第37話 西へ
数日をあのアマクニの孤島で過ごした。
ニールもハルも気分が晴れることはなく、しばらく抜け殻のように引き込もって暮らしていた。
あの後オリーブがどうなって、干上がった海底もどうなったかなど、ニールは気にもならなかったし、確かめもしなかった。
クリスの遺体をその場に埋め、カラスエムブレムの残骸もそのままにして帰ってきていた。
本当に試練に勝てたかは疑問だったが、世界がまだあるのだから神にも認められたのだろう。
だから二人はしばらく部屋にこもり、ひっそりと過ごして休息を取っていた。
ただ誰かの慰めを求めていて、救われたかったのだ。
しかし、いつまでも部屋に引き込もっている訳にはいかなかった。
このまま性根が腐ってしまうと犠牲になった人は報われない。
それどころか神の試しを無為にすれば人は無条件で滅ぶ。
五人兄弟を救う望みも絶たれてしまうだろう。
だからニールは腐らなかった。
しばらくしてから、また旅に出る決断をしたのである。
まだ明るんできたばかりの部屋に起き、ニールは立ち上がった。
油の残るデニムパンツを履き、使い古したインナーシャツを着る。
窓から海を見ると、藍色にグラデーションが付き始めた水平線が見えた。
「行くの?」
ニールが起きたのに気付いたのか、ハルも目を覚ました。
「悲しいけどこのままじゃ誰も救えないんだ」
「このまま島で暮らさないの? 世界が沈んだとしても、浮かぶ島を作れれば生き残れるかもしれないよ?」
「ハルならそれもできるかもしれないな。でもそれじゃあダメなんだ。犠牲になった人も報われないんだ」
ハルは目を伏せつつもゆっくりと首を縦に振った。
「……わかった。でも、また一人で行っちゃうの? あたしはニールの力になれないの?」
「でもハルはアマクニでの仕事もあるだろう?」
「アマクニは誰かにしばらく引き継いでもらう。あたしの知らない場所でもニールが行きたいなら付いてく。ニールさえ頼んでくれればあたしはどこだって付いていくんだよ?」
ニールは真っ直ぐに気持ちを告げるハルに困惑した。
何もかも置き去りにして自分に付いてこようとするハルはニールにとって有り難かった。
しかし、自分のたった一言でハル自身もアマクニも左右されてしまうとなると、簡単には頼むことはできずに躊躇ってしまう。
「馬鹿、アマクニは両親から受け継いだものだろう。そんなこと簡単に言うなって」
ニールは素直に頼むことができず、逃げるようにして部屋から出ていった。
望んだ言葉を聞けなかったハルは、しゅんと目を伏せて、脱ぎ捨てられていたブーツを履いた。
日が昇ってきて朝の業務が始まる一方、ニールは船着き場に留められているホワイトピジョンの元にいた。
ずっと部屋に引き込もっていたニールはようやくしてオリーブとその周辺がどうなったのかを聞く。
話してくれたのは、ヒロが雇ってきてくれたうちの一人……アマクニでハルの次にエンジン構造に詳しい者だ。
「オリーブは現在、チルナノグで図書館を営む者が調査を続けてます。干上がった海底から次々に古代の遺産が発掘され、文献も今まで以上に引き揚げられています。ですが、オリーブに関しては調査を続けても謎が深まるばかりです。どうやって海を干上がらせているのか、どんな力を秘めているのか、今の私たちには見当も付きません」
子細に説明してくれていたが、ニールが気になったのはたった一つだけだった。
「図書館やってる人ってヒロの後任?」
「後任ですが、元々海底探査を一緒に行っていた仲間です。ヒロさんのことは、私を含め、みんな残念がってます」
「わかった、ありがとう」
ニールは去っていく従業員を見て、物思いにふける。
自分がハルを連れていったら、その間はあの従業員がまとめてくれるのだろうか、それとも全ての責任を押し付けられてアマクニは潰れるのだろうか。
ニールは考えずにはいられない。
それどころか、逆にハルを置いていったとしたらどうなるのかも考えてしまい、ニールは悩みながら浮き桟橋で波に揺られていた。
ニールがアマクニからもチルナノグからも発とうとしている今、それだけが心残りだった。
しかし、オリーブの試練や、兄弟を救う使命に追われるニールに時間の余裕はなかった。
それから数時間後にはホワイトピジョンの燃料補給も済み、増装タンクの取り付けも済み、長旅の荷物も積み込み終わった。
出発の準備は全て終わり、後は機体に乗り込むだけになった。
旅の見送りに、ハルやアマクニの従業員も浮き桟橋に集まった。
翼に上るニールにハルは尋ねる。
「今度はどこに?」
「西だな。西に進んでればエコートピアってところが見えてくるみたいなんだ。その先にも目的地はたくさんあるし、世界は広いよ」
「長くなるんだね」
目を伏せるハルを横目にしながら操縦席に乗り込む。
やっつけにエンジンスタートを押して、エンジンを温め始めた。
ニールは眉間にしわ寄せながらブレードの回転音を聞いていた。
誤魔化そうとしても心はざわざわと騒いでいて、気持ちが収まらない。
それは旅立ちの高揚感でもなくて、マシンの起動に心踊っている訳でもなく、ただ納得できないことに苛立っているだけだった。
そして遂にニールは堪えきれなくなって、勢いよく立ち上がった。
操縦席から身を乗り出して叫ぶ。
「ハル! やっぱり一緒に来てくれ! ホワイトピジョンを直せるメカニックはお前だけだ! 旅先で故障したら困る!」
エンジンの爆音に負けないくらいの声で叫ぶと、ハルは眉を曲げる。
「それだけー?」
ハルが納得してくれなくて、ニールは言葉に詰まる。
それでもニールは顔を赤くしながらも必死に叫んだ。
「それに俺が心細い! お前なしで一人旅したくないんだよ!」
ニールの恥を捨てた訴えにハルが吹き出すように笑った。
さっきの寂しそうな表情とは裏腹に、今は面白おかしく笑っていた。
ニールの気持ちが聞けて嬉しい、というよりおかしいようだ。
それでも宣言した通り、拒むことはなかった。
ハルがアマクニの従業員からパイロットスーツを手渡されると、タンクトップの上から着込んで機体へ飛び移る。
投げてもらった荷物を主翼の上で受け取り、微笑みながら後部座席へ乗り込んだ。
「まったく、言うのが遅いよ」
「ハルだって準備万端だったじゃんか」
おどけるハルにニールは口を尖らせる。
アマクニの見送りに手を振りながらキャノピーを閉め、ゆっくりとスロットルを上げた。
桟橋から離れると機体はぐんぐんスピードを上げ、軽やかに海を離れると、ニールとハルを乗せたホワイトピジョンはまた大空を飛んでいった。
ノアの飛ぶ舟 堀河竜 @tom_and_jetli
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