9 謎が解けていく


「え? ミミ? 少し前に帰ったよ?」


 博士のこと何も知らないのね、と私に言い放ったのは、ミミだった。彼女の言うとおり、私は博士のことを何も知らなかった。

 彼こそがルルイエ幻獣研究所の創設者であり、今も名を変えた所長であり、竜研究における第一人者であり、そして彼自身、竜であること。

 博士の正体を知った今、私の中には新たな疑問が沸き起こっている。


 ミミは、博士のことを知っていた?

 いつ?

 どうやって、何をきっかけに知った?

 もしかして、今回の捕獲にミミも関与している?


 私が調べものをしている間に退勤の時間となってしまったので、大急ぎで医務室を訪れた。しかし、残念ながら医務室はすでに鍵がかけられた後だった。

研究所入り口の守衛さんに確認すると、つい先ほどミミは施設から出て行ったとのこと。

 もしかしたら、明日またミミが出勤してきたときにでも聞けばよかったのかもしれない。しかし、悠長に待っていられるほど、私は気が長くなかった。だから急いでミミのあとを追った。


 彼女を捕まえることができたのは、アパートだった。鍵をあけ、扉を開いて中に入る直前の、本当にギリギリのところだった。

 突然手首を掴まれて、ミミはとても驚いた顔をしていた。


「……ティナ? ど、どうしたのよ、変質者かと思ったじゃない!」

「ごめんっちょっと、ミミに、話がっ……」

 走ってきたせいで、息が上がって思うように喋れない。

「話? 私は別にないんだけど」

「いいから!」

 ちょっと迷惑そうな顔は見なかったことにして、私は無理やりミミを扉の中に押し込んだ。もちろん、ミミの部屋だけど。


「博士のこと、私も調べた。……それで、見つけたの」

 もしも私の思い違いで、博士が竜だとミミが知らなかったら。

 念のため、何を見つけたのかについて、私の口からの明言は避ける。


「そう。じゃあティナも博士の正体が竜だって分かったわけだ?」

 他人の口から聞かされると、思いがけずドキッとする。しかし、やはりミミは私より先に知っていたんだという確信をえた。


「ほんと、騙されちゃったわね。ティナから擬態する幻獣の話を聞いていなかったら、博士が竜だなんてちっとも疑わなかったかもしれない。それにあの新薬も、開発途中って言う割にはしっかり効果を発揮してくれたじゃない」

「え……?」

 確かに、擬態する幻獣の話も、新薬の話も、私がいつかのディナーのときにミミにちらっと話したものだ。


「でも、ティナ、あなたも随分かわいそう。あんなに好きだった博士がまさか竜だったなんて。騙されて、さぞ悔しいでしょうね。でもいいじゃない、かわりに竜が手に入ったんだから。これからその悔しさを、思う存分研究にぶつければいいのよ」

「つまり……ミミ、あなたがまさか……薬を盗んだの?」

 ミミのやや吊り上がった目と薄い唇は、よく「冷徹美女」と揶揄されるくらい、冷たい印象を与えると言われていた。けれど、話してみると気さくだし、サバサバしているし、笑えば笑ったでとてもチャーミング。

 そう思っていたのもここまでだ。

 今日に限っては、ミミの表情がとても冷たいものに見える。たとえ彼女が笑っていても。


「そうよ? ルノーに頼んで研究室の鍵を開けてもらって……保管庫まで鍵を使って開けちゃったら、ルノーまで疑われちゃうでしょう? だから、保管庫の鍵は無理やりこじ開けさせたの。……それにしてもあの男、とっても御しやすかったわ。在籍期間は長いのに、これといって目ぼしい研究成果が上がっていない。それどころか、随分あとから入ったあなたがいくら虐めてもへこたれず、それどころか博士に可愛がられちゃって……。そこで、自尊心がボロボロだったルノーをそそのかしたの。あなたが竜を捕まえたら、誰もがあなたをチヤホヤするようになるでしょう、って。簡単だった。思ってた通り博士は竜だったし、これ以上のことはないわね」

 悪気なく正直に話すミミが、私は理解できなかった。


「どうして? どうしてミミが、そんなことを?」

 何が目的なのか、全く読めなかったから。

 でも、すぐにそれも判明する。


「私の行動の全ては、愛するフレッドに繋がってるの」

「兄さん……?」

 それは知っているが、どうして今その話題を出すのだろうか。

「ティナ、私に隠し事していたでしょう。フレッドから求婚されたんでしょう?」

「そ、それは」

「どうして黙っておくの?」

 話せなかった。

 ミミが兄さんを好きなことは知っていたし、もしも相談するとなると、ミミを傷つけることになってしまう可能性があった。だから、私は相談できなかったのだ。

 私を見つめるその視線が、とても痛い。

 以前はもっと、優しいものだったと思うのに。


「……ま、そのおかげで彼を慰めることができたんだけどね」

「わ、私のこと……怒ってる?」

 は? とミミが冷たく鼻で笑う。

「別に怒ってないわよ。フレッドが妹のあなたのことを気にかけるのも、彼の素晴らしい一面なのだし、あの博士をなんとかして欲しいっていう、フレッドの頼みを聞いてあげることが出来たし」

「兄さんが……なんとかして欲しいって……?」

 博士は私の恋人なのだと、兄さんに言ってしまったからだろうか。そのせいで、私が博士をゴタゴタに巻き込んでしまったのだろうか。

「ねえ、ミミ! 私、博士を助けたいの! なんとかあそこから逃がしてあげたいの!」

「もう無理よ、首輪、足枷、あとは麻酔銃? とにかく厳重に捕らえられているんだから。麻酔はそのうち効果が切れて意識も回復するかもしれないけど、擬態を解く薬の方は大量に打ってあるから、しばらくは人間の姿には戻れない。あのでかい図体のままじゃ、どこにだって逃げられるわけないじゃない」

「だからって、このまま見殺しには出来ない! ねえ、ミミ――」


 私はとっさにミミの腕に縋り付いた。しかし、触れた瞬間、パン、と静電気でも起こったように、ミミによって弾かれた。

「触らないで!」

「……ミミ?」

「もらい子の分際で、図が高いのよ!」

 貰い子。私がバロウズ家の養子であることを、ミミは指している。

「フレッドと血が繋がっていると思って、これまでよくしてあげてたけど、実は血の繋がりのない、単なる養子ですって? 他人のくせに、フレッドと同じ暮らしをして、フレッドの視界に入って、フレッドの庇護を受けているの? それって、控えめに言っても、図々しすぎるってものじゃない?」


 いやだ。

 違う。

 私の親友は、もっと優しい子だったはず。


「ミミ? あなた、そんなことを言う子じゃなかったよね? そんな顔をする子じゃなかったよね? もっと優しくて、頭が良くて、面倒見が良くて」

「あんたを見てると、苛つくのよ! 何の苦労もなく、あんな素敵なお兄さんに守られて、苦労することなく希望の就職先に落ち着いて、今度は権威ある研究者に可愛がられて? おまけに、素敵なお兄さんから求婚されて!? ふざけるんじゃないわよ、なになめた人生送ろうとしてんのよ! あんたが仕事を始めて虐められてるって聞いたとき、どれだけ私が嬉しかったかわかる? ザマァ見ろ! って、心の中でいっつも思ってた! あんたなんか、このまま――」

 ドアノッカーが控えめに叩かれる音がした。

「ミミ? そこにティナもいるのかい?」

 すぐ後ろの玄関扉が開き、そこから現れたのは、まさかの私の兄だった。

「兄さん!」

「フレッド!」

 私を肘で壁に突き飛ばし、ミミが兄さんの腕の中に飛び込んでいった。

「フレッド、やだ、来るなら来るってそう言ってくれればよかったのにぃ」

 ミミの声は、さっきまで私を罵倒していた時とは違い、鼻から抜けるような、甘えた声に変わっている。


「すまない、二人の声が聞こえたもので。……何かあった?」

「ううん、何もないわ。ただ、ちょっとティナの職場でトラブルがあったから、その話をしていただけ」

「そうか」

 ミミの部屋と私の部屋は、同じアパートを隣同士で借りている。一人暮らしをするにあたって、「同性の友人と近くの部屋を借りること」というのが条件だったためだ。高級で頑丈な作りの部屋でもないため、扉の近くで大きな声を出していれば、きっと外にも漏れるだろう。だから兄さんも声を聞きつけ、今こうしてやってきたのだと思われる――私とミミのどちらを訪ねてやってきたのかは、正直なところ不明だ――。

 今しがた、肘をぶつけられた肋骨が痛い。


「ねぇフレッド、今夜はずっと一緒にいられる? もし良かったら、泊まっていか――」

「ティナ」

 兄さんはミミの話を遮り、私の名を呼んだ。ミミに抱きつかれたままだが、その目は確実に私を捕捉している。 

「ティナ、今さっき君の職場に行って、辞表を提出してきたよ」

「……はい?」

「だからもうあそこへ君が行く必要はないんだ。今すぐ荷物をまとめて、我が家に帰ろう」

「待って兄さん……私、仕事を辞めるなんて話、一言もしてないんだけど」

「母さんがウェディングドレスを作りに行くのを楽しみにしてるんだ」

「ウェディングドレス? 誰の? 誰と誰の、結婚の?」


 兄が怖い。あまりにも当たり前のごとく話す兄が、何を考えているのか全く読めない。

「今更何を言ってるんだ? 僕とティナの結婚式で、ティナが着るティナだけのドレスに決まっているだろう?」

「だ、だから兄さん、私は兄さんとは結婚しないし、仕事だって辞める気は――」

「ティナ。もういじめに耐える必要はないんだよ。これまでどおり、ティナは兄さんの言うことを聞いてさえいればいいんだ。そうすれば、幸せな人生を送らせてあげる」


 背中に嫌な汗が吹き出した。

 どう言えば、どうすれば、何をしたらこの人は「私」を見てくれる?

 きっと兄さんは、私を求めているんじゃない。兄さんが考える「家族」の中の空いている席に、無理やり私を座らせようとしているんだ。

「え、あの、フレッド……私のことは……?」

 この展開を理解できなかったのは、私だけではなかった。兄さんに抱かれたまま、ミミも状況を掴めずにいた。

「そっそうよ、ミミのことはどうするの? ミミと付き合っているんでしょう? ミミに対する責任だってあるんじゃないの?」

「ティナの働く研究所で、奇跡的に竜を捕獲したんだって? でも、どうせティナは下働きの厄介者でしかないんだから、研究なんかに携われないだろう? もしも万一奇跡が起きて君も研究に加えてもらえるようになったとしても、心配しないでいいからね。また僕がティナの悪い噂を吹き込んで、今よりもっと辞めやすくしてあげるから」 


 兄さんは、一度もミミを見なかった。

 無視したのだ。

「ま、待って、悪い噂? 吹き込む? なに、それどういうこと?」

「知らなかった? 君が働き始める数日前に、君の上司となる男に伝えておいたんだ。今度入ってくる新入職員は、手グセが大変悪いってね。研究成果も平気で盗んで金にしようとする女だから、気をつけたほうがいい、って」

 新薬の盗難騒ぎが起こって、犯人に仕立て上げられた時、コックス室長が密告の電話があったと言っていた。まさか、あれは、兄さんの仕業だったということ……?


「それで? そこで、私が養子で、家族もみんな手を焼いているって……そういう作り話もしたの?」

「したよ。やむを得なかったんだ。女性の社会進出も進んできたとはいえ、ティナの幸せは男の中で男に揉まれて仕事をすることよりも、僕の庇護下で僕の好みどおりの従順な女性として生きることなんだから」

「……どうしてそれを、どうして私の幸せを、私じゃなくて兄さんが決めるのよ」

「どうして、って? 当然じゃないか、僕が決めなければ一体誰が決めると言うんだい?」

 そう言って笑う兄さんは、狂気に満ちているとしか思えなかった。

「三ヶ月で我慢できず仕事を辞めて帰ってくると思いきや、意外に保っているようだね。でも、これ以上のわがままはいくら僕でも許せない。認められないよ」


 この人を説得する。

 ……できる?

 いや、無理だ。

 何を言っても、伝わる気がしない。

 私にできることは、首を振って、後ずさりすることだけ。

 そんな中、次に言葉を発したのは、ミミだった。


「嘘よ……フレッド、嘘でしょう?」

 ミミはまだ、フレッドに抱きついたままだった。けれど、その肩に回した彼女の手は、小刻みに震えていた。

「ねえ、フレッド、どうしてティナなんかにこだわるの? どうして私じゃダメなの? ダメじゃないよね? ダメじゃない、私が一番だと言って?」

「あはは、冗談きついなぁミミは」

 もう兄が、人間以外の生き物にしか見えない。


「ティナのことは幼少期から、ずっと僕だけが見てきたんだ。僕好みの女性になるよう、僕なしでは生きられないようにずっと躾けてきた。……まあ、彼女の生みの両親の血なのかわからないけど、ある日急に竜の研究がしたいなんて言い出した時はびっくりしたけどね」

 両親の血? ということは、兄は私の実の親を知っているのだろうか?

「私だって、ずっとフレッドの好みの女性になれるよう、いろいろと努力してきたわ。髪の色や瞳の色は変えられないけど……賢い女性が好きだと聞いたから勉強だってひと一倍取り組んだし、体型も、服もあなたの好みに合わせてきた。初めてだって、あなたに捧げたのに!」

「それは君が勝手にしたことだろう? 一度だって、僕から君に求めたことがある?」

「ひ、酷い……あんまりよ……!」

 ミミはそう言って、その場にわあわあと泣き崩れた。

 さっきまで罵倒されていた私でさえ、同情してしまうくらいだというのに、兄さんはちっとも気にしないでいつもの笑顔を作っている。


「僕はもともと残忍な人間だよ。ティナの幸せだけを願っているし、だからそれ以外にはとんと興味がないんだ」

 私の幸せ? ……違う。兄さんの言う「ティナの幸せ」は、私自身が考える「私の幸せ」ととことん乖離しているのだから。

 それよりも一つ、聞きたいことがあった。


「兄さんは、もしかして……私の実の両親を知っているの?」

「もちろんだよ、ティナ。君も重々承知だと思うが、ルルイエ幻獣博物館に竜の骨が飾ってあるだろう? あの竜を捕らえたのが、君の両親だよ。バロウズ家が資金援助をしていたからね、当然知っているさ」

「わ、私の、両親が……!?」

「その後についても教えてあげよう。君の両親は、竜を捕まえたにも関わらず、ある程度の観察を終えたあとは、竜を野生に還すべきだと主張してね。もちろん、竜なんてもの滅多に見つかる幻獣じゃない。だから大反対にあって、最期には反対派に暗殺されたんだよ」

「暗殺……」

 そんな壮絶な話だったとは思わなかった。けれど、なんだか、光明が見つかった気がした。

 兄さんの話が本当なのであれば、私の両親は、竜を殺そうと思って研究所に連れてきたのではなかったという。残念ながら当時の竜は研究所内で死亡してしまったが、だったら、その娘の私こそ、今捕らえられている竜を解き放ってあげるべきなのではないのか。

 勝手ながら、使命じみたものを感じてしまったのは確かだ。


「兄さん」

「……ティナ?」

「私、どうしても、兄さんの望むようには生きられない。兄さんも自由になって、兄さんを見てくれる人と、きちんと向き合ってあげて」

「ティナ? それはどういう――」

 正面扉は兄さんとミミが占領している。だから私は部屋の奥に駆け込み、窓を開けてそこから外に飛び出した。

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