第3話 怪人スポーツジムにて
「赤まむし大元帥様、そろそろ健康診断のお時間でございます」
「うむ」
俺は山をくりぬいて作られた、ゴッドダーク秘密地下基地内にある幹部室から出て、保健室に続く廊下を歩いた。
「この紙コップの三分の一くらい尿をお取りください」
「うむ」
女性看護戦闘員から説明を受ける。
そうしてトイレに入り、カップを股間にあてがう。目の前の張り紙には『いつも綺麗に使っていただきありがとうございます』と間の抜けたクマのイラストが微笑んでいた。
「クソ喰らえ、だ」
俺は張り紙をガン無視して、紙コップ一杯になみなみと小便を注ぐ。日頃の疲れが溜まっているのか、色は相当黄色い。当然床にもこぼす。
悪の幹部たるもの、常日頃から悪行を積まねばならない。日々是修行、精進の日々なのである。
看護戦闘員は困った顔で俺の表面張力ギリギリの紙コップを受け取る。
渡すときに「ワッ」と脅かしたので、看護戦闘員の手元がブレて、向こうの手に少しついた。
ベルトにある『悪行カウンター』が3ポイント加算を示す。紙コップギリギリで1、トイレの床を汚して1、看護戦闘員の手を汚して1の合計3ポイントである。
これが100ポイント貯まると、ゴッドダーク様から全国の有名百貨店で使える5千円分の商品券が送られてくるのだ。
「しかし前回の使い道は失敗したな」
というのも、だ。百貨店はやはり富裕層が利用する、ということを前回の買い物で思い知らされたのだ。
特に欲しいものは無かった。が、このゴッドダーク商品券は特殊インクを使用しており、一年経つと薄くなって最後には印刷が消えてしまい、経理の百貨店担当者を驚かせ、悲しませる、という効果があった。
せっかく支給されたのに使わないのも勿体無い。俺は無理やり買い物に来た。
爬虫類つながりで、胸元にワニのワンポイントが入ったポロシャツでも一枚買うか。
そして一番安いやつを買い、値段は3800円くらいであろうか、お釣りを現金でもらって、帰りにラーメンを食ってジャンプでも買って帰ろう、という計画を立てた。
しかし、である。全部の商品を見渡しても3800円のポロシャツがない。最安値で6800円のTシャツだ。商品券の期限は来週までである。
俺は仕方なくレジで5千円の商品券と、自腹で1800円追い金した。
結局それほど欲しくもないワニのワンポイントTシャツを、1800円で買った、という格好になり損した結果となった。
貧乏人に百貨店は敷居が高い、という話だ。
「今年は商品券、妻にやるか」
俺は家で待つ改造人間、蛇女の妻と6歳になる息子のことを思った。妻には苦労をかけている。商品券は喜ぶかもしれない。
幹部室へ戻る廊下を歩きながら、俺は健康診断で医者が
「少し運動不足ですな」
と言っていたことを思い出した。
そして『怪人スポーツジム』へ寄ることを思い立った。このジムで俺は、気になる女性が一人いた。
人間どもの世界で人気のある、AKBに在籍していた『まゆゆ』似の改造人間と、よく目が合うのだ。
俺は怪人スポーツインストラクターを捕まえて、強引に名前を聞き出した。
彼女の名は『モンシロ中納言』というらしい。
モンシロ中納言は噂では肉食系で、自身は華奢でスリムなのに、筋肉質な男が好みらしく、見た目は20代後半に見えるのだが、実際は43歳の独身であるらしかった。
そしてジムの出口でタイプの男を出待ちし、結構自分から誘っているらしかった。インストラクターによれば
「彼女は近づくとヤバイっすよ」
という助言をされた。しかし可愛いし、目が合う。ただ俺は恥ずかしがり屋さんなので、嫁さん以外の女性と話すとき、緊張してしまう。
相手が肉食系で、スナック菓子感覚でセックスする、という前知識があるから尚更である。
俺は悶々とした日々を過ごした。俺はSNSで悩みを打ち明けた。すると
「相手を女性だと思うからいけないのです。下心を消し去り、おっさんと話すようにいけばいいのです」
そうか! 何か見えた気がした。彼女をおっさんに置き換えよう。俺は改造前、マイナーなスキンヘッドの漫画家の友がいたことを思い出した。
彼女はおっさんだ、スキンヘッドのおっさんだ。
ポワワワワン。なんだ、このフレームの端を埋めるピンク色のモヤは。目の前に彼女が立つ。下着姿で立つ。靴下は脱がせない。絶対に脱がせない。
そして靴下を履いたままの足を、両手で大事そうに持ち、そのまま五本の足の指を口の中に入れる。少しえずく。笑う。
何をやりたいのだ、俺は。
こういう気が起こるのも、モンシロ中納言のせいであった。彼女はエアロビの列から抜け出し、俺の目の前の筋トレマシンにわざわざ座ったのだ。
うーん、と超可愛い顔して力みながら。この可愛い顔で何人の男を泣かせてきたのか。43歳でこの可愛さで独身、というのは、何かあるような気がする。まぁ本人が面食いでタイミングを逃してきた、という可能性もあるが。
俺は赤面で耐えられなくなり、別のマシンへ移動した。すると彼女は
『侮辱された、コケにされた』
という風な怒った顔で帰って行ってしまった。
その前回が悪い終わり方だったので、今日のジムでお互いの存在に気付いたとき、向こうは『入ってきた』という顔をした。
俺は『今日こそは挨拶くらいはしたい』と考えていた。
するとどうだ。モンシロ中納言は、休憩スペースのベンチで、俺よりブサイクな中年男性に自分から声をかけに行っているではないか。それも俺の筋トレマシンの直線上、向こうは立ってこちら側を向いている。椅子に座るおっさんは背中だ。
中年男性怪人は、まさか、の女性からの声掛けに嬉しさを隠しきれず、上ずった声がこちらまで届いた。
モンシロ中納言は横目で俺が見ていることをずっと意識している。そしてオーバーリアクションで笑っている。俺は嫉妬した。いや、嫉妬させられているのだろう。
不甲斐なさに仕返しをされているのだろう。
目をキラキラさせて中年男性と一対一で話す。『私は異性と話しやすい性格なんですよ』とアピールされているかのようだ。
しかし俺の心は何故か傷ついた。学生の頃のような甘酸っぱい郷愁、傷心。
もし思い切って俺が話しかけ、独身の遊び慣れたモンシロ中納言とただならぬ関係になってしまったらどうしよう。それを望むのか? 俺は。
家では苦楽を共にした妻が待つ。素直に育った子供が待つ。
「不倫ポイントは200ポイントだから一気に商品券二枚だな」
俺は落ち込んだ様子を彼女にわかってもらえるように、少し俯きながら、キャッキャッと盛り上がるまゆゆとおっさんの横を通り、出口に向かって歩くのであった。
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