第19話 沈むクリムゾンレッド

チルナノグで待っているハルは嵐の中でも港で待っていた。


ニールが飛んでいった方向をじっと眺めているだけで何も立ち尽くしている。


整備場が木っ端微塵に壊されてしまったというのに、それを悲しがっている様子はない。


港から整備場の黒煙が見えるが見向きもしなかった。



やがて、整備場の騒ぎを聞いてハルを探していた人が集まってきた。


「よかった、ハルは巻き込まれてなかったんだね」


ヒロが司書の仕事を放って探してくれていたようだった。


走ってきたのか、ぜえぜえ息をしながら両膝をおさえている。


「整備場が燃えてるんだ。ニールはどこか知らない?」


「ニールは飛んでいった。燃やした人を捕まえに行ってくれてる」


「ニールも無事なんだね?」


ヒロはハルの言葉に顔を明るくする。


濡れて重たくなった前髪を手の平で上げた。


笑ってハルの顔を見たが、ハルは少しも笑ってはいない。


黒い空から大粒の雨が容赦なく降り注ぎ、大波が港の岸壁へ押し寄せて二人に水しぶきを浴びせる。


ヒロは怪訝な顔で尋ねる。


「屋内に行かないの? ここじゃ波に飲まれるかもしれない」


「戻ってて。あたしは心配なの」


「ニールのこと? でも大丈夫なんでしょう? 帰ってくるんでしょう?」


ハルの背中は何も言わない。


黙ったまま答えないので、ヒロは表情を一変させる。


まさか、とでも言いたげだったが、ハルが奥歯を噛み締めている様子が現状を物語っていた。


「ニールほどのパイロットなんだ。確かに天気は最悪だけど簡単にはやられない。世界ならともかく、僕たちの故郷でやられる訳ないじゃないか。どのくらい待っているんだ」


ヒロが慌ててハルの肩をつかむ。


ハルの肩は雨で冷えたからか、まったく体温を感じない。


ハルの冷めきった体がヒロの質問の答えだった。


「そんな……ニールはエアレースで何回も優勝してるし、世界を飛んでるってのに」


ヒロは力なく膝から崩れ落ちる。


水たまりの上にばしゃりと手を付いた。


ハルも黒い水平線を眺めているままだった。大雨が髪を浸し、滴がまつげから落ち、目を濡らしても構うことはない。


気に止めることもなく雨粒を頬に伝わせていた。


そのハルが一言だけ言葉を発する。


「飛行艇を出して」


雨音に掻き消えてしまいそうな声をヒロはかろうじて聞き取った。


ヒロは何も言わずに水たまりからよろよろと立ち上がる。


人知れず頷くと、ハルを放って急いで飛行艇を探し始めた。





クリムゾンレッドが落ちた場所も雨は降りしきっていた。


かろうじて残った片翼と主フロートを雨が止めを刺すように叩き付けている。


機体は横転しているものの、フロートのおかげでまだ海に浮いたままになっていた。


それでもコックピットにも海水が入ってきていて、今にも沈みそうになっている。



ニールが意識を戻した時、微かに見えた視界は雨粒だらけのゴーグルだった。


うまく力の入らない手でそれを上げると、水が腰辺りまで入ってきているのがわかる。


脱出しようとベルトを外し、足を動かしてみたが、同時に激痛がニールを襲った。


「うぐぅ……!」


ニールは反射的に歯を食い縛って呻く。


水に浸かっているのでよく見えないがどうやら破片か何かが足に突き刺さっているようだった。


体を動かせない訳ではないが、片足は動きそうもないし、腰を動かそうとすれば裂かれるように痛む。


コックピット内の水を改めてみると赤く染まっていた。



ニールは何度か速い呼吸をして覚悟を決めると、痛みに堪えながら腰を上げた。


そして水の中を探って発煙筒を引き上げる。


痛みに喘ぎながらも外へ出ようともがいた。



割れたキャノピーの間を通って操縦席を出ると、同時に海水が中へ入って、クリムゾンレッドは泡を上げて沈み始めた。


取れそうになっていたフロートも遂に外れると深く沈んでいき、ニールは奥歯を強く食い縛った。



ニールは発煙筒を擦って火を付けた。大波に飲まれながらも火は辺りを赤く照らす。


それを高く掲げていると、ニールは黒い空の中に一機の飛行艇を見つけた。


まだ遠くを飛んでいるが気づいてもらえない距離ではない。


ニールは残った力で火を必死に大きく振った。


「おーい……おぉーい……!」


気づけば、ニールは叫びながら泣いていた。


なりふり構わず助けを求め、絶望の淵から抜け出そうと火を振っていた。


飛行艇はニールに気づいたのか方向をこちらへ変えた。


高度を下げながら段々と近付いてきた。


そしてニールは操縦席にハルの姿を見た。


嵐で髪も顔もぐちゃぐちゃに濡れているのが見えた。



ニールは涙をいっぱいに溢して同じような顔をしながら微笑んだ。


腹部も痛むのに、体は冷えきって手もかじかんでいるのに、笑いを抑えることができない。


窮地の中で必死で探してた希望はニールを号泣させ、微笑みを堪えきれなくさせていた。


意識が再び途切れてしまって火を落としてしまっても、まだ笑い続けていた。

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