第34話 大樹の戦火

カラスエムブレムはすぐに発砲してきた。


弾の雨がカタパルトを破壊したと思うと、海面に水しぶきを上げながらホワイトピジョンの尾翼を涼る。


弾をもらいそうだったが、ホワイトピジョンは驚異的な加速で振り切った。


「ジェットじゃなかったら当たってたかもな」


ニールは苦し紛れに笑ったが、後部座席のハルは叫ぶ。


「まだ来る!」


クリスが真後ろに着いて攻撃を続けてきたが、ニールは機首を真上へ向かせて高度を取る。


加速力にものを言わせて、一気に距離を離す。


向こうの機体が必死に上昇している高度でも、ホワイトピジョンは悠々と上昇した。



敵機が付いてこれずに失速したのを見計らって、ニールは機体を宙返りさせて急降下の体勢を取った。


今度は敵機を追う状況になり、一気に優勢へと変わった。


「ハルが作ったエンジンで状況を覆せた」


二機とも機体が水平になってからニールが誉めたが、ハルはマイナスGを耐えるのに必死で言葉が出ない。


赤く染まり始めた視界でも、耐G呼吸を繰り返しながら戦いを見届けていた。



ドッグファイトで背後を取られた敵機は速度を維持しながら軌道を修正していた。


カラスエムブレムが逃げていく先を見てニールは息を飲む。


「まさか、あのオリーブに向かうつもりか」


オリーブを戦場にすればどんな戦いになるのか。


ニールにも経験はなくわからなかったが目は据わっていた。


「ハル、兄さんの無線機の周波数、調べられるか?」


ニールが兄を追いながら尋ねた。


「やってみるけど、できるかわかんないよ?」


それでもニールは「頼む」と静かに告げた。


ハルは断らなかったが、あまり無線機の操作に気が進まなかった。


心配そうな目で前方席を見つつ、言われた通りに周波数を合わせ始めた。




空から見て、ようやくオリーブの全貌が二人の視界に入った。


海から浮上していた木だったが今はその中心から海を割って穴を作っている。


その穴の底から大きな根を張っていて、直径一キロ以上もある幹に続いていて、枝を雲をも突き破るほどに伸ばしている。


枝だけでも直径三メートルは優に越えていて、その上に機体を停めることさえできそうだった。



これが神から機会を与えられた、人類を救えるかもしれない力なのか。


ニールは空戦の最中でも驚いていた。



この力が人類滅亡に向かわせないためにもニールは試練に勝たなければいけない。


ニールは改めて意気込もうとするが、やはりクリスのことが振り切れず、支配による平和も認めたくはなかった。



悩んでいる隙にも、そのクリス機は巨大な木へ向かって降下を始めた。


遅れながらもニールは操縦桿を倒し、敵機の背後に張り付いていった。



しかしカラスエムブレムはオリーブの幹に沿って降下していき、高速で太い枝の間を抜けていく。


翼を右に左に傾け、バレルロールしながら器用に抜けていく。


その姿は背後から見ていても目を見張るもので、この軌道に付いていけるのか不安にさえさせてしまうほどの操縦だった。



それでもニールの目の前に枝は迫る。


クリスの操縦を真似するように、操縦桿を忙しなく操作して必死に後を付いていった。


「兄さんはこんな飛び方もするのか……」


少し間違えば衝突も免れない状況を強いられ、操縦桿の手に自然と力がこもる。


もしかしたら機体性能では勝てても腕では負けているのかもしれないと、ニールは飛んでいるうちに自信さえなくしかけていた。


今は兄の後ろ姿を真似て枝を避けられているが、前を飛んでいたら避けられるのだろうか。


迷いや不安を抱え始めるニールにクリスが次の一手を打った。


カラスエムブレムが前方の枝を撃ったのだ。



ばらばらに折れた枝の破片を見て、ニールは目を見開く。


流れてきた破片を避けて、クリスとは違う軌道を取らされた。


更に大きく操縦桿を切らされたことによって、幹の壁が迫る。


咄嗟の操作で激突は避けられたが、ニールの頭上すれすれを壁が走った。



あと少し対応が遅れていればどうなっていたことか。


ニールは生唾を飲み込む。パイロット帽の下に嫌な汗が流れ始めた。



そして気付く。


枝の破片を避けている隙にカラスエムブレムが姿を眩ませたことを。


それでも策敵はすぐに済む。


敵のエンジン音が背後から聞こえたニールはもう一度喉を鳴らした。



撃たれる、とニールは思った。


枝の間を飛ぶだけで必死だというのに、背後からの攻撃まで避けられない。


追い詰められたニールは四門の40ミリ機関砲で前方の枝を撃った。


打開策はクリスと同じ攻撃しかなく、咄嗟にホワイトピジョンの砲弾を撃つしかなかったのだ。



カラスエムブレムは枝の破片を避けて後方へ下がったが、ニールの心はまだ休まらなかった。


少しの油断もできなかったが、それでも状況を覆せない訳ではない。




地上が近づいてきて、ホワイトピジョンは枝の間から抜けて水平へ戻った。


干上がった海底近くを飛んでいるので、海に沈んでいた町の建物が眼下に見える。


オリーブの力の限界には海の壁があって、ニールたちはその囲いの中を飛んだ。


翼を90度傾けて、海の壁を下方、海底都市を左にする。


海の壁に沿ってすれすれに飛んだ。



カラスエムブレムは撃ってくる。


しかし壁をすれすれに飛んでいるので狙いが付けづらく、弾道は逸れていく。


更にエンジンの性能差で距離を離していき、後続を一気に突き放した。



そのまま高高度へ逃げたニールは耐G呼吸を繰り返しながら敵機を眺めた。


「危なかったけどエンジン性能差がある。俺の腕は負けてるけどハルは勝ってるんだ。このまま高度から攻めれば勝てるかもしれない。でも……」


格好がつかないのを気にしている訳でない。


性能に頼って勝つことを躊躇っている訳でもない。


相手がクリスであること、神の言う平和を認めてしまうこと、それらが未だニールを躊躇わせていた。


この期に及んでまだ引き金をクリスに向けられず、弾もほとんど使っていなかったのだ。



ニールが攻撃体勢に入れずにいると、ハルが後部座席から叫んだ。


「無線繋がったよ!」


ニールは「でかした!」と言ってすぐにクリスへ訴える。


「兄さん、考え直してくれ! 支配でできた平和なんてまやかしに過ぎない。自由のない平和なんて人を幸せにしない、ただ家畜にするだけなんだ!」


無線は繋がっているはずだがクリスからの声はない。


ニールは無線機のマイクを握った。


「オリーブの試練は、人の心に争いの兆しを確かめているはずだったんだろう。これじゃあ試練に勝っても戦争の未来しかない。また世界を滅ぼしかねないぞ!」


無線機からようやく声が返ってくる。


『貴殿の言う平和は前人類も長きに渡って理想としていたものだ。しかし現実にはならず、結果的に世界を滅ぼしかけた。神が誓いを破ってまで大洪水を起こし、ようやく今の世界は保たれている。だというのにまだ神に人を信じさせようと言うのか? 貴殿の言う甘い理想を信じさせようと言うのか?』


「でも人が人を管理するなんて傲慢だ。力で人をねじ伏せてたって、それこそ戦争は起きてしまうんだ」


『そんな未来にしないために試練はある。試練に打ち勝った正しい者が正しい平和を作るべきなのだ』


「兄弟を戦わせる試練なんて認めるか!」


ニールは操縦桿から手を離してまでマイクへ叫んだ。


「神様が俺だけに見せた幻影だとか言ってるけど、本当は嘘なんだろう? 俺が戦えなくなるから偽ってるだけなんだろう?」


『……何を根拠に』


「整備場を爆撃する直前、忠告してくれたあの声は兄さんのだったんだろう? 本当は殺さなきゃいけなかったのに、忠告してくれたんだろう」


整備場が爆撃された時、ニールがいち早く気付いてクリムゾンレッドを発進できた。


それは何者かの忠告があったからであって、それがなかったらニールたちは脱出に遅れていたかもしれない。



ニールはずっとその時の声が誰だったのか、どうやって伝えてきたのか考えていたが、神の使いたるクリスに違いないだろう。


ニールの名前を知っていて、爆撃直前で忠告できるのはクリスしかいない。


クリスも否定できないのか、すぐには答えが返ってこなかった。


『……兄弟だからと言って試練を放り出す訳にはいかない。仮に私たちが兄弟だとしても戦わなければ世界は海に沈むのだ』


「でも兄さんだって戦いたくないんだろう? オリーブの試練を認めちゃいないんだろう?!」


『それでも戦うしかない! 戦わなければ世界の人が死ぬ! お前はまだそれがわかり切っていないのだ!』


無線機からそんな悲痛な声を聞くと、後方を飛んでいたカラスエムブレムが不意に軌道を変えた。


有利な状況だったというのに、それを投げ出してどこかへ飛んでいく。



何をする気かとニールはカラスエムブレムの行方を見る。


すると、その先にはヒロが待機しているはずのクレーン船が小さく見えた。



まさか、とニールが思った瞬間、無線機から声が響く。


『試練を放り出すというのは全ての人を見殺しにするということ。その片鱗を今からお前に見せて思い知らせてやる!』


「まさかヒロを?! やめろ!」


クリスを追おうとするが距離が遠すぎる。


全開で機体を飛ばしても間に合わない。


「やめろーーっ!」


ニールの叫びも空しく、カラスエムブレムは30ミリ機関砲の雨を降らせる。


少しの容赦もない攻撃は船を的確に貫き、操舵室、貨物倉庫、燃料室をも破壊した。


船はカラスエムブレムが過ぎ去った後、燃料やエンジンに火がついたのか大爆発を起こし、水面に衝撃が伝わるほど、黒いキノコ雲を上げるほど、木っ端微塵に吹き飛んだ。



爆発が上がった後もオレンジ色の炎で豪々と燃え、真っ黒な煙を吹き上げる。


船に残っていたクレーンも爆発と同時に海へ落ちていて、デッキももう原型がない。


操舵室があったところなど最初に吹き飛んでから瓦礫に埋もれきっていた。

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