第17話 銀色の爆撃機
テスト飛行は三十分ほどで切り上げて、二人の乗った機体はチルナノグの海へと戻ってきた。
西の空に分厚い雨雲を見掛けたので戻ってきたがデータは十分に取れた。
風も強いので嵐になりそうだったが、その前にテストができたので良いタイミングだっただろう。
フロートを滑らせてハルの整備場の近くへ寄せる。
「スロープをバックで上って。フロートにタイヤ付けてるから」
言われた通りニールは逆進させてゆっくりと整備場へ乗り入れる。
エンジンを止めて降り、タイヤに輪止めを掛けた。
それからニールがふと見ると、ハルは早速バインダーにかじりついてセッティングに熱中し始めていた。
「機体の重心が想定より外れてるから主フロートを前にずらして、ダイムラー・ベンツに合わせてプロペラのダウンスラストをもうちょっと調整して――」
ハルの独り言はわからないこともばかりで、ニールは一人取り残され苦笑する。
しばらくハルが一人で展開する世界を、離れたところから眺めていた。
ところがニールは聞きたいことを思い出して、ハルを一人の世界から連れ戻す。
「そういえばこの前、図書館に行って本を借りてきたらしいな。いつも機械弄ってるだけなのに珍しいじゃないか」
「そう、実はね、今のエンジンよりもっとトルクの出るエンジンがあったらしいの。だからあたしが作ろうと思って図書館を読み漁ってたんだ」
「へえ、どんなエンジンなんだ?」
「見る? 見てくれます?」
ハルは先程まで一人の世界にこもっていたのに、嬉々としてニールに尋ねる。
ニールはハルのきらきらした笑顔を見て、呆気に取られつつ頷いた。
ハルが作っていたというものを整備場の奥から台車で引っ張り出してくる。
そのエンジンにはまだプロペラが付いておらず、シャフトから先は何も続いていない。
ニールは試作段階だからかと思ったが、よく見るとクランクシャフト自体がないようで、まだ未完成のようにしか見えなかった。
「抜群の性能だからニールもきっと欲しくなるよ。載せるんだったら今度のエアレースとかで稼いでくるんだね」
「ちょっと待て、これはもう完成してるのか?」
ニールが聞いてもハルはにやにやと笑うだけで答えようとしなかった。
ニールが困惑する顔さえも楽しんでいるかのようだった。
「ふっふっふ……まあまず見てくださいよ旦那、エンジンスタートさせますぜ」
「いいけどうぜえ」
ニールはからかわれているような気もしたが、ハルが心底楽しそうなので最後まで付き合うことにする。
とはいえニール自身もこの見たこともないエンジンがどう動くのか予想が付かず、俄然興味が湧いてきていた。
仕方なくハルに付き合っていても、早くエンジンをスタートさせてみたくなっていた。
ところがその時、ニールはどこからかエンジンの轟音を微かに聞いた。
まだ遠くからの音だったが、大型の飛行機が低空飛行しているようで、ニールの耳にまで届いていた。
そして更に、どこからか声が聞こえた。
ハルには聞こえていないようだったが、ニールは確かに聞いて、それは忘れかけた懐かしい声だった。声が伝えたのはたった一言。
逃げろ、ニール。
ニールがはっと振り向くと、ちょうど整備場の窓からエンジン音の正体がわかった。
全幅40センチほどで銀色の大型飛行艇が轟音を上げてこちらへ迫ってきていたのである。
状況を飲み込めず呆気に取られる暇も、絶望して恐怖に固まる暇もない。
ニールはハルの手を引いて水上機へ走り出した。
「機体に乗り込め、緊急発進だ!」
二人とも操縦席へ駆け上がり、ハルが助手席に飛び乗る。
ニールが主翼からエンジンを立ち上げるが、クランクスタートが焦れったい。
エンジンに火がつくと席に飛び乗り、スロットル全開で整備場を吹き飛ばさん勢いで外へ飛び出した。
瞬間、それまでいた整備場が弾け飛ぶ。
整備場の屋根が簡単に破れて炎を噴き、その炎がさらに巨大化して天に向かって荒々しく吠える。
一度だけの爆発ではなく、すぐに続いてもう一回、二回と炸裂した。
水上機にも炎が掛かって垂直尾翼が焦げる。
危うく火が燃え移りそうなところで炎を避け、衝撃波もかわして海へと逃げた。
「な、何、何が起こったの?!」
ハルが肩をすくめて目を強く閉じながら叫んだ。
ニールは構わず全開のスロットルを握る。
奥歯を噛み締めながら操縦桿を握る片手に力を込めた。
そして7時方向に大型飛行艇の尾翼を見る。
爆撃して去っていく飛行艇を忌々しく睨んだ。
「なにこれ、あたしの整備場が……」
方向転換して戻ってくると、ハルが呆然と言葉を漏らした。
先程まであったアマクニモータースは屋根も壁も弾け飛び、轟々と燃える地面に倒れて黒鉛を上げている。
中にあった機材やエンジンは瓦礫に埋もれ、時折小さく炎を噴く。
残骸が海へと飛び散り、蒸気を上げながら虚しく波に揺れていた。
ニールたちはその残骸をフロートでひきながら炎を眺めていた。
ニールは操縦席から身を乗り出して、険しい目をしたまま動かない。
ハルは唇だけわなわなと震わせて固まっていて、居場所だった整備場へ目を見張っている。
まだ泣きたいのか怒りたいのかわからず、感情だけが激しく揺れ動いているようだった。
やがてハルはニールの手を握った。
「どうしようニール、あたしにはあの整備場しかなかったのに……あそこは家でもあったし、お母さんたちから受け継いだものだし、お墓もあったのに……」
ニールはハルの手を握り返す。
「安心しろ。爆撃したやつを俺が捕まえてきてやる。だからハルは港に降りて待っててくれ」
ハルはどうすればいいかわからず惚けたままで、ニールの言うとおりに頷くしかなかった。
いつものような楽しげな顔とは程遠い表情だった。
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