第16話 裏庭の大切なもの、テスト飛行

次の日、ニールはハルと一緒に整備場の裏庭へ来ていた。


整備場の裏側には飛行艇や水上機を引き揚げるためのスロープがあるが、横には小さな庭がある。


そこは洗濯物を干している訳でもなく、何か仕事や暮らしで使う場所でもないが、掃除もされて雑草も抜かれて綺麗に整えられている。



荒らす訳にはいかなかった。


何故ならそこにはハルの両親の墓が建っていたからだ。



久しぶりにこの場所へ訪れたニールはハルと一緒に静かに手を合わせた。


血は繋がっていないとはいえ、ハルの両親は身寄りのなかったニールを住まわせてくれた恩人だ。


二人の故人がいなければきっと今のニールはなかっただろう。



そして、メカニックとして貫いて、最期までニールにその生き様を教えてくれた人たちだった。


「ハルの両親のことは今でもよく覚えてる。機械のことばっかりだったよな。食事の時まで話を持ち込むんだから、俺は置いてけぼりで大変だったよ」


ニールの言葉は近くにいて親しんでいたからこそのものだった。


ハルは苦し紛れに笑う。


「でも俺はその二人から何かを貫くことが大事だって教えられたんだ。メカニックだけを貫いてくのが格好よかったんだ」


「そうだね。……でも、それで死んじゃったようなものだけどね」


ニールははっとして隣を見ると、ハルは口元を緩めていながらも悲しそうな目を向けていた。


ニールは何かハルに言葉を掛けようかとも思ったが、何も思い付かなくて黙る。


ハルの両親と最後に話した時のことを思い出して、また墓前に拝んだ。



ハルの両親はアマクニで働いていて、高い評判を得ていながらも、新たな技術を求めて旅立っていった。


当時から文献が発見されて図書館ができていたが、一ヶ所に留まっていては偏ってしまうと空母に乗り込んで遠くまで技術を学びに行った。


しかし、この世の中で世界を旅するのは簡単なことではない。


ニールは空母に乗ってチルナノグまで帰ってきたが、その空母でさえ襲われることもある。


マグメイルで経験したように、奴隷を売って商売しているものいれば、旅人を襲って飢えを満たしているものもいるのだ。



そんな世界へ旅立ってしまった二人は無事にチルナノグへ帰ることはできず、空母で帰ってきたのは二人の遺品だけだった。


ハルはこのアマクニで一人にされ、ニールも恩を返せなくなってしまったのである。



ハルが沈み込んでいた時に、ニールが目的になればと思って依頼していたのが、あのクリムゾンレッドだった。


クリムゾンレッドはただ、ニールが兄弟を探すためだけに造られたのではなく、ハルを奮い立たせるためにも造られていたのである。


「それじゃあ作業に戻ろうか。どうせそのお墓には遺品しか埋まってないんだしさ」


「お前……そんな身も蓋もないこと言うなよ」


おどけながら先を歩いていくハルをニールは頭を掻きながら追った。


強がる割に、庭が綺麗に整えられていることについてはニールは言及しなかった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



ニールは水上機の修理に一週間は掛かるかもしれないと予想していたが、ハルはその半分で直してしまった。


チルナノグに滞在し始めて四日目の昼には飛べるようになっていて、フロートも同じ位置で機体を支えていた。


ハルのおかげでニールの予想よりずっと早くクリムゾンレッドが復活したのである。


その姿を整備場で見てニールは感心した。


「早かったなあ! さすがアマクニモータース天才メカニックだ」


「そんなに褒められたもんじゃないよ。設計書が残ってただけ」


「でも設計者だってハルじゃないか。これで他の客と同じくらい格安だったらな」


「あははー、それはダメ」


修理費用は相変わらずまける気がないらしく、笑ってはいてもハルの口調は強めだった。


やはりニールは諦めるしかない。


「そういえば、機体を塗装し直したりしないの? あたしはやっぱりモデルのシンデンみたいに緑色にしたいんだけどなあ」


「それはダメ。クリムゾンレッドだから格好良いんだろ」


「悪くはないけどシンデン通りの色も見たいのに」


眉を曲げているハルの横で、ニールは得意気に機体を眺めている。


主調とする色にクリムゾンレッド、そしてプロペラ、ハブなどの要所要所に黄色をあしらったペイントは確かに格好は付いていたが、海上ではかなり目立つものだった。


ニールには迷彩を施す考えなどはまったくないようだった。


「それで、ニールを今日呼んだのはそのクリムゾンレッドをテスト飛行してもらうためだよ。ここから海上に水上機を下ろして離水。それが済んだら調整して修理完了ね」


「旅に戻るまでやっと一歩ってところか。修理は早かったけど、長かったなー!」


「……」


ハルは喜ぶニールを黙って眺めていた。何か言いたいことでもあるかのように立ち尽くしていたが、やがて恐る恐る尋ねる。


「ねえ、どうしても兄弟探しをしなくちゃいけないの? 前みたいに、こうやって飛行機作ったり飛ばしたりするだけじゃだめなの?」


ニールはその質問からハルの気持ちを汲み取る。


以前みたいにこの場所で暮らしていたい。


それはニールも同じだったが、どうしても譲れない気持ちもあった。


「ごめんな、兄弟を全員助けてからやっと俺の人生が始まるんだ。それをやり遂げたらチルナノグに戻ってきたいから、それまで待っててほしい」


「うん、わかった」


ハルは寂しそうに答えたが、納得したようで苦し紛れに笑った。


ニールは申し訳なく眺めていたが、まだハルに聞いていなかったことを思い出して尋ねる。


「そうだった。俺がいなかった一年で、兄弟の誰かが訪ねてこなかったか?」


ニールは懐から例の五人兄弟の写真を取り出した。


ハルは既にその写真を何度か目にしていたが、手袋を外してじっくりと見つめる。


「兄弟の顔はもう大体覚えてるけど、やっぱり会ってないね」


「一番上のクリス兄さんなら写真とあまり顔も変わってないと思うけどどう?」


「目が赤い人だっけ?」


ニールが指差した人は、マクワイア兄弟と同じ金髪を肩まで伸ばしたストレートで、シャツとベストにロングコートを合わせた服装が特徴の男だった。


金髪でも黒い服装が映えて暗い印象がある。


「兄さんの目に光が当たると深い赤が光るんだ。特徴もあるからわかりやすいと思うんだけど」


「うーん、やっぱり会ったことないよ」


ハルは申し訳なさそうに目を伏せた。


まるで自分の兄弟のことのように悔やんでくれているようだったが、ニールはそれが聞けただけでも十分だった。




気分を変えて、テスト飛行の準備に取り掛かった。


機体を載せている台車のドリーにロープでウィンチに繋げると、輪止めを外してスロープへと押し始める。


整備場の大扉を開くと海が見えた。


水上機はその扉を通ってボートスロープを下っていき、ゆっくりと海に入っていく。


尾翼下の補助フロートから入っていき、主フロートが浸かり始めると、機体は海に浮かんで波に揺れ始めた。



ニールは岸壁からフロートへ飛び移り、操縦席へと上る。


エンジンをクランクスタートしてプロペラを回し始めた。



いざボートスロープを離れようとしていると、ニールはハルが何やら着替えているのが見えた。


白い作業服のチャックを上まで締めて、パイロット帽を被ってゴーグルを着けている。


バインダーを手にして近くまで来たかと思えば、ハルは水上機までの飛び移ってきた。


「ハルと乗るのは久しぶりだな」


「遊覧飛行じゃないわよ」


「でもクリムゾンレッドの仕上がりに自信あるんだろう?」


「ニールが乗るなら耐久性は気が抜けないよ」


ニールは「言ってくれるね」と笑いながら機体をバックさせる。


クリムゾンレッドの進行方向を変えると、プロペラのピッチを変えて前進させた。


「じゃあ飛ばすぞ。ベルトは腰に低く締めとけよ」


スロットルが上がってエンジンが回っていき、プロペラが空を切っていく。


それらの轟音が高音までに至る頃にはフロートが波を切り始め、クリムゾンレッドはゆっくりと海を離れてチルナノグの空を飛び始めた。

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