孤島アマクニ編

第20話 ニール、自分らしく

ニールが目覚めたのは嵐が晴れてからだった。


温かいベッドの上で、隣の椅子にはハルが座っている。


チルナノグの病室にいるようで、錆が目立つ鉄製の家具とベッドがニールの視界に映った。


ニールは上体を起こして呟いた。


「助かったんだ」


ハルは涙ぐみながら言った。


「まだ寝てて。傷が塞がってない」


ニールが見てみると腹部は包帯がいっぱいに巻かれていた。


それを見てあの時何かが突き刺さっていたことを思い出す。


「何が刺さってたんだ?」


ニールが聞くとハルは目を拭って袋を取り出した。


袋の中には棒状のものが入っていて、グリップ部分には赤黒いもので固まっている。


「操縦桿が折れて刺さってたみたい。浅かったからよかったけどもう少し深かったら臓器も痛めていたかもしれない」


ニールは起きたばかりなのに気が遠くなる思いをした。


水の中で見えなくて、かえって助かったかもしれない。


「こんなになるまでやつらを追ってくれたんだね。でも、あたしはニールまでいなくなってほしくない。本当に戻ってきてくれてよかった。爆撃した犯人を連れてくるよりずっと嬉しいよ」


ハルは目に涙を溜めてニールの手を握る。


ニールはまだうまく動かせない手で握り返した。


「クリス兄さんに撃たれたんだ」


ニールは脈絡なく言った。


「クリスって、五人兄弟の長男だったよね。なのにどうして弟のニールを撃つの?」


「俺もわからない。でも正面から撃ち合った時、十年前のままのクリス兄さんを確かに見たんだ。それに飛び方も常人離れしてて普通じゃなくて、まるで魔法でも使ってるみたいだった。ちゃんと戦ってても勝ててたかわからない」


あの護衛機に追い掛けられた時を思い出してニールは身震いする。


どんな軌道をしても付いてくる敵。


どこまでも耳から離れない銃撃音。


あの時のプレッシャーと恐怖はまだ鮮明にニールの記憶に焼き付いていた。


それを振り払うようにニールは言う。


「どうしてハルの整備場を爆撃したのか、どうして俺を撃ったのか、訳がわからなくて頭がどうにかなりそうだ」


「何か手掛かりになるものは?」


「……カラスのエムブレムを着けた水上機だってことだけだ。でもそんな機体は知らないし、あんな大きな爆撃機だってチルナノグで見たことがない」


「わかるのはチルナノグの外から飛んできたってことだけか……ニールが旅のどこかで恨みを買った相手ってことはない?」


「そんな馬鹿な」


ニールは勢いで否定したが、よく考えてみると思い当たる節がないこともないことに気付いた。


ニールの表情が曇っていくのを見て、ハルは眉間を寄せていく。


「ちょっと待って、あの爆撃機ってニールを狙ってたの?」


「違うとも言えなくなってきたな」


「もう、だから危ないことしないでって言ってたのに!」


「まだ決まった訳じゃないだろう!」


普段の調子が戻ってきた二人ではあったが、過去のことで争い合っても何も意味はなかった。


ニールもハルも話をやめて黙り込む。


握り合っている手が汗ばんだ。



ニールはハルの心配をわかっているつもりだったが、それでも譲れないものがあるのか申し訳なさそうに言った。


「ハル、傷が塞がったら、クリムゾンレッドを引き上げに行きたい。ハルには機体のサルベージと修理を頼みたいんだ」


ハルははっと顔を上げた。


「……誰とも知らない敵に襲われて、こんな怪我まで負って、なんでまだ飛ぶ気でいるの? ただあたしと一緒に平和に暮らすだけじゃダメなの?」


ハルの言うことはもっともだとニールは思った。


ハルを巻き込んでしまったし、ハルのことを想うならそうするべきなのかもしれない。


それでもニールは葛藤を抱えながらも告げる。


「心配するのはわかるけど、空にいるのが俺なんだと思う。飛ばなくなった俺は別の何かなんだ」


「バカ、なら勝手にすれば!」


ハルがニールの手を振りほどいて部屋から走り出した。


ニールはハルが怒る理由を知りながらも黙って見送る。


ハルが勢いよく外へと飛び出していくのを複雑な表情で見ていた。


ほぼ同時にやってきたヒロがハルとすれ違った。


唖然としたヒロの顔は部屋の外からでもニールの目に映った。


「ハルと何があったの?」


「いいんだ、俺のアイデンティティの問題さ。それよりヒロに頼みたいことがあるんだよ」


「頼み?」


「クレーン船を出してほしい。クリムゾンレッドを探し出して、海底から引き上げたいんだ」


それを聞いてヒロは何があったのか大体察したようで、大きくため息をついた。


やれやれ、とでも言いたそうに表情で言う。


「それって僕がシンデンのファンってのをいいことに言ってない? 僕がニールに協力すればハルになんて言われるかわからないのに」


「でもやってくれるんだろう?」


呆れられてもハルに怒られても、全く省みないニールにヒロはまた大きくため息をついた。


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病院で目覚めてからのある日、ニールは夕焼けを見ようと、病院の屋上に来ていた。


歩こうとするとまだ傷が痛むが、それでも外の風に当たりたくて体を引きずってきていた。


二階からの景色なのでそこまで眺めはよくないが、チルナノグにある建物はどれもあまり高くはない。


病院の二階からの景色でもチルナノグの住宅から港まで眺められた。



町はいつもと変わらず平穏に満ちていた。


子供たちは車輪を転がしながら走り回っていたり、駒を回したりして遊んでいる。


トタンでできた商店街では八百屋が客を呼び込んでいて、魚屋は商売の合間に、野良猫に余り物をあげたりしていた。



夕焼けはそんな平和な町並みをオレンジに照らしていて、淡い影を落としていた。


海が反射していることもあって、太陽はとても眩しかった。


「ここにいたんだ」


ニールが町を眺めていると、ハルが背後からやってきた。


「怪我してるのにいきなりいなくなるんだから焦ったよ」


「ごめん。でも寝てるのも飽きちゃって」


ハルがニールの隣に来て、一緒に柵に手を掛ける。


チルナノグを照らす夕焼けを眺めた。


「いい島だよな。きっとこれが俺の故郷で、いつか帰ってくる場所なんだ」


「ニールが育ったのがチルナノグであたしたちの家なんだから、当たり前でしょう? そりゃあ、生まれた場所は違うし、知らないけど」


「生まれたのは確か、家族の飛行艇だ」


「この飛行機バカ」


「し、仕方ないだろう。そういう家族だったんだから。ハルだってメカニックの家に生まれた機械バカだろう」


ニールが苦笑しながら言うとハルも「そうだけど」と笑った。


以前喧嘩した時のような言い争いはなく、二人の間に気まずさや遠慮は全くなかった。



しかしハルはどうしても黙っておけないことがあった。


明るい表情に、オレンジの影が落ちる。


「飛ぶのがニールなんだ」


「そうだ。きっと俺が飛ばなくなるのは死ぬ時だけだ」


「でも、あたしの両親もそうやってメカニックを追い求めていくうちに死んじゃったんだよ? ずっとチルナノグにいればそんなことなかったのに、他の島へ行ったばかりに帰ってこれなくなった。あの燃やされちゃったお墓だって、本当は中に誰も埋まってないんだよ?」


「それは本当に災難だったと思う。あんないい人たちが亡くなって俺も本当に悲しかった。でも、あの人たちは自分の生き様を貫いたんだ。だから俺もハルも忘れられない」


それはハルも否定したくないのか、黙って目を伏せた。


個性のことはあれからハル自身も考えていたのか納得してくれているようだった。


「それはあたしにもわかる。自分を貫かなきゃいけない時もあるんだと思う。でも、あたしはまた一人で待つしかないの? ニールが無茶して帰ってくるのを、あたしは怯えて待ってなきゃいけないの?」


ハルは目に涙を堪え始めていた。


ニールはハルの涙ながらの訴えに困惑する。


「あたしはもうニールに置いていかれて一人で待ってるのなんて嫌だよ。力になれない自分が情けなくて惨めになる。忘れようとしなきゃいけないあたしの気持ちにもなってよ」


ニールはハルを否定することができなかった。


確かにニールはハルを一人残して、マグメイルという遠くて生きて帰れるかもわからない場所へ旅立ってしまった。


カラスエムブレムと戦っている間もハルは自分の無力さに心痛めていたのかもしれない。



それを思うとニールはハルの涙を否定する気にはなれなかった。


自分の個性との葛藤を感じながら、涙を堪えているハルの肩を抱き締めるしかなかった。


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数日が経ってニールが歩けるほどになった頃、ニールはヒロに連れられて港に訪れた。


嵐の時とは違って人が多く、掻き分けて進まなければならないほど密集している。


漁船か下ろされた魚を競りに掛けているようで、大声が飛び交っていた。



漁船などが多く停まっている桟橋の隣には水上機が停まる桟橋があった。


大型の飛行艇が多いが水上機もちらほら停まっている。


爆撃がなければクリムゾンレッドもあの中に停まっていたのかと思うとニールは奥歯を噛み締めずにいられなかった。



向かっている場所はそれらの桟橋から少し離れた、大きな港だった。


一隻の大きな船が岸壁の船止めに繋がれている。


クレーンが前と後にあるのでとても高く見えた。


「チルナノグ唯一のクレーン船だ。かつて滅んだ文明の資料を海底から引き上げてる。実は図書館にある本もこの船に引き上げてもらったものなんだ」


「綺麗に乾くもんだな」


ニールが船よりも本のことに驚くと、ヒロは「コツがあるんだ」と笑った。


「本当は海底にあるもの全部引き上げたいけど、チルナノグに置いておけないんだ。博物館を開ける場所もない」


「人が住む場所すら限られてるから仕方ない」

「そうだね。でも、僕は海底にある財産にこそ発展の糸口があると思ってるんだ。島じゃなくて海の上で繁栄する術さえもきっとある。かつての文明が滅んだ理由も海の底にはあると思ってるんだよ」


「文明が滅んだ理由?」


「鉄の塊を空に飛ばせる技術……そんなすごいものがあった文明がどうして滅んだのか、僕は知りたいんだ」


ヒロは図書館で司書をしている時よりも明るい表情を浮かべていた。


クリムゾンレッドを見る時のような羨望の目をしていたが、ニールは黙っていた。


ヒロが憧れる理由もわかるし、ニールの冒険心には訴えるものがあったが、どこか嫌な感覚を直感で捉えていた。


「それにしても、ニールはもう海に潜っていいの? ハルにも知らせてないんでしょう?」


「メモ紙は残してきたよ。読んでくれてたら、もうそろそろ来ると思う。それよりクリムゾンレッドが錆びてないか心配だ」


「……あのさ、ハルを置いてく気満々だよね?」


ヒロがニールに疑惑の目を向けていると、ニールはその背後に見覚えのある人影を見た。


どうやら、今日も早くから病室に来てくれていたようだ。


「ニール! 置いてくなとは言ったけど、メモ紙を残すだけって酷いでしょ!」


ハルが走ってくるなり声を上げた。


怒ったハルをヒロが挙動不審に見ているが、ニールは涼しい顔をしていた。


「でもまた反対するかもしれないだろう?」


「だからって置いてく気か!」


ハルの拳がニールの頬に飛ぶ。


怒ったハルは病み上がりにも容赦なかった。


ニールの体が地面から離れたかと思うと、そのまま吹き飛ばされて地面を転がる。


それでも勢いは止まらず、港の柵にぶつかってようやく制止した。


ニールはよろよろと立ち上がりながら謝る。


「わかった、悪かった、悪かったって。でも、来てくれたってことは一緒に来てくれるんだ?」


「だってあたしが見張っとかないと無茶なことするでしょう? 勝手に行かれて勝手に死なれたなんてことになるの嫌だからね!」


ハルは目くじらを立てながら言ったがニールは嬉しそうに口元を緩めた。


「ありがとうハル、来てくれて嬉しいよ」


「まったく、あたしもどうしてこんなに振り回されてるのか」


ハルはため息をつきながらクレーン船に乗り込む。


ニールは苦笑しながらそれを見送っていたが、ハルが満更でもなさそうな表情をしたのを見逃さなかった。

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