第4話 陰口

 俺は怪人スポーツジムで出会った『まゆゆ似』の改造人間、モンシロ中納言のことが気になって仕方がなかった。

 向こうはコンタクトを待っているように思う。あとはこっちの勇気だけだ。

 そして俺は思い立った。ジムで挨拶する時に、爽やかさを演出しよう、とドラッグストアへモンダミンを買いに行ったのだ。わざわざ人間に化けて、だ。

「お会計298円です。ひまわりカードはお持ちですか?」

「いえ、初めてなので持っていません」

「ポイントが加算されて割引にもなります。お作りしましょうか?」

 俺は『今後も爽やかなライムの息を継続しよう』と考えていたので、ひまわりポイントカードを作ることに決めた。

 モンダミンをシャワー室に持って入ろう。今までの俺は業務が終わったらロッカーで着替えて、そのままジムへ入っていった。

 だが最近の俺は違う。業務が終わったら、汗臭い身体でスタジオに入らず、まずシャワーを浴びてシャンプーまでして、備え付けのドライヤーで髪の毛をセットしてからスタジオに入るようになったのだ。

 思春期の学生のようである。その上にモンダミンだ。見た目も爽やか、汗臭くない、口臭はライムの香り。

 体制は万全である。あとはどのタイミングでモンシロ中納言に声をかけるか、だ。

 ジムから出る時、偶然に駐車場へ向かう時に出会えれば話しやすいのだが。

「こんばんは。お疲れ様」

「お疲れ様」(驚く彼女)

「いつもエアロビ上手いですね」

「ありがとうございます。でもそんなことないですよー」

「いやいや、いつも『上手いなぁー』って思っていたんですよ。上手い人は目立ちますからね」

「ありがとうございます」

「で、ジャンプされるでしょ? 気付いてないかもしれませんが、着地の時『ヨイショ』みたいな感じにグーしたままボクシングみたいなポーズしてるんですよ」

「ホントですか?」

「もう仕草がいちいちクソ可愛くて」

 こんな流れで挨拶できないものであろうか? そして喜んだ彼女は車の陰で俺とディープキスに及ぶのだ。ここでモンダミンが活きてくる。ひまわりポイントカードを作った甲斐もあるというものだ。

 ま、そういう感じで脳内で挨拶シミュレーションを何通りも構築し、とっさに狼狽えぬよう、備えているのだ。

 俺はゴッドダーク基地の廊下を歩きながら、モンシロ中納言のことを想い続けた。

 赤まむしルームの自動ドアが開く。すると中には俺の子飼いの上級戦闘員と九傑衆の一人、タラバガニ屯田兵が談笑している最中であった。

 タラバガニ屯田兵は俺の姿を見ると、一瞬『ヤバッ』みたいな顔をしやがった。何か良からぬ話でもしていたのだろうか。

「これはこれはタラバガニ屯田兵殿」

「失礼している赤まむし大元帥殿」

「本日はいかような用向きで」

「いやなに、ただ通りかかったもので挨拶がてらに、と」

 俺は椅子に座りかけて、ライターを手に取り、そこで気付かれぬようライターの隠しスイッチを押した。

「しまった、ジムに忘れ物をしました。タラバガニ屯田兵殿、ちょっと失敬。お茶でも飲んでゆっくりされてください」

「これはかたじけない」

 そして俺は自分の部下が集まる赤まむしルームから出ていった。

 1時間は経過しただろうか。俺は部屋に戻る。テーブルにはもう誰もいない。ライターの隠しスイッチを押して、録音を停止する。

 幹部仲間だからといって油断してはならぬ。何か企んでいるのかもしれない。俺の足を引っ張り、幹部の座から引きずり降ろそうとしているのかもしれない。

 俺はライターからケーブルを伸ばし、ノートパソコンに繋いだ。

 そして音声ファイルを再生する。

「赤まむしはジムか」

 タラバガニ屯田兵の声だ。俺が居ない時は俺のことを呼び捨てで呼んでいるのだな。メラメラと静かな怒りの炎が揺れる。

「ナンパでもしに行ってるのか」

「いいえ、そんなことは」

 上級戦闘員が答える。

「赤まむしの口臭、すごいだろ? ドブの川に腐った卵落としてかき混ぜたみたいな」

「あははは」(上級戦闘員が手を叩きながら)

「そんな上役の下で働いてもつまらんだろう。いい給料を出す。こっちの組に入らんか?」

「勿体無いお話で」

「いいや、お世辞ではない。真剣に考えてはくれんか。君の事務処理の有能さは聞いている。タラバガニ組は業務拡張したいのだ」

「買いかぶりすぎでございます」

 その後は押したり引いたりの引き抜き話であった。俺は怒りの矛先を上級戦闘員に向けた。司令卓のマイクで館内放送を流す。

「上級戦闘員Aくん。上級戦闘員Aくん。至急赤まむし大元帥ルームまで」

 放送してから間も無く上級戦闘員Aが部屋に入ってきた。

「お呼びでしょうか? 赤まむし大元帥様」

「どうじゃ、今日はそこまでドブ川の息が届いておるか」

「一体何のお話で、ハッ、ライター」

 上級戦闘員は、ライターに隠しマイク機能があったことを悟ったようであった。

「後ろめたいことでも話しておったか?」

「いいえ、後ろめたいことなど何一つございません」

「高給で引き抜きの話が出ておろう」

「断るのも角が立つので誤魔化しておりました」

「口臭の話題でおぬしは手を叩いて笑うておったの」

「赤まむし大元帥様、私のような戦闘員ごときが幹部に向かって意見できるはずもございません。戦闘員から叩き上げでタラバガニ様も幹部になられたのだから多少のリスペクトはございました。しかし私は内心『サポートする部下に恵まれていないのか、こんな陰口を言い回るのだ、無理もない』と軽蔑の目で見ておりました」

 俺はまっすぐこちらを見る上級戦闘員に対し、許す頃合いを見失ってしまった。きっと本心なのだろう。だが上げた拳の引っ込みがつかなくなった。

「後で、いかようにも言えるよのぅ」

「赤まむし大元帥様……」

「よし、ならば忠誠心を見せてみよ。毎日三時、採石場を我らが宿敵、覆面ライダーがバイクでパトロールをする。お前は物陰に隠れ、不意打ちをしてこい。かすり傷一つでもつけたら大したものだ」

「お言葉ですが赤まむし大元帥様、対覆面ライダー戦では、これまで改造人間一体、上級戦闘員二名、一般戦闘員二十名で挑んで参りました」

「そうじゃ、だから勇気を出して不意打ちをして参れと言うておるのだ。後ろから蹴りを入れて逃げて参れ。怖いか?」

「……。承知致しました」

 上級戦闘員はうなだれて部屋から出て行った。俺は腕を組み、険しい顔のままソファーに深く腰掛けた。

 偵察ドローンを飛ばす。採石場が目の前の大画面モニターに映し出される。そこをバイクで激走する覆面ライダー。

 その走行線上へ藪から飛び出し仁王立ちになる上級戦闘員。

「バ、バカ。何をやっているんだアイツは」

 数メートル手前でブレーキをかけ止まる覆面ライダー。

「やぁーやぁー我こそは」

 覆面ライダーがバイクから降りる。

「我が栄光なる赤まむし組、上級戦闘員Aなり。いざ尋常に勝負」

 覆面ライダーが戦闘態勢に入る。クラウチングスタートのポーズ。これはドリルスパークキックを撃つ時の構えだ。一発で終わらせる気だ。

「アホウが。誰がそんなことをしろと言った」

 俺は立ち上がりかけ出した。廊下を一般戦闘員らにぶつかりながら走り、格納庫へ行き真紅のスネークスクーターに跨って、法定速度関係なく採石場に向かってぶっ飛ばした。

「誰が戦えと命令した」

 俺は聞こえるはずもないのに上級戦闘員Aに向かって叫びながらアクセルを限界まで回した。

 採石場はシンとしていた。覆面ライダーの姿は既になかった。広場の真ん中で仰向けに倒れている人影が見えた。

 俺はギリギリまで近寄ってスライディングしながらバイクから降りると、転がりそうな勢いで人影に駆け寄った。

 どう形容して良いのかわからないくらいの、いびつな形に変形した胸の装甲板はねじ切れそうで、無残にも胸の真ん中に穴があき、回路が丸見えであった。そして関節という関節から線香花火のような火花が散っていた。

「命令違反だ。重罪に処す。ここで死ぬことは許さん」

「赤まむし様、赤まむし組を立ち上げた時、皆若こうございましたな。懐かしゅうございます」

「動くな、修理すれば治る」

「昨日のことのようでございます。夜遅くまで、皆がむしゃらに働きました。今はコンプライアンスがどうの、労基がどうの、と入ってくる若者も、我々の頃のような仕事内容ではすぐ辞めてしまいます。大変でしたが、楽しかったですな。テレビでは『24時間戦えますか』が流行り、日本は世界一の金持ちになり、世界中の高価な絵画を買い集め、映画の中では日本の社長が敵役になって射殺される。まぁ、その後すぐバブルは弾けましたが」

「喋るな。じっとしていろ」

「あの頃の赤まむし組のとんでもない給料明細、今でも記念に取ってあります。みんな若かったし、明るい未来に向かっているような気持ちでございました。大元帥様、赤まむし組の一年目のスローガン、覚えてらっしゃいますか?」

「ん? 悪行一直線、だったか?」

「それは二年目でございますよ。一年目は『悪は友なり家族なり』じゃないですか」

「そうか。ならば一年目から今年までのスローガン、全部復唱せよ。それまで死ぬことは許さん」

「タラバガニ様は戦闘員が現場で倒れたら、こうやって駆けつけて下さるでしょうか? きっと使い捨てでございましょうなぁ。私は本当に赤まむし組に入れて嬉しゅうございましたよ」

 その言葉を最後に上級戦闘員の目から光が消えた。全ての関節から噴き出していた火花もいつの間にか止まってしまった。

 俺は何も言葉が出てこず、スネークスクーターに跨って、基地へと戻った。

 今まで俺は組織の中で陰口が気になって仕方がなかった。陰口を言われたくないから『いい人でいよう』と心がけた。

 だが、もう気にするまい。言わせたい奴には言わせておけ。俺は俺の陰口を言うお前のために生きているのではない。俺は自分のやるべきことをやる。

 俺は録音ライターをゴミ箱へ放り投げた。

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