第24話 ニール、多くの有志に
船に戻るなり二人はヒロに海底での出来事を話した。
オリーブの木のことを聞いてみるとやはり今まで情報にないようだった。
見たことも聞いたこともないようで、ヒロは木よりもダイオウイカに襲われたことを心配していた。
大事なかったことを説明すると、ニールとハルは海深くを泳いだ疲労からデッキに寝転んだ。
空はもうオレンジ掛かっていて太陽が水平線に近い。
行動するには急がなければならないが二人はなかなか起き上がれず、濡れたままの体がデッキを湿らせていた。
「なあ」
ニールが言った。
「それでもまだ飛びたい」
ハルは大きなため息を吐いた。
きっとハルが止めたとしても無駄で、ニールはまた勝手なことをするのだろう。
ニールには兄のことは大切でも警告などでは止まらないほどの執着が空にあるのだ。
「はあ……きっとあたしが手伝わなくても勝手にやるんだよね。設計も自分でやるだなんて言い出しそう」
「ハルがいなかったらきっとそうしてた」
「もう諦めの境地だよ」
ハルはまた大きなため息を吐いた。
今度は声が混じるほどの大きなため息だった。
「それじゃあ行こう。もう回り道はできない」
「あたしはお兄さんに襲われても知らないからね」
ハルはまだ何か言いたい様子だったが立ち上がる。
先を行こうとするニールに渋々着いていき、クリムゾンレッドを引き上げる準備をするのだった。
探索には多くの時間を要したがクリムゾンレッドの引き上げはスムーズに行うことができた。
海の怪物に襲われることもなく、特に問題が起きることなかった。
クリスに警告された後だったが襲撃を受けることもなく、機体の部位をほぼ回収するに至っている。
墜落時に脱落しなかった、機体胴体と右翼、その尾翼が引き上げられて、今はクレーン船の上で洗い流されていた。
「ねえ、ニールに言われるまま付いてきたんだけどさ」
ハルがホースで機体に流しながら言った。
「チルナノグにあった、アマクニモータースはもう爆撃されちゃったでしょう? どこで機体を直すつもりなの?」
本来ならチルナノグの整備場で機体を直すことができたのだが今はもうない。
チルナノグにはあの広さの整備場はなく、代わりになるような土地さえも限られていた。
クリムゾンレッドを直すのならまず整備場から設けなければならない。
「あぁ、そのことか。心配ないから待ってな」
ニールはまるで取るに足らないことのように答えたが、ハルは手を打つことはできなかった。
眉をひそめながら待っているとやがて船先に1平方キロメートルすらもないような大きさの島が見えてきた。
岩肌が目立っていて人が住むには向かないが、平たい形をしているところが救いで、コンクリートの建物が一軒だけ見える。
海には面していないが長いスロープが下りていて、そこから船を引き上げられそうだった。
ハルはその島を見て唖然と言った。
「まさか、あそこで?」
「チルナノグだとまた爆撃されるかもしれないと思って、入院中ヒロに頼んでたんだ。必要なものは全部運んである」
「信じられない……あたしこれからあそこで寝泊まりするの?」
「建物は自然にあったものだけど、中はある程度綺麗にしてもらったはずだ」
「それでも無人島生活なんだよ? 生活はまだしも、物資を運ぶのだってコストが掛かるんだよ? しかもそんなところで飛行機、ましてやエンジンを組もうだなんて正気じゃない」
「でも誰にも邪魔されずに大好きな機械イジリできるじゃん。夜中でも騒音出しまくれるな!」
「馬鹿にしてるの?!」
ニールが言うなりハルが目くじらを立てた。
前向きなことを言ったつもりだったが余計だったとニールは口を押さえる。
「わ、悪かったよ……でもさ、爆撃されるよりはマシだろう? とりあえず整備場の中を見よう。見てみればきっと気に入るって」
ニールはハルの機嫌を損ねないよう、逃げるように上陸の準備を始めた。
船はゆっくり島へ近づき、粗末な船着き場に停まった。
ニールとハルは名もない島の整備場へ上がった。
外見は朽ちた廃墟のようだったが、中はニールの言う通りコンクリートの上塗りで整えられていて、整備に必要な道具も備えられていた。
ハルは建物内を見回して呟く。
「確かに整備場に必要なものはある。精密機器もチルナノグから運んでもらえればまだ望みはありそう……。でもどうやって生活するの? 見たところ台所もないんだけど」
「もう少し内装に手を加えるつもりだよ。でもしばらく貧相な食事になるかな」
「そんなことできるの?」
「西まで旅した知恵がある。何とかやってみるよ」
ニールは毅然と言ったがハルの表情は晴れなかった。
しかしニールはそんな顔をされても無理はないと考えていた。
ハルは幼少期からの付き合いがあって最も親しいと言ってもいい人物だったが、それでも罪悪感を持たずにはいられなかった。
珍しくニールはハルと向き合って真剣な表情で告げる。
「ハルには迷惑を掛けてると思う。アマクニモータースが爆撃されたのも俺のせいだと思うし申し訳ないないよ。でも俺はハルの作った飛行機で飛びたい。アマクニモータースの機体じゃなきゃだめなんだ。代金はエアレースの賞金で全額払うからどうにか引き受けてもらえないか?」
ニールの真っ直ぐな言葉にハルの顔が初めて揺らいだ。
それまでは無人島での生活など到底受け入れられない様子だったがハルは動揺して奥歯を噛み締めていた。
ニールを真っ直ぐ見れずに目を逸らしてしてしまっていたが、ハルも意を決して告げる。
「一つ条件を出させて。あたしとしてだけじゃなくアマクニモータースとして受けてもらいたいこと」
「なんだ?」
「チルナノグのエアレースで専属パイロットとして飛んで。あたしの会社の看板を背負って優勝するって約束して」
ハルはきっと今までニールには身内として付いてきたのだろう。
しかし経営していた整備場をなくして、住むところをなくして、生きるための選択が迫っていた。
今まではニールを想う気持ちだけで付いてきていたが、ここからはスポンサーとしてニールを支援していくことに決めたのだ。
「わかった。賞金で機体代が払えるまで、俺はアマクニのパイロットになろう」
「ニールの腕は信用してる。エアレースでもきっと優勝できるって思ってる。一番近いエアレースには間に合いそうにないけど、その次は出られるかな。でも――」
ハルは堪えきれずに言った。
「これからの生活が不安だよー」
「し、心配しなくていいって。一応俺は西まで旅してたんだぜ?」
「空の旅はしてたかもしれないけど陸で野宿とかしたことないんでしょうー?」
「水上機で海に下りて寝泊まりはしてたぞ? それにほら、整備場の外に出なければチルナノグの時と変わらないんじゃないか? ハルも元々ほとんど外出しなかったし平気だろう。身の回りのことは全部俺が引き受けるつもりだし、機械バカにはむしろ天国だな!」
ニールが言うなりハルの拳が飛んだ。
またも余計なことを言ってしまったニールに今度は容赦なくハルの怒りがぶつけられる。
よかれと思ったはずだったのに、ニールは失言を後悔する間もなく床に沈むこととなった。
その次の日のことだった。昨夜はクリムゾンレッドを島の整備場に引き上げ、その後は非常食で夕食を済ませてテントで眠っていたが、無人であるはずの島が突然賑やかになって目が覚めた。
ニールもハルも慌ててテントを出て整備場の外へ出ると、昨夜帰ったはずのクレーン船が桟橋に停まっていて、たくさんの人が降りてきていたのである。
ヒロが先導して整備場へ上がってきたのでニールが問い詰める。
「ヒロ、どういうことだ? 俺はこんなこと頼んでないぞ」
「ごめん、勝手に従業員を採らせてもらったよ」
「従業員?」
ハルもヒロに問い詰める。
「二人だけで飛行機を作るなんて待ちきれないよ。僕からも何か手伝いたくて、昨晩は酒場でずっと人を募ってたんだ」
「それは有り難いけど、あたしの予算じゃ機体だけで手一杯で人件費なんて出せないよ? ニールだって今回は全額ローンだし……」
「いいんだ。今回は僕の貸しにしておく。新しいシンデンも早く見たかったし、ニールが優勝したら返してくれればいいんだ」
「ヒロ……」
ニールはヒロの懐の大きさに心打たれて口を開けた。
ヒロが一晩中酒場で人集めに回ってくれたことを思うと言葉が出ない。
そして思い出した。
ヒロはニールとハルに匹敵するほどシンデンに魅せられていることを。
「あ、有り難いけど、この島にこんな大人数泊まれないよ?」
「その心配は無用だ」
ハルの問いに、ヒロが連れてきた内の一人が答える。
ニールは会ったことのある大工だ。
「ちょうど大工の仕事が空いてたんだ。飛行機なんてデリケートなもんが造れるかわからんが、住むところは任せてもらっていい。カミさんに叱られないまでは参加させてもらうぜ」
さらに奥から人が名乗り出る。
「普段は配管工をやってる。まずは水回りが先か? 早く製作に加わりたいな」
「あたしはチルナノグの食堂で面倒を見てるよ。料理以外でも頼ってもらっていいわ」
「俺は鋳造士をやってる。難しい仕事だがやってみるさ」
ニールは思わず口を押さえた。
目に力を入れて堪えようとするが涙が一筋溢れていく。
集まってくれた人の前で静かに泣いていた。
ハルとヒロも続ける。
「すごいよ……あたしやヒロだけじゃなくて、チルナノグのみんなもニールに期待してくれてるんだ」
「エアレースで活躍したニールの名前を出したら快く引き受けてくれたよ。来たくても来れなかった人だっている。さすがに一晩じゃ二十人ぐらいが限界だったけどね」
ニールが涙を拭って言う。
「十分さ。まったくこんなに集まりやがって。みんな予定ほっぽり出してバカばっかりだ。大好きだ」
ニールの悪態に皆快く笑った。
肩を叩き合って互いに罵り合っていたが誰もが楽しそうに笑って嬉しそうにしていた。
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