第14話 図書館の司書ヒロ

 整備場を出たニールはチルナノグ唯一の図書館に向かった。建物は一階建てであまり大きくはないが、棚が所狭しと並んでいて、本がぎっしりと置かれている。


ニールが旅した中でもまだこの図書館以上に本を置いている場所を見たことがなく、おそろくチルナノグだけでなく世界一の図書館かもしれないが、いかんせん読むことはできない。


全ての本は海深くに沈んでいたもので、記されている文字はもう何世紀も使われていないと言われている。


相当数の本がまだ解読されておらず、一般人が読めるのは解読済みの、全体の三分の一にも満たないものだけだった。



それでもニールはこの場所に来る用事があった。


薄い扉を引き、錆びた金属の軋む音を立てながら図書館へ入ると、司書がニールに気づいて声を上げた。


「ニール、生きてたんだ!」


カウンターの奥から司書の声がしたが、彼も背が低いからか、積まれた本で姿がよく見えない。


「俺ってこの町では死んだことになってるの? ハルにも似たようなこと言われたぞ」


「町の外はそれだけ物騒だからね」


カウンターから出てきて、ようやく司書のヒロ・ホンゴウが見えた。


ニールが最後に会った時と同じのようで、金髪のマッシュボブと丸眼鏡の特徴は変わっていない。


ゴシックな服装が好みで、今も黒色のベストと短パンを着ている。


顔立ちはまるで少年のように優しげで、身長も本の間に隠れてしまうほどなので、外見は年齢よりもずっと幼かった。



しかし実際には成人して長く、図書館の司書だけでなく、チルナノグの海底探査チームとしても活躍している。


クレーン船で海底から引き揚げたものを、この図書館で解読しているのがヒロだった。



見掛けに寄らずやり手な司書だったが、そんなヒロにも一つ、アクが強いところがあった。


「それより、ニールの水上飛行機はどうなったの? まだちゃんと飛べるよね?」


「残念だけど旅先で壊しちまった。俺が帰ったのはその修理」


「はあっ?!」


ヒロが椅子を蹴飛ばさん勢いで驚愕する。


カウンターに積んであった本が崩れたがヒロは気にしない。


「あれだけカッコよくて珍しい機体を壊しただって?! あれは普通の飛行機とは違うんだよ? 歴史に残るようなもので、本当なら大事に保管されるようなものなんだよ!」


「なんでお前にまで怒られなきゃいけないんだよ!」


ヒロはクリムゾンレッドが完成した時から狂信的な感情をニールの水上飛行機に寄せていた。


クリムゾンレッドが初めて空を飛んでから、ヒロが整備場に何度も訪れるようになって、ニールやハルはその度に難儀していた。


チルナノグのスカイレースに出場した時も応援してくれたし、ニールが島を去る時は泣いて悲しんでくれたが、その執着が日常的で過剰だから鬱陶しい。


もしかしたらパイロットのニールや設計者のハルよりもあの水上機に愛着を持ってくれているファンなのかもしれないが、正直ニールは難儀していた。



今回もニールはため息まじりに言う。


「クリムゾンレッドは今ハルに修理してもらってるから、あとで見に行ったらいい」


「そうするよ。本当なら今すぐにでも駆け付けたいけど」


ニールは呆れずにはいられないが、冷たく突き放すには忍びないので困る。


適度な温度のファンでいてほしいがニールはヒロの暴走は止まることを知らない。



話題を無理にでも変えようとして考えていると、ニールは先ほどの別件を思い出した。


「そう言えば、ハルのやつに修理代ぼったくられたんだけど、普段からあんな商売してるのか? なけなしの旅費代まで巻き上げられてしばらく旅に戻れないんだ」


これもまた気を揉む話だった。


ニールはつい先程ハルと喧嘩してきていて、愚痴を漏らさずにはいられない。


「あれだけぼったくってたらそのうち客が来なくなって潰れちまうかもしれないぞ。腕は良くても他の店のがずっと安いんだし、みんな他を当たるって」


「えっ、でもそれはおかしいな。ハルさんの店は格安で仕事を請けてくれるって評判なんだけどな」


「はっ?」


「ハルさんは自他ともに認める機械オタクだからね。機械の仕事はあるだけ喜ぶから、安く請けてるんだと思うよ。なのにいい仕事をするって評判だったりするんだから、ぼったくる必要だってないでしょう?」


ヒロの話はニールにとって意外だった。


眉をひそめ、口を尖らせて面白くなさそうな表情をして聞き終わると、ニールは大きなため息を吐く。


「ってことはあいつ……俺から旅費代巻き上げたかっただけじゃないか。足止めしておいて、ずっとチルナノグにいさせたかった訳だ……」


「何それ惚気?」


「そう聞こえるかもしれないけど、俺は現に被害こうむってるんだぞ」


ハルは心底迷惑そうに歯を食いしばり眉間にしわ寄せた。


ヒロは茶化すつもりで笑っていたのだが、苦笑が混じる。


「前みたいに住ませてくれるのは助かるけど相当な足止めだよ」


「はは、大変だね。そう言えば飛行機の文献、新しいの入ってるよ」


今度はヒロが話題を変える。


「おっ、やった。どこの棚?」


「あっち」


ヒロはカウンターに戻りながら奥を指差す。


ニールがようやく本題に入るべく棚へと向かうと、ヒロは積まれた本の間から手を振った。




ニールはチルナノグを旅立つ前、暇を見つけて図書館に訪れていて、日課のように文献を読み漁っていた。


読むものは飛行機の資料が中心で、少しでもその情報になりそうなら他のジャンルにまで手を伸ばした。


おかげでニールはヒロに読みたい本の解読をせがむようにまでなっていた。



そうして文献の中から見付けたのが、今ニールが乗っている水上飛行機のモデルだった。


ニールがこの図書館で見つけた機体をハルに持ち掛け、エアレースの賞金を予算に企画を挙げた。


当時から市場の水上機が出回っていたというのに、ニールたちだけはオリジナルにこだわり、文献通りの飛行機を再現しようとしていた。



しかしニールの企画が叶ったのはハルという天才的メカニックがいたからであった。


ハルが機体設計から製造のほとんどを手掛け、エンジン回りはたった一人で組み上げてしまった。


当時も今も他に見ることのない、推進式プロペラの機構を文献通りに再現してしまい、しかもそれを水上機としてアレンジしてしまったのだ。


幼少期からのメカニック経験があるとは言え、限られた資料から細かい機構までの再現は天才的だっただろう。



それはニールもわかっていて、文献の機体モデルと見直してみても改めて実感する。


機体後部のプロペラ、機首付近の前翼、垂直尾翼と一体になった主翼。


ニール好みの紅色と、フロートを付けて水上機にアレンジしたことを除けば、本当によく再現されていた。


天才的なハルがいたからこそJ7W1シンデンの再現ができたのだろう。




もしかしたら、ハルがいなかったらきっと旅に発つことはできなかったかもしれない、とニールはたまに思うことがある。


ハルには感謝しているし、ハルがいなかったら今の自分はなかったとさえ思っている。


だから誰よりも大切に思っていて、自分の使命と天秤に掛けなければいけない今がそれだけ腹立たしかった。


兄弟を救いたいという気持ちとハルを大切にしたいという葛藤がニールを悩ませていたのだ。



図書館で読書していれば紛らわせられると思っていたが、集中することなどできやしなかった。


一時間、二時間と文献を読み進めようとしてみたが、ハルと喧嘩したことが何度も頭を過る。


しまいには読んでいた本を閉じ、図書館を出るべく歩みを進めていた。


「あれ、もう帰っちゃうんだ。珍しいね」


本棚の間を出てきたニールを見てヒロが驚いていた。


ニールが「腹が減った」と誤魔化すと、ヒロは怪訝な顔を浮かべた。


「そういえばこの間、ハルさんが一冊借りて行ったよ」


ニールが文献を読み始めてしばらくすると、ヒロが思い出したように言った。


「あのエンジンマニアが図書館に来るなんて珍しいな。俺が誘ったって来なかったのに」


「でも借りたのは案の定エンジンの本だったよ。もしかしたらまた何か作ろうとしてるのかもしれないね」


ニールは整備場に行った時にハルがエンジンを弄っていたことを思い出す。


もしかしたらその時のエンジンが試作機だったのかもしれない。


何を作っているのか興味が湧いてきたが、しばらく帰れないことを思い出してニールは顔を歪める。


ヒロに軽く別れを告げて外へ出た。

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