第18話 カラスエムブレム機との空戦

チルナノグの浮き桟橋からハルを降ろしたニールは、一気に機体を加速させて離水した。


飛行艇が消えていった方角へ飛んでいく。


自然とスロットルを握る手に力がこもっていき、雨雲が浮かぶ空の中に銀色の姿を探した。



雨が降り始めて、パイロット帽のゴーグルに雨粒がぶつかり始めた。


視界に大粒の水滴が浮かんでぼやけていく。


ニールは歯を食いしばりながら片手で拭い捨て、雨雲の上へと高度を上げた。



雨雲を抜けて視界がクリアになると、前方に米粒ほどの大きさの敵機を見付けた。


ニールが予想したよりずっと距離を付けられてしまっている。


「大型にしてはよく逃げる」


忌々しく呟くと、そのままスロットル全開で接近する。


機首の機関砲一門の安全装置を外し、操縦桿を操って冷静に狙いを定めた。



銀色の機体後部から迎撃射撃があったが、ニールはロールさせて弾丸を避けた。


偏差射撃がするどくクリムゾンレッドを狙い、ニールは奥歯を噛み締める。


左右にロールして躱した後、爆撃機の上方へ逃げて射角から逃げた。


「良い迎撃だったけどこれで終わりだ」


ニールが細かく呼吸しながら冷たく呟く。


そのまま上方から爆撃機を狙おうと機首を下へ向けた。



ところが6時方向から急接近してくる機影を察知して、ニールは慌てて機体を捻った。


背後からの銃撃が主翼を掠っていき、そのうち一発が末端を貫く。


操縦には支障ないが、機体に響く音がニールの精神を削った。


「くそ、護衛か」


ニールは爆撃機を追う軌道から離れ、背面飛行をして機首を海へ向ける。


真っ逆さまに海へ落ちていき、雨雲を垂直に貫いた。



青空の世界から嵐へと一変する。


雨粒と一緒に落ちたニールは護衛機に取り付かれながら機体を起こした。


重力が体に襲い掛かってくる。


腹に力を込めて素早く息を吸った。



機体は鋭い軌道を描いていたが敵機は離れずに追ってきていた。


雨が翼を叩く音の中でも弾丸がすぐ側を過ぎていくのが聞こえる。


コックピットから振り向いてみると、カラスのエムブレムを着けた敵の水上機が見えた。


弾丸の軌道まで見えるので、焦燥感を煽られる。


ニールが機体を左右に揺すったり、バレルロールさせてみたが、カラスエムブレムは全く離れなかった。



ニールは操縦桿を操作しているうちに自然と奥歯を噛み締めていた。


いくら右に左に傾けてたり、上昇したり下降したり回転しても、敵は無駄のない動きで後をくっついてくる。


急ブレーキしてオーバーシュートを狙おうとしているが、敵は速度調節が確実で、一定距離を保ってきている。


敵の着実な追跡に付き合わされてニールは苛立ちを隠せなくなってきていた。



それどころか、気付けば操縦桿を握る手が震えていた。


ニールは自らの手ながら驚愕する。


自分が感じているものの正体に最初は理解することができず、しばらくしてからそれが恐怖だということがわかる。


ニールは知らず知らずのうちに、迫り来る敵から精神的に追い詰められていた。



しかしニールにはまだ、このクリムゾンレッドだけで唯一のアドバンテージが残されていた。


「最高速度だけなら他の機体に劣らない」


ニールはオーバーシュートを狙う算段を捨てて、速度で追跡機を突き放すことに決める。


スロットルをいっぱいに入れてエンジンをフル稼働させて、距離を離していく。


弾丸を避けながら加速するのは難しかったが、敵の射程距離を出てからは早かった。


エンジン全開で加速する敵をも越えて早く速度を付けていき、1500メートル以上も差を付けた。



計器を見ると時速600キロを越えていた。


高回転のエンジンはニールの背中で猛々しく唸りを上げており、コックピット内にもいっぱいに響いていたが、まだ加速していけそうだ。



頃合いを見たニールはスロットルを緩めて、敵機へ方向転換した。


再びエンジンを回していき、今度は敵機の真っ正面へ向けて加速していく。


ニールは以前チルナノグで見せた、真っ正面からの撃ち合いをするつもりだった。


敵に自分との距離を悟らせないまま急接近し、ニールの誇る動体視力で先手を討つ作戦に掛けていた。


「弾を使いすぎたやつならきっと射程に入るまで撃ちやしない」


確実に狙いが付くまで弾を渋ってくる。


そう目論んだニールは豪々とエンジンを回していった。


ニールの目が敵の中心を捉える時を、引き金に添えた親指が待っていた。



ところが真っ正面から急接近してくる敵機に、ニールの目は狙いよりも別のものを先に捉えてしまった。


コックピットに乗るパイロットの顔。


長く追い求めていた人物の顔を、ニールの目の良さ故に捉えてしまったのである。



クリス兄さん――。


ニールがそう心で叫んだ瞬間、クリムゾンレッドの主翼が敵の攻撃によって吹き飛ぶ。


ニールの動揺はニール自身の反応を数瞬間も鈍らせて、敵の攻撃よりもずっと遅らせた。


撃たれたこともわからないままニールはキャノピーの破片に包まれ、激しい衝撃に襲われる。


主翼の片方を吹き飛ばされた機体は方向が定まらなくなり、時速500キロの速さが出たままヨー方向に激しく回転する。


気流に飲まれてさらに別方向にも回転し始め、ニールの乗っている機体は揉みくちゃにシェイクされながら落ちる。



その時点でニールが生きているかどうかは定かではなかった。


キャノピーを吹き飛ばされた時点で既に即死している可能性さえあり、ましてやきりもみ状態の機体から脱け出せるかなどわからなかった。


ハブも吹き飛んだのか、6翅プロペラが外れて明後日の方向へ飛んでいく。


深紅の機体は部品を撒き散らしてぐちゃぐちゃになりながら、嵐で激しく波打っている海へと落ちていった。

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