第4話 古代文明の塔、奴隷商との交渉
エステルを乗せてクリムゾンレッドの機体は空を飛び始めたが、案内された場所はそう遠くはなかった。
たまに船を見掛けるぐらいしかなかった広すぎる海に、たった一塔の建物が現れる。
ニールも見たことがないような流線的なフォルムで真っ直ぐに伸びていて頂上には槍のようなものが立っているが、全長の半分以上も海に沈んでいて三十メートルほどの高さしかない。
しかし海上に浮かんでいるというのに不思議と錆びてはいない。
海上でそのまま浮かんでいれば錆は免れないというのにまったく赤くないが、海藻だけは周囲を覆い始めていた。
塔に浮き桟橋が掛けられていたのでニールは水上機を横に着け、エステルがロープを掛けた。
塔には玄関のような入り口はなかったが、ガラス張りのフロアにタラップが掛けられていた。
中は更に現代とは掛け離れた世界が広がっていた。
柱は立っていても四方がガラス張りなのでどうして塔として立っているかわからない。
床も天井も銀色の材質でできていて、内装も双眼鏡のようなものが支柱で床から伸びていたり、鏡のようなものの付いた机が置いてあったりして、この建物だけ別世界のもののようだった。
しかしニールは驚くより面白くなさそうな表情をする。
「奴隷商人のねぐらにしては惜しい場所だ」
「勿体無い場所よね」
エステルと話を混じえながら進むと、黒い服で身を包んだ男たちが二、三人いて、奥には麻の服を着た三人が手錠に繋がれていた。
ニールとエステルは、付き人と思われる二人にボディチェックを受ける。
エステルのチェックが執拗だったので、彼女は「十分でしょ」と言うまでずっとしかめ面していた。
チェックが済んだのを見計らって、おそらくメフィストと思われる男が言う。
「確かエステルという名前だったか。今更何の用だ」
男は短い金髪をオールバックにしていて、たまご型の輪郭がシャープなラインを描いている。
黒のハイネックロングコートを着ていて、ゴシックでパンクな雰囲気を醸し出しているが、よく見ればまだ幼い。
身長もまだあまり高くなくて160センチにも満たなかった。
男は聞く。
「金のアテができたから来たんだろう?」
「残念だけど違うわメフィスト。今日はあなたの兄弟という人を紹介しに来たの」
「兄弟? 俺に兄弟などいないはずだ」
予想していなかった返答にエステルは眉をひそめ、事実をを確かめるように背後のニールへ振り向いた。
ニールはエステルの肩を叩いて前に出る。
「ニール・マクワイアだ。名前と顔に覚えはないか?」
メフィストは改めてニールの顔を見るがすぐに答える。
「悪いがあんたに覚えはないし、兄弟がいたなんて話も聞いたことがない」
「俺たちが別れた時、お前はまだずっと幼かったから覚えていなくても無理はない。でもあんたは確かに俺の弟だ。名前が一致するし、聞いている育ちにも辻褄が合うし、面影も……かすかに残っているよ」
「口では簡単に言えるな」
「確かに。証明できるようなものもこの写真しか残っていない」
「写真?」
酒場「アメリカ」でも店主に見せていた写真。
ニールはそれを懐から出して見せる。
付き人がそれを取ってメフィストに渡すと、奴隷商人は怪訝そうに見つめた。
「母さんの腕で指をしゃぶってるのがメフィストだ。この写真を撮った後に何者かに襲われて、母さんは殺され兄弟は離ればなれになったんだ。俺たち五人兄弟の唯一の手掛かりだ」
メフィストは写真に映る赤ん坊に目を見張っていた。
写真を見ながら何も言わずに奥歯を噛み締めている。
塔に張ってある、くすんだガラスがメフィストの横顔を反射して物憂げな表情を見せた。
確かに話の証拠はこの写真だけで、ニールが兄弟だと裏付けるには力不足だった。
末っ子だったメフィストに至っては当時、物心もついていない。
しかし、もしかしたらメフィストもこれまでにこの家族写真を見たことがあって、何かを思い出してくれるかもしれない。
ニールはそれだけにすがるしかなく賭けてきていた。
「信じてくれるか?」
ニールが沈黙を破って尋ねた。
メフィストは真っ直ぐにニールを見つめ返したが、その瞬間、写真はメフィストによって勢いよく破かれた。
メフィストは冷たく言い放つ。
「こんなものいくらでも捏造できる。証拠になる訳がない」
ニールはメフィストの手から落ちていく写真を見ていた。
写真が塔の割れた窓から捨てられて、海へ落ちていくのを黙って眺めている。
絶望したように動かなかったが、やがてニールの手はパイロットスーツのジャケットへと伸びた。
メフィストとその付き人は、ニールの報復を警戒して身構え、それぞれが銃のしまってあるホルスターへと手が伸びる。
目を見張ってニールを見ていたが、ジャケットから取り出したものはまたあの古い写真だった。
「コピーしてないのに渡す訳ないよね」
にやりと笑うニールにメフィストは怒鳴る。
「ふざけるな、銃でも抜くかと思ったじゃねえか!」
ニールがこれ見よがしに大量の写真を両手に掲げて笑う。
同じ写真を見ながらメフィストたちは眉間に青筋を立て、エステルまでもが大きなため息を吐いた。
「……とにかく、そんなコピーを見せられても信じるに足りないってことだ」
「そうだろうな。でも俺がお前を助けたいと思うには十分なんだよ。お前がまだ奴隷の身で仕方なしに汚い仕事をやっているとしたら、俺が解放して自由にしてやりたいんだ」
「……なるほど、あんたの言い分はわかった」
メフィストが視線を落として嘆息する。
海が大きな波を立てたようで水しぶきが上がる。
付き人が吸っていた煙草が海に捨てられてじゅっと音を立てた。
「だが俺が仕方なくこの仕事をやっているというのは違う。奴隷という身分の中でのし上がるためにはどんな汚い仕事もこなして、主に忠を尽くさなければならない。物心ついた時からこの世界にいた俺にとってそれだけが正義だったんだ。だから俺は悪とわかっていながらも主に忠を尽くす。主様の信頼を勝ち取って、奴隷でありながら優秀な下僕になることを目指してきたんだ」
「俺が自由にさせてやると言ってもやめないつもりか?」
「もう奴隷を何人か売ってしまっている。悪に染まり始めた俺はもう引き返せないんだ」
メフィストの揺るがない双眸にニールは奥歯を噛み締める。
予想以上にメフィストの意志が固く、説得の望みが薄れていく。
望んでいなかった最悪の結末がニールの脳裏を過ぎった。
エステルに宣言したことが現実のものになろうとしている。
背後を見るとエステルもニールと同じ目をしている。
できれば説得で救えればよかったのにな。
ニールは憂いながらも覚悟を決めて前へと振り向いた。
「説得できないとわかったら強硬手段か?」
聞いたことのない声がメフィストの背後から聞こえた。
声の主は塔の奥からゆっくり現れる。
黒髪を右側に流したアシンメトリーな髪型、シャツの上に黒いジャケットを羽織った男が姿を現した。
「野蛮なことは控えておいた方がいい。武器を隠し持っていたとしても無駄なことだ」
「誰だあんたは」
「メフィストの所有者、ネロだ。聞いての通り、メフィストは私に忠誠を誓っている」
ネロと名乗る男は黒い眼鏡のブリッジを指で上げる。
「例えお前がメフィストの兄弟だとしても、それは昔の話だ。メフィストが私の奴隷であることに変わりはない。力ずくで奪おうとしても、ほとんど丸腰のお前たちに何ができる?」
ネロの話にも理があった。
ネロ、メフィスト、その付き人に囲まれているこの状況で、ニールにもエステルにもできることはない。
しかしニールの気持ちは収まらなかった。
家族を崩壊させた張本人でないにしろ、ネロも兄弟をばらばらにした奴隷商人の一人。
このまま黙って帰ることなどニールには到底我慢できる訳がなかった。
「ふざけるな、兄弟の絆が奴隷商人なんかの手で簡単に切れるはずがない。どんなになっても元々家族だった思い出は消えねえんだよ」
「……話がわかる相手かと思ったが、まだ子供だったか」
「大人も子供も関係ない。家族をばらばらにされて平気なやつなんていない。エステルだって、あんたに母親を連れ去られてもまだ取り返そうとしてるんだ!」
「そんな綺麗事をよくも堂々と言えるものだ。兄弟をばらばらにした罪は君自身にもあるというのに」
「なんだと?」
ニールの啖呵はそこで途端に止まった。
ネロはその隙へ付け入るように叫ぶ。
「兄弟が襲われたというのに自分だけは助かった。それは君が兄弟を見捨てて逃げたからではないか? 今になって兄弟を救おうとしているのも、どこかで罪を感じているからではないのか?!」
「違う!」
「違ってここまでするものか。何年も別れたままの兄弟を今頃になって救おうとは思うはずもない」
「違う! 俺は、俺は……!」
形勢が変わってニールは反論できずに立ち尽くす。
否定はしても言えるような根拠を見付けられず、拳を握り締めているしかなかった。
それを面白可笑しそうに笑いながらネロは言う。
「良い見せ物だったが、時間の無駄だったな。商売の話もないならお引き取り願おう」
ネロが指を鳴らして合図を送る。
ニールたちを囲っていた付き人二人が動いてニールの腕を掴む。
追い出そうと引っ張るが、ニールはそれを振り払った。
しかしメフィストが躊躇いもなくニールの頬を殴って、銀色の床へ殴り飛ばす。
ニールの唇が切れて血の味が口の中に広がった。
「これ以上抗議するようなら今度はあんたの機体を壊す。まだ空を飛びたいならこのまま帰った方がいい」
メフィストの口調は事務的で感情がこもっておらず、まるで常套句を口にしているようだった。
メフィストの目に迷いや躊躇いがないことがわかるとニールは項垂れる。
ネロへの怒りを剥き出しにしていたニールだったが体から力が抜けていく。
抵抗することもなくなり、付き人に肩を組まれて無理矢理立たされた。
しかしそこでニールはあるものを見てしまった。
母親と思われる人と悲哀に満ちた表情で見つめ合っているエステルの姿を。
このまま何もできないまま塔を後にするなどニールにはできなかった。
メフィストだけではなく、エステルの母親も救うとエステルに宣言したのだ。
そのことを思い出すと再びニールに意志が戻る。
まだ諦めずに二人の奴隷を解放しようとしていた。
「ネロ、一つ交渉だ」
ニールは付き人に追い出されそうになりながらも言った。
聞く耳持たなかったネロも興味を示す。
ニールは付き人の手を振り払いながら宣言する。
「俺があんたの奴隷になることを賭けて、メフィストとエステルの母親のために空戦を挑みたい」
ニールが大きな勝負に出て、背後のエステルも目を丸くした。
勝てれば奴隷を二人解放できるが、負けてしまうと自身の人権が失われてしまう。
それは一言で言うよりもずっと大きなもので、命に匹敵するようなほど大事なものを賭けた博打だった。
それでもニールの目は揺るがない。
気持ちが滾ってはいたが、ここまでの博打に出ても冷静になっているつもりだった。
ネロが口を緩めて答える。
「面白い話だが、ベットが見合ってない。一人の賭け金に対して私は奴隷二人を賭けている」
「俺が持ってる水上機もあんたのものになる。いにしえの文献から再現した自慢の機体だ。それでも不服か?」
「残念だが釣り合わない。上乗せがなければ受けるには足らない」
ニールは更なる賭け金を求められるが、これ以上賭けるものがない。
水上機どころか財産も名誉も人権も賭けているというのに、それでも奴隷二人分というベットにはまだ足りない。
ここまでしてもネロの天秤が動かず、ニールは目を細めた。
「私もその賭けに乗るわ」
エステルも宣言してニールは振り返った。
「ニールが空戦で負けたら私も奴隷になる。これで賭けが釣り合うはずよ」
「二人共随分な自信だな。どんな腕してるか知らないが、過信するには若すぎる」
「でも勝つのはニールよ。どんな相手を出してきても空戦でニールの右に出るものはいないわ」
エステルの表情はニールと同じく全く揺るがない。
ニールはそこまで信用してくれているのが意外で、驚きながら話を聞いていた。
ネロは笑いながら答える。
「面白い。そこまで言うなら受けて立とう。明後日までにニールの相手を雇っておくので勝負してもらう。喫茶店『アメリカ』の前に来い」
「いいだろう。メフィストとエステルの母親も連れて集合だ」
決闘の約束が済んで二人はネロとメフィストに背を向ける。
ニールが口に溜まった血を吐き捨てながら銀色の塔を後にした。
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