第13話 幼なじみにして整備士にして設計士
チルナノグの整備工場アマクニモータースは港近くにあって、水上機や飛行艇を引き揚げるため海に面している。
島の中でも大きい建物だが、この場所も年季の入ったトタンでできている。
工場内はあまり広くなく、双発の飛行艇が一機収まるかわからないほどの広さしかない。
しかも木製の作業台や道具棚なども置かなければならないので、作業場としてはあまり良くなかった。
それでも、いつも電動ドライバーの音で騒がしく、それどころか金属加工の音まで外に響く。
ニールが訪れた今日もバーナーの音が外にまで鳴り響いて、中では遮光マスクを着けた者がたった一人で作業していた。
ニールがその様子を見て、呆れ気味に挨拶した。
「相変わらず、仕事ほっぽり出してエンジン造りかよ」
溶接していた整備士は作業をやめて、マスクのまま振り向いた。
一年ほど会っていなかった顔をを見て、驚きながら尋ねる。
「ニール?」
整備士の声はビジュアルに反して高い。
ニールは気恥ずかしそうに頭を掻きながら「そうだよ」と答える。
「嘘でしょう。もう帰ってこないと思ってたのに」
「酷いな! 戻るって言ってたのに」
ニールはもう帰らぬ人と扱われていたことに不満を訴えた。
還らぬ人になるよりはよかったが不満は変わらない。
しかし整備士はニールの抗議を無視して顔を確かめる。
そしてニールに向かって全力で駆けていき、勢いよく両腕いっぱいで抱き締めた。
整備士の目には少々涙も滲んでいてニールの帰還を喜んでいたのだが、生憎その顔にはマスクが被ったままで、しかもそれがニールの鼻に飛び込んだ勢いのまま命中していた。
「いだい!」
「よかった、本当に帰ってきたんだ」
「歓迎してくれるのは嬉しいけどまずマスク上げてくれ。たぶん鼻血が出てる」
整備士はまるで犬のように喜んでくれていたが、ニールは血を止めるべく鼻を押さえていた。
マスクで顔も見られないので、ニールは喜べないままだった。
ニールが整備士を離すと、整備士はようやくマスクを上げた。
整備士とは思えない小振りな輪郭と、勝ち気な目が特徴の顔が映る。
短い金髪を右側に掻き上げ耳を出していて、その耳には小さいゴールドリングのピアスを二つ着けていた。
「ハルは変わらないな。仕事あるんじゃないのか?」
整備士ことハル・アマクニは口を曲げる。
「休憩したっていいでしょ。今ちょうど新しいエンジン機構ができそうでさ。それより――」
ハルはニールを足元から頭の先まで眺める。
「ニールも変わらないね。一年前から伸びてないんじゃないの?」
「伸びてるわ! ハルが気付かないだけだから!」
身長がコンプレックスのニールは必死になって主張する。
しかしハルは楽しそうに「冗談」と笑うので、ニールも「まったくもう」と頭を掻いた。
本当に変わらない、とニールは呆れつつも感心してため息を吐いた。
かつて過ごした時間が懐かしい。
きっとこの場所がいつか帰る場所だということをニールは実感していた。
「それで、あたしが造ったクリムゾンレッドはどうしたの?」
「あぁ、えっとそのことなんだけど……」
ニールはハルの問いにぎくりとして言い淀んだ。
どう説明しようか悩んでいるニールを見てハルが眉をひそめる。
「そういえば、海側じゃなくて事務所側の扉から入ってきたみたいね」
「そうだな」
「飛んで帰ってきたなら海から直接乗り入れるはずだけど、どうして玄関から来たの?」
「そのことなんだけどさ、えっと」
「壊しちゃったから歩いてきたの?」
「あぁ、うん、そうなんだよ……ごめん」
ニールが素直に頭を下げるが、ハルの笑顔は固まったままになってぴたりと動かなくなった。
顔は笑っているが何も話さなくなり、手や足までも動かなくなり、心の中で何が渦巻いているのかわからない。
逆に顔が笑顔のままでいるのが不気味で、ニールは頭を下げたままハルの暗い笑顔を直視できなかった。
「とりあえず、どれぐらい壊れたか見てみよっか」
「はい」
ニールはハルに言われるがまま行動する。
今は少しでも反しようものなら命はない。
ハルの機嫌を今以上に損ねないようにニールは軽いフットワークで案内した。
「ちょっと、こんなに壊れてるなんて聞いてないよ!」
機体に掛けたシートを剥がすなりハルは怒鳴った。
整備場の中で高い声が反響し、ニールの耳にもきんきん響く。
「実は西でドッグファイトになって、不意打ちを食らっちまったんだよ」
「丹精込めて作った水上飛行機が1年で壊れるなんて……普通に飛んでれば簡単に壊れないんだよ!」
ハルが機体を荷台から降ろさないまま翼の下へ潜っていく。
文句や泣き言を漏らしながら損傷箇所を調べ始めた。
「ニールのことだからどうせフロートを盾代わりにして、仕方なく胴体着陸したんでしょ」
「えっ、そこまでわかるの?」
「下駄が丸々なくなってりゃあね。あぁっ、カナードまで落ちてる!」
ニールの感心をよそにハルがまた絶叫を上げる。
ニールは苦笑しながらハルの様子を眺める。
ハルは大きいスパナで叩いてみながら、バインダーの書類を書いていった。
やがて損傷を調べ終わったのかハルは荷台から降りてきて、今度は穏やかな声で言った。
「ラダーとエレベーターの脱落、フロートは丸々全部ね。エンジンが無事なのは幸いだけどエルロンの油圧とワイヤーも直しといた方がいいから、修理代はざっとこのくらい」
ニールはハルが手渡したメモに目を移す。
が、予想より高い金額を見てすぐに目を剥いた。
ニールの所持金のほぼ全財産で、このままでは旅を続けられない。
どうにかならないかと思って唸ってみるが、ハルにまけてもらうしかない。
ニールはハルの顔色を伺いながら恐る恐る尋ねた。
「もっと安くならない? ほら昔のよしみでさ」
「だめ。安くするとまたすぐ壊してくるでしょ。しばらくうちに住んでいいから、教訓だと思ってきっちり払って」
「鬼! 守銭奴!」
「変なことに首突っ込むあんたが悪いんでしょう!」
下手に回っていたニールも追い詰められて遂に抗議する。
ハルもまったく譲る気がなく、二人は火花を散らさんばかりに睨み合った。
しかし喧嘩になってもニールはハルの言う通りにするしかなかった。
ハルは問答無用に告げる。
「とにかく払って。あんたももう危ないことしないで。そうすればあんたも機体も無事に帰ってこれるでしょう」
「わかったわかった。設計者のハルさんに従いますよ」
ニールが折れてその場は収まるが、喧嘩は収まらないままでニールが外へ出掛けてしまう。
ニールの故郷とも言える場所に帰ってきたというのに、早々幼なじみと言い合いになってしまった。
港で落ち着けられたはずの気分はすっかり悪くなっていた。
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