第26話 ハルの耳

それからもうしばらくして、エアレースの日程が迫ってきた。


孤島に二人だけで来た当初は見送らざるを得なかった大会が間近になっていたのだ。


ヒロが集めてくれた従業員のおかげで機体はどうにか形になってきており、その大会への出場も見込めるようになっている。


あれから更にヒロが何人か雇ってくれて、予定よりずっと早く機体が完成しようとしていた。



以前のクリムゾンレッドと同じ部位は大会までに組み立てられそうだった。


独特なシルエットをした機体だが支障はない。


問題は新しく実装した部位だった。



夜、ハルはシュラフの中で書類を見つめながら唸る。


大工が仮設住居を建ててくれたが、結局そのままニールとハルは整備場にテント泊まりしている。


鉛筆をくわえているハルにニールは助け船を出した。


「そんな顔してなに悩んでんだ?」


「新しくクリムゾンレッドに実装する部位のことよ。大会当日に間に合うかわからなくなってきたの」


「えっ、当日までの実装は諦めるかもしれないってことか?」


「それができたらまだ苦労はないけど、エンジンも新しいものを載せるでしょう?」


「じゃあ次の大会は諦めるしかないってことか?」


エンジンは心臓となるもので、なければ機体はただ羽根がついているカヌーだ。


水上機を飛ばせないのなら大会を見送らなければならないだろう。


「あのエンジンは前にも動かしたことあるけど載せるのは初めてなの。エンジンのことを書いてた文献も吹き飛ばされちゃったし、ここからはあたしの勝手で載せなきゃいけないんだよ」


「えぇ、やっぱり諦めなきゃいけないかな……」


「いや、それはまだ早い」


ハルが歯を食い縛りつつ強気に笑う。


「早く空を飛びたいんでしょう? 時間を掛ければできない訳じゃないんだから精一杯やってみるよ」


「行けるのか?」


「大丈夫だと思う。それに、あたしだけじゃなくみんなにも無理してもらうし」


きっと明日から今まで以上に仕事が増えるのだろう。


労働時間を伸ばすことで煽るハルだったが、自らも恐々とはにかんでいた。




それからハルの言っていた通り仕事をしている時間が長くなった。


全員いつもより早めに仕事を始めて遅めに終わる。


休憩さえも短めになって、働いている時間が二時間ほど長くなった。



最初は嬉々として働いてくれていた仲間たちだったが段々と表情が暗くなっていき、疲れが見え始めた。


大会までの短い間のことだったが毎日続くとやはり体力的にも効率的にも厳しいようだった。


しかしその中で誰よりも働いていたのがハルだった。


一番複雑な部位を担当している者が一番根気を見せていたのである。



それでも大会前日になって未だ上手くいっていないことがあった。


エンジンの取り付け作業に不具合が相次いでいたのだ。


設計の問題ではないので致命的ではなかったものの、エンジンマウントのサイズが合わなかったり、接続で上手くいかなかったり、予想範囲内ではあったが時間が掛かっていた。



エンジンはいくら推力があっても機体構造に結合していなければ力を機体に伝えることができない。


発動機架と呼ばれる部材があり、その部分にたった三本のマウントでエンジンを搭載して機体と結合させる。


エンジンは一基1500キロ以上もあるので安易に搭載してしまうと、例えば手が挟まったりするだけで大怪我に繋がる。


ハルだけでなく五人の整備班で取り付けているのだが、一人でも欠かす訳にはいかない。



それでも大会までの時間が容赦なく迫ってくる。


時間を掛ければ達成できそうだとハルは言っていたが、そうはいかない。


全員疲れが見え隠れしていたが気持ちは同じであって出場を諦めずに作業していた。




そして大会当日の朝を迎えた。


テントの中で目を覚ましたニールが隣のシュラフを見ると、ハルが力尽きたかのように眠っていた。


昨夜遅くまで粘っていて、ことを成し遂げた後すぐに眠ったのだろう。


ニールがテントから覗くと、機体は見事に完成していた。


その水上機はドリーに乗っていて、エンジンも搭載させてある。


塗装までの時間はなく銀色のままだったが、ひとまず飛べるまでに至っていた。


「よく頑張ったな、ハル」


静かに眠っているハルを見て、ニールは優しく笑みを浮かべた。


ゆっくり手を伸ばして、ピアスをしていないハルの耳に触れる。


いつもはゴールドリングのピアスを二つ着けているが、そこには今小さい穴しかない。


その耳をゆっくり撫でると、髪を掻き上げて耳にかける。


そのまま愛おしそうに頬を撫でてハルを見詰めていた。



それからニールはハルから離れると、朝食の支度のためテントを出ていった。



ハルはすぐに目を開けて、両手でシュラフを握り締める。


心を落ち着けるかのように深く息をして、しばらく顔を赤くしたままシュラフにこもっていた。

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