が俺の左腕を掴んでいた。ヤバい。起きたんだ。俺の心臓はバクバクと音を立てている。心音が部屋中に響き渡っているんじゃないかと思う程だ。俺は恐る恐る頭を左に傾けて美波の顔を確認する。こっちを見て睨んでいたらどうしよう。俺の心臓は破裂する寸前であった。だが豆電球の明かりに照らされた美波の顔を確認するとしっかりと目を閉じて眠っていた。可愛い顔を見てると襲いかかりたくなる気持ちを抑えながらよく確認してみるが寝息を立てて完全に寝ていた。


「…驚かせるなよ。心臓止まるかと思ったじゃないか。」


安心した俺は美波の手から俺の左腕を引き剥がす為に左腕を動かそうとするーーが、動かない。ガッチリとホールドされて引き剥がす事は出来ない。結構な力を入れているがビクともしない。


「…起きてるんじゃないだろうな。」


俺は再度美波を確認する。顔を近づけて念入りに確認してみるが反応は無い。俺の息子だけしか反応はしなかった。やはり寝ている。どっからその力は出てるんだよ。


仕方ないのでスマホへと伸ばしかけていた右腕を引っ込めて美波の手を引き剥がす作戦に切り替える事にした。どんなに力が強くても指を一本一本離していけば必ず引き剥がせる。

俺は左腕を救出する為に右腕を引っ込め、定位置へと戻らせた。そして美波の手へ伸ばす為、右腕を動かそうと試みる。


ーーだがここで想定外の事態が起こる。


せっかく戻した右腕を掴まれる。今度こそ声が出そうになるが俺は必死にそれを堪える。

一体何が起きたんだと恐る恐る右を向く。するとアリスが俺の右腕を掴んでいた。ヤバい。起きたんだ。俺の弱った心臓が再度バクバクと音を立てている。心臓が口から出てくるんじゃないかと思うぐらいバクバク動いている。俺は恐る恐る頭を右に傾けてアリスの顔を確認する。こっちを見て睨んでいたらどうしよう。俺の心臓は俺の体から逃げて行く寸前だった。だが豆電球の明かりに照らされたアリスの顔を確認するとしっかりと目を閉じて眠っていた。可愛い顔を見てると撫でたくなる気持ちを抑えながらよく確認してみるが寝息を立てて完全に寝ていた。


「…驚かせるなよ。心臓が爆発しそうになっただろ。」


安心した俺はアリスの手から俺の右腕を引き剥がす為に右腕を動かそうとするーーが、動かない。ガッチリとホールドされて引き剥がす事は出来ない。結構な力を入れているがビクともしない。


「お前ら起きてんだろ。ワザとだろ。」


俺は再度アリスを確認する。顔を近づけて念入りに確認してみるが反応は無い。当然俺の息子も反応しない。やはり寝ている。ワザとでは無い。美波とアリスは本当に寝ている。


そして俺は重大な事に気づき戦慄を覚え足が震えた。

このままでは処理が出来ない。無理矢理手を引き剥がせば絶対に起きる。そうするとスマホはもう無理。オカズ無し。楓さんで出来ない。

どうする…頭を働かせろ…お前のその頭は何の為にあるんだ…!!


ーーだが絶望は終わらない。


美波とアリスが両サイドから俺の足に自身の足を絡めて俺の動きを封じる。


俺は悟った。「あ、これ終わった。」と。


全てを諦めた俺はそっと目を閉じて、泣きながら夢の世界へと旅立った

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