チルナノグ編
第12話 別世界での出来事、ニールの故郷
ニールが航海の旅に出た頃、ニールの知らない場所で、奴隷商人ネロは冷や汗を掻いて直立していた。
場所はとても暗く狭く、鋼鉄の檻のように重苦しい。
厚い窓の外は夜でもないのに真っ暗で、ライトが照らしているというのに五メートルも光が通らない。
何かが窓に見えたと思えば、形だけの目玉と異常発達した牙と顎を持つ巨大生物だった。
ネロは緊張しきった様子のままゆっくりと告げる。
「申し訳ありません。奴隷二人をニール・マクワイアと名乗る男に奪われてしまいました。至急何らかの処置をしたいと思います」
ネロが話しかける相手は椅子に座ったまま動かず顔すらも見せない。
椅子の背もたれが向けられたままネロに答えが返ってくる。
「賭けに負けても奴隷を引き渡す必要などなかったのではないか? 話を踏み倒すか他の勝負で勝てばいいのではないか?」
「しかし、民衆の強い要望もあって逃れられず……」
ネロが必死に言い訳をするが相手は聞き入れる気など微塵もなかった。
椅子は全く動くことなくネロに背を向けている。
「ネロよ、この海の魚はかつて未知の病に侵されていた。人類は神の逆鱗に触れてしまい、世界を海で満たすだけじゃなく、食料さえも奪ったのだ。しかし当時、飢えた人々はそれをわかっていながら腹の足しにしていた。病すらも受け入れる覚悟で飢えを満たしていたのだ」
窓の外に大きな泡が上っていくのが見えた。
音は中にまで届かないはずなのに、ごぽりという音が聞こえてきそうなほどに泡は大きい。
ネロは緊張の汗で額を濡らしながら話を聞いている。
「私はその者たちを尊敬している。リスクがあっても成果を上げようとする覚悟が素晴らしいのだ。だからお前も――」
ネロが付き人に両腕を掴まれる。
「失態を償うというのなら海底にまで沈んでみせろ。かつての生き残りのような覚悟を示すのだ」
ネロが絶望して目を見開く。
立っている姿がここに来て初めて揺らぐ。
「魚雷発射管に詰めろ。海底生物への生贄に捧げる」
ネロが抵抗するが既に手遅れだった。
両腕を捕まれて逃げることもできず、付き人に体を引きずられていく。
椅子に座る何者かがようやくネロを一目見ると、モニターの光が暗い顔を照らす。
頬に傷の入った横顔が微かに浮かび上がった。
「発射管に詰めました」
「注水だ。扉開け」
傷の男の声でネロの運命が決まる。
ネロは無情にも船の外へと解き放たれ、海底に住む怪物へと突き出された。
しかし人々が住むところとは掛け離れた世界の出来事で、ニールが知ることはない。
ニールが空母に乗ってから三週間以上が経っていた。
三週間経っても船から見える景色は何も変わらず、ただ広い海か広がっているだけで、たまに島が見えたとしてもかなり小さい。
ネロが根城にしていた大岩ぐらいの島を一つ見たくらいで、マグメイルほどの賑わいのがある島は全く見えなかった。
これだけ海が広ければ一箇所くらい集落を見つけられるかもしれないとニールは考えていたが、やはりこの先は空母の目的地にしか町はないようだった。
「やっと三週間かあ」
ニールは退屈そうにあくびしながら艦内から出た。
この船旅は交易人か乗組員しか話し相手がおらず、独り言がかなり多くなっていた。
他は食事ぐらいにしか口を使っていなかったので、言葉は全く続かない。
首を回して肩をストレッチしながら外の光を浴びた。
「一年ぶりくらいか、チルナノグ」
ニールは外廊下のフェンスから身を乗り出して、艦首に見える島を目にした。
マグメイルより一回り小さい五平方キロメートルほどの大きさだが、住居が密集しておらず広々としている。
レンガ造りが中心だったマグメイルと比べてチルナノグの建物はトタンが中心で、島全体が赤茶色に見えた。
マグメイルからするとチルナノグは辺境のように思えるが、この島の技術はとても高い。
機械の建造、整備、修復の技術が優れていて、それらものづくりに携わる人たちはメカニックというよりも職人だった。
空母が港に着くと、乗員は次々に島へ降りていく。
ニールは水上飛行機を載せた荷台を押して、遅れて港へと降り立った。
ニールはようやく着いた故郷を眺めて一息つく。
故郷の海を眺めて久しぶりの空気を味わっていたが、安らぎの時はすぐに途切れた。
「あれ、もしかしてニール……エアレースを連覇した元チャンピオンのニール・マクワイアか?」
通りすがった一人の言葉だった。
しかしニールにとっては知らない相手だったので、軽い会釈だけで済まそうと思っていたが、声はどんどん一人から広がっていった。
「本当だ、ニールじゃないか」
「旅に出たんじゃなかったのか? また賞金稼ぐ気なのか?」
「相変わらず身長は低いまんまだな」
すぐに人だかりができてきて、ニールは口元を歪めた。
せっかく故郷に帰ってきたのだからできれば放っておいてほしい……身長についてはもっと放っておいてほしかったが、群衆は気にしなかった。
やがてその中の一人が隠しておきたかったことに気が付いた。
「あっ、ニールの機体が壊れてるぞ!」
「あーあ、こりゃあひでぇ」
「さては機体の修理に帰ってきたな。きっとお前んとこのメカニック、怒るだろうなあ」
メカニックという言葉でニールはさらに口を歪めた。
表情が険しくなり、額に嫌な汗が流れ始める。
この三週間、そのことだけがずっとニールを危惧させていて、どう言い訳するかとばかり考えていた。
人だかりの言葉で再び思い出したニールは青い顔をしながら港を歩き始めた。
チルナノグの人々に苦笑いされながら目的の場所へと向かった。
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