ほのの町

んが

第1話ほのの町

 あるところに、のんびりすることを忘れた大人がいました。

 その人の名前は、ほの、と言いました。

 ほのは、毎日忙しく働いていました。

 仕事に、育児に、家事にと毎日目が回るようでした。

 家族はいろいろ手伝ってくれましたが、それでも疲れていました。


 ある日、ほのは考えました。

「わたし、どうしてこんなに疲れているのかしら」


 友達に話すと、友達は言いました。

「あなたが、一人で抱え込んでいるからよ」


 それからしばらくの間、ほのは呆然としていました。

 考えてみると、その通りでした。

 父の死の事。

 子供の事。

 一人で住んでいる母の事。

 一人暮らしのおばさんの事などなど。

 ぜーんぶ一人で抱え込んでいました。

 

 友達は、言いました。

「そうよ。ほのは一人で考えすぎよ」

 ある友達はそういうと肩をポンとたたきました。

「ずっと頑張ってきたんだから、少しのんびりしたら?」

 友達たちは、そう言って慰めてくれました。

 ほのくらいの年になると、いろいろありました。

 子どもも大きくなればなるで悩みも大きくなります。

「まあ、たまにはのんびりして」

 友達は、ほのの事を気遣ってくれました。

「そうかな……」

 ほのは、ぼんやりと答えました。

「私は、私の生活をしていいの?」

 ほのは、友達に聞きました。

「もちろんよ。あなたの人生を大切にして」

 友達は、にっこり笑って言いました。

「私の人生……」


 ほのは、まわりの心配事をなるべく考えないようにしました。リラックスできるようにアロマをたいたり、雑誌を読んでリラックスの勉強もしました。ストレスをためないように、運動教室にも通いました。もちろん仕事も楽しく、仲間もいて充実していました。それでも、何かごろんと心の中に石のようなものがつかえるのを感じるのでした。子どももパートナーも外で活動しているのが普通でした。

 いつの間にかすべてが空回りをし始めました。

 子どももそれに合わせたかのように外へ出ようとしなくなりました。

 ほのは、自分が悪いのかと思い悩みました。

 仕事も以前は平日に働いていましたが、子どもが心配で土日に入れるようになりました。

 子供は、ますます引きこもっていきました。

 引きこもりは長く続きました。

 ほのの気持ちも暗く沈んでいきました。

 周囲の人が心配して、言いました。

「自分の事も大切にして」

 ほのは、自分を大切にするということがどういうことかわからなくなっていました。

「子供はもう大きいんだから、少し子供から離れないと」

 ほのの事を心配する友達がアドバイスしてくれました。

 ほのは、そういわれても、とわんわん泣きました。

 父親のお葬式では、突然の事で泣くことも忘れるほど忙しくて笑っていました。

 どうすればよいのかわからなくなっていました。


 気づくと、道の真ん中に立っていました。


 ほのは、しくしく泣きました。

「どうして、こんなことになってしまったのかしら」

 道の真ん中で呆然と立ちすくむのでした。

 道行く人々は不思議に思ってほのの顔をちらちらと見ては、去っていきます。

「何をそんなに泣いているの?」

 ほのが、顔をあげるとこだぬきがほのをじっと見上げていました。

「子どもが引きこもってしまったの」

 ほのが説明してもタヌキはきょとんとしていました。

「ひきこもるってなに?」

 タヌキは、ほのの顔を見つめました。

「家から外に出なくなってしまうことよ」

「ふうん。外に出ないなんてつまらないだろうねえ」

 タヌキは一生懸命考えてそれだけ言いました。

 町でタヌキを見かけても、タヌキと話すのは初めてでした。

「ぼく。タヌキのぽこぽんだよ。おばちゃんは、なんていう名前なの?」

 タヌキは、目をくりくりさせて聞きました。

「ほの、よ。」

「ほのさん。珍しい名前だね」

 タヌキは、おなかをぽこぽんとたたくと言いました。

「親が、ほのぼのとした人になってほしいと名付けたらしいわ」

 ほのは、しゃくりあげながら答えました。

「それで、子どもがひきこもったっていうけど……」

 タヌキは、きょとんとしてほのを見つめます。

「何か悲しいことがあったの?」

 タヌキが聞きます。

「わからないわ。おじいちゃんが好きだったから、それがきっかけになったかもしれないけど……とにかく、気づいたら家から一歩も外に出なくなってしまったのよ」

 ほのは、またぐすぐすと泣き出しました。

 リスや小鳥たちがほのの周りに集まってきました。

「それは、大人になる前の儀式じゃないの?」

 タヌキはそういうとにっこり笑って背伸びしました。

「ほら」

 タヌキがほのにもみじの葉っぱを渡します。

「なあに」

 ほのがぽかんとしていると、タヌキは言いました。

「これを頭に乗せてごらん。そうしたら、ほのの進む道が見えるから」

 ほのは、言われた通りにしてみました。


 気づくと、そこは見知らぬ町でした。

 誰も知らない不思議な町です。

 電柱も何もないのっぺらとした、よく言えば閑静な街並みでした。

 家がぽつりぽつりと建っています。しかし、家の明かりはついていないのでした。

 町には、ほのしかいないように見えました。

 小鳥がブロック塀の上にとまってちゅんと鳴きました。

 白い小さな家が一軒ありました。

 子豚がすんでいそうなかわいらしいブロックでできた家でした。

 そこだけは窓から明かりが見えるのでした。

 ドアをノックしてみます。

「はーい」

 そこには、白い無地のエプロンを付けたタヌキが立っていました。

「ようこそ、ほのの町へ」

 タヌキがにっこり笑ったので、ほのも笑い返しました。

「ほのの町?」

 ほのがタヌキに聞き返すと、タヌキは聞き流して逆に険しい顔つきでほのの顔を見上げました。

「あなた、少しお疲れね」

 タヌキに言われてほのは少しむっとしました。

「どうしてそう思うの?」

「だって、顔に疲れているって書いてあるもの」

 タヌキは、ほのの顔を指すと言いました。

「そんな!」

 ほのは、ばかばかしいと思いつつも自分の顔をなで回しました。手鏡をバックから取り出して顔を眺めます。

「どこにも書いてないじゃないの」

 ほのが、怒ったような声を出します。

「私には見えるの」

 タヌキは平然とした顔で、ポットにお茶を入れて持ってきました。

 椅子に座るように促します。

「あなたが歩んできた人生が見えるのよ」

 ほのは、なぜだか涙が一筋頬を伝っていくのを感じました。

「あなたは、これまで一人で頑張ってきたのね。いろんなことを歯を食いしばって頑張って乗り越えてきたんでしょう」

 タヌキは、そういうとぽこぽんとおなかをたたきました。

「そうよ。家族やいろんな人と協力して親の死や子供の受験、一人っきりになった親の事、遠く離れた叔母の事まで頑張って考えてきたのよ」

 ほのは、涙を止めることができません。

「うそよ。叔母の事は、父が死んでから考えたわ。というか考えざるを得なくなったというのが本当よ。冷たい姪っ子よ。私の名前も叔母の記憶の底に沈んだころ会いに行くんだもの。覚えてなくたって当然よ」

 ほのの涙は大粒の雨みたいにぼたぼたとテーブルの上にこぼれ落ちています。

 タヌキが、あわててキッチンからどんぶりを持ってきました。

「この人、なんでこんなに泣いているの?」

 タヌキの娘でしょうか。赤いリボンを耳につけたタヌキが、不思議そうにほのを見上げています。

「一人でいろいろ頑張ってきて、ちょっと疲れてしまっているみたい」

 タヌキが娘に説明しています。

「ふうん。どんぶりにあふれるほど涙がたまるなんて」

 こだぬきは、わかっているのかわからないのかどっちともとれるような声を出しました。

「人生いろいろあるんだね」

「生意気言って……」

 タヌキは部屋に戻るよう子だぬきに言いつけました。

「ごめんなさいね。タヌキの世界はそれほど複雑でないから、あの子には難しかったかもしれないわ」

 タヌキがほのに謝ると、ほのは首を横に振りました。

「いいえ、人生なんて口に出してみると本当につまらないわよね。どうして、こんなにも悩んでしまうのかと思うわ」

 ほのは、はあっと大きなため息をつきました。

「昔は、ため息を一つつくと一つ年をとるというからなるべくため息をつかないようにしてたの」

 ほのが、ポットからお茶を注ぎながら言いました。

「だけど、そんなことを考えていたら、ため息をためる数だけ逆に老けていくことに気づいたの」

 タヌキが、うなずいています。

「それからは、割り切ってため息をつきまくっているわ」

 ほのはフフッと笑いました。

「それもありだわよ」

 タヌキが、あははと笑いました。

「だけど、ため息ばかりつく人生っていうのも悲しいわね」

 ほのがそういうと、タヌキは静かにうなずきました。

「私はね、ため息をつきそうになった時は、夕焼けや月を思い出すんだよ」

 タヌキが窓の外を見ました。

「どうして」

 ほのが聞きました。

「夕焼雲は美しいだろ。あの景色を見ていると、ああ、明日も頑張れる。って思うんだよ。月を見ると、ああ、私をお月様は見ていてくれる、いつだって慰めてくれる、理解してくれているって思うんだよ」

 タヌキを見ると、タヌキは夕焼けに染まって顔が赤っぽく見えました。

「がんばらなくてもいい、とも言ってくれるの?」

 ほのがきくと、タヌキはもちろんと言いながらほのの顔をじっと見ました。

「自然は、いつでも弱いものの味方さ」

 タヌキに言われて、ほのはハッとしました。

「弱いもの……」

「弱くていいんだよ」

 タヌキに言われて、ほのの目からまた大粒の涙がこぼれました。

「ここに来る人間はみんな疲れて途方に暮れた人たちなんだよ。みんな自分の進むべき道を見失ってやってくるんだ。もういいんだよ。自分の道をお進み」

 タヌキに背中をポンと押されて、ほのは気づくと元居た場所に立っていました。

 白いエプロンをしたタヌキが、通りの向こう側にぼんやり見えました。

「人生はお天気模様」

 遠くからタヌキの声が聞こえてきたような気がしました。

「雨の日もあれば晴れの日もあるさ」

 

 ほのが家に帰ると、子供が起き上がっていました。

「お母さん、どこに行っていたの?」

「ほのの町よ」

 ほのの背中に夕焼け空が広がっています。

「ほのの町?どこにあるのその町」

 子供の顔もほんのり夕焼け色に染まっていました。

「さあ、おいしいご飯を作りましょう」

 ほのはそう言うと台所へ向かいました。

「お母さん、もう僕たちでご飯は用意したよ。お母さんは、少しゆっくりしてよ」

 ほのは、自分の頬をつまみました。

「だから、言っただろ。大人になる前の儀式じゃないのって」

 タヌキのぽこぽんが、いつの間にかほのの横に立っていました。

 白いエプロンのタヌキもいます。こだぬきも赤いリボンを揺らしながら小躍りしています。

「また迷ったらおいで、ほのの町はほのの町だから」

 三匹のタヌキはそういうと、手を振ってそれぞれの道を帰っていきました。



 


 

 

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ほのの町 んが @konnga

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