第11話 メフィストの償い、手を振るエステル

やがて、クリムゾンレッドはゆっくりと高度を落として町へ下りた。


フロートをなくして着水できなくなった水上機は空母に胴体着陸するために減速していく。


プロペラピッチを変えてエンジンに逆推進させながら甲板上を飛び、失速気味に機体を滑走路に落とした。



ニールがよろよろと操縦席を立ち上がると、ちょうど観衆が駆け付ける。


機体から降りたニールにエステルが両腕で抱き着いた。


「ありがとう、これでお母さんと暮らせるわ」


「なあに、軽いもんさ」


「ニール!」


歓喜する二人に、誰かの声が水を差す。


見ると先程神妙な表情をしていたメフィストがそこに立っていた。


ニールはゴーグルを上げて真っ直ぐにメフィストを見る。


悲痛な表情で歩み寄る兄弟と向き合った。


「俺はずっと奴隷だったから、自分がのし上がるにはこの世界しかないと思ってた。汚い仕事とわかっていながら奴隷業にも手を染めたというのに、どうして今になって助けるんだ。助けるんなら俺が手を染める前にしてくれてもよかったじゃないか」


メフィストはニールを責めながら涙を溢す。


助けてもらったことを素直に喜べずに嗚咽する。


「俺はもう取り返しのつかない罪を犯してしまったんだ。今頃助けてもらっても幸せを望むには遅すぎる。もう落ちるところまで落ちなければならなかったんだ」


メフィストが崩れ落ちて、手を付きながら泣き始める。


あの青い洞窟での威勢が嘘だったように人目も気にせず思いっきり咽び声を上げた。



ニールはしばらくメフィストの慟哭をじっと聞いていた。


救うのが遅すぎたことを自覚していたニールは強烈な罪悪感が胸を痛めていた。


メフィストの泣いている姿を真っ直ぐ見ることなどできない。


それでも意志を貫いてメフィストに告げる。


「幸せを望むのに遅すぎることなんてない。お前はもう自由なんだ」



ニールは真っ直ぐに顔を向けれずその場を去りながら言う。


「今のお前はどうやって暮らすか、今日の晩ごはん何にするか、どうやって償うかも決めることができる。それは思ったよりすごいことなんだ」


ニールはエステルに肩を借りて医務室に連れられていく。


メフィストの解放は達成できても、ニールの思い描いた夢にはまだ程遠かった。


ニールの胸は辛いままで、メフィストを本当に救えたかさえわからなかったが、エステルを救えたことだけは幸福だった。






それから、ネロが正式に二人の奴隷解放するまで何日も要さなかった。


それまで奴隷としての地位を築いていたメフィストも、借金を返済できず奴隷となっていたエステルの母親も、約束通りに自由の身になることができた。



エステルは新居でまた母と暮らせるようになって喜んでいたのだが、結局二人共「アメリカ」で働いて生計を立てるようになっていた。


メフィストは自由になってもどうやって生きればいいかわからないままだったが、エステル親子が助けに入って、「アメリカ」に住み込みで働くようになったとか。


メフィスト本人は奴隷を売った罪を償うため、まだマグメイルに残りたいようだった。



なので、ニールの旅にはまだメフィストの同行は叶いそうもなかった。


兄弟全員で再び飛行艇の旅に出る夢も叶いそうにない。


今は他の兄弟を探すためにも、胴体着陸した機体を直すためにも、マグメイルを出て東を目指さねばならなかった。


「本当に行っちゃうの?」


見送りに来たエステルが眉を曲げながら言った。


空母に乗り込んで旅立とうとしているニールを寂しそうに見つめる。


港に吹き込む潮風が二人の間を抜けていく。


「水上機を直すだけだったらまだマグメイルの整備士でもできるじゃない」


「残念ながらあの水上機は特別なんだ。設計者のところに持ってくしかない。それに俺はどうしても兄弟を探さなきゃいけないんだ」


ニールは申し訳なさそうに顔を歪めながら笑う。


悲しそうな表情をしているエステルの頭を優しく撫でた。



しかし、それが癇に障ったのか、納得できなかったのか、エステルはニールの手を振り払って威勢良く言った。


「それならもうさっさと行けばいいわ。言い訳なんていらないから早く乗りなさい」


「えっ、こわ。そんなに怒るの?」


「いいから行け」


エステルに背中を押されてニールは空母に乗り込む。


訳も分からないまま空母が出港する時を待った。



しばらくして空母が合図を出して、マグメイルの港を離れ始めた。


ニールは港のエステルに向かって大きく手を振る。


「またなーエステルー」


「兄弟全員見つけるまで戻ってくるなー」


ニールの声に、エステルの大きな返事が返ってくる。


ニールは苦し紛れに笑いながらもエステルに手を振り続け、空母が港内を出てもエステルを眺め続けていた。


マグメイルが小さくなっていくのを見ながら波に揺られていた。

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