第2話 空戦、クリムゾンレッドの機体
「あんたがエンジン回したことあって助かったよ」
座席に座り直したニールがキャノピーを締めながら言った。
「ああいう店で働いてるとね」
「頼んで正解だった。名前は?」
「エステル。ニールだったわよね?」
「……そうだよ。あんまり目立ちたくなかったのに」
店主が口にしなければ盗み聞きされることもなかったのに、とニールは恨んでいたが、やはりこの水上機は嫌でも目立つ。
いずれエステルにも正体を知られているかもしれなかった。
ニールが操縦捍を少し捻って足でラダーを調整すると、その目立つ機体は方向を変えた。
酒場のあった島の上空を旋回し始める。
約7ヘクタールの島の隣に、大きな空母もその隣に見えた。
「さっきの人たち、追ってくるみたい」
エステルが目を凝らしながら言った。
ニールは冷静な表情で相槌を打つ。
そのまま逃げる様子もないので、エステルは目を細めて尋ねた。
「まさか、迎え撃つの?」
「降ろす暇はないから、悪いが付き合ってもらうよ」
「逃げるだけでいいじゃない。危険な真似はやめて!」
「弾をもらうつもりはない。アクロバットの準備だけしといてくれ」
ニールの頼もしい言葉を聞いてもエステルはまったく安心できそうになかった。
これからドッグファイトになることに絶望して、とりあえず近くにヘルメットか何かがないか漁った。
それはGに耐えるためでなく、弾の直撃を避けるためだった。
結局エステルが望むものは見付からず、連中の飛行艇や水上機は海を離れ始めた。
数は全部で五機。
その中の一機は双発エンジンの大型飛行艇だった。
「あいつら、この前見た時より多くなってるな」
ニールの呑気な声にエステルは眉間を寄せたが、抗議する余裕はなかった。
覚悟が決まる訳もなく、頭を抱えていることしかできなかった。
操縦席の無線機から声が聞こえる。
『逃げ出した腰抜けが今更向かってくるぜ。空戦ならぶちのめせるとでも思ってんのか?』
『がはは、けどこっちには腕利きぺテロがるんだぜ! あいつごときが敵うもんか!』
『蜂の巣にして二度と飛べなくしてやれ! がははは――』
ノイズしか拾わない無線機をニールは躊躇いなく切った。
返答するどころか意識さえもせず、目の前の敵を真っ直ぐ捉えると、笑いながら思い切りよく告げた。
「それじゃあ、行くぜ!」
掛け声とともに操縦捍が大きく捻られて、引かれた。
瞬間、世界がひっくり返る。
さっきまで下に広がっていた海が頭上に見えて、それが目の前に上ってくる。
エステルは奥歯を食いしばって強烈なGに耐える。
頭から足に掛かったGが今度は足から頭へ掛かり、胃が裏返りそうな感覚が二人を襲った。
そんな中、ニールは水上機の翼を上から捉える。
機首を調整して機関銃の狙いを定めると、操縦捍に付いた引き金で連射する。
急降下しながらの攻撃は敵機の翼にいくつもの穴を空け、互いの二機は高速で擦れ違った。
ごろつき達が、海へと落ちていく仲間を見ながら叫び声を上げる。
「先頭がやられた!」
「ちくしょう、チビのくせに!」
ニールが機体を180度ロールして水平にし、海面近くを飛びながらエステルを気遣った。
「大丈夫かあ?」
「大丈夫じゃないわ!」
迫真の訴えをニールは笑って返す。
「腹と足に力入れて3秒に1回すっと息するんだ。今よりは楽になる」
機体があまり減速しないように大きくUターンし、海面が大きな白波を立てる。
連中の飛行機も戻ってきて、こちらに正面から向かってきている。
さっきより一機減ったが、高度の優位がある四機が一斉に狙ってきていた。
「ヘッドオンだ。次はちょいときつくなるぞ」
エステルはニールの言葉に返す余裕がない。
遠のきそうな意識を必死に繋ぎ止めている。
連中は真っ正面からでも機関銃で撃ち合うようで、こちらがいくら相討ちになろうとも、数と高度の優位で反撃しようとしてくる。
むしろ真っ向勝負上等とばかりに高度から襲い掛かった。
ニールは不利な状況にあるとわかっていても四機へ向かっていく。
機体を45度右側に傾け、左側のラダーを踏み込みながらどんどん加速させていく。
敵機が向かってくるのをじっと捉え、擦れ違うまでの距離を測っていた。
そして、連中の機関銃が火を吹く瞬間、ニールは操縦捍を左に捻って引き上げた。
赤い機体が弾を避けて、海上から一気に上昇する。
連中が狙いを定めようとしても間に合わず、ニールと連中は高速で擦れ違った。
ごろつき達は転回してもう一度ニールと正面から撃ち合おうとしたが、ニールは回避と同時に宙返りの軌道に入っていた。
ニールが連中の後ろを取って機関銃を連射する。
「あの野郎、インメルマンを!」
「馬鹿、シャンデルだ!」
「どうでもいい迎撃しやがれ」
双発型の大きな飛行艇の中で怒号が飛び交っていたが、ニールの弾が尾翼を粉々に吹き飛ばす。
迎撃する間もなく、操縦不能で海へと落ちていく。
ニールはそのまま残り三機を追っていく。
敵機の後部銃座に狙われるが、機体の下に隠れながら攻撃を繰り返し、主翼を撃ち抜いて一機撃破した。
「くそう、腕利きは何をやってる!」
「見当たりません!」
「あの野郎、なにが『紅色の使徒』だ。早く後ろを取りやがれ!」
連中の叫びも空しく、ニールに尾翼を撃ち抜かれる。
飛行不能になって、木片をばらまきながら落ちていった。
ニールも残る一機ペテロとやらが駆る水上機を見失っていた。
最後にあの赤い機体を見たのは二機目を撃破した後だ。それでも敵の動きを把握していない訳ではない。
敵の宙返りを真上に見ていたエステルが叫ぶ。
「後ろに敵が!」
「わかってる!」
エステルの声に答えて、ニールは撃墜した飛行機の隣を抜ける。
接近してくる敵機に備えた。
「紅色の使徒の恐ろしさ、思い知らせてやる!」
敵パイロットの叫びがニールたちの背後から聞こえてくる。
スピードが乗っているようで、もう声がエンジン音で掻き消えないほど近い。
逃げるのならスロットルを上げて加速しなければならない。
ところがニールはスロットルを上げないで、むしろ低速に下げる。
敵の照準から逃げる軌道を取るだけで加速しようとせず、250キロにも満たない速さでゆっくりと機体を飛ばした。
「ニール、加速しなきゃ!」
「このままでいい」
「何言ってるの、このままじゃ!」
相手の照準から逃げ続けているが、何度か発砲されている。
被弾していないものの、これでは撃墜されてもおかしくない。
エステルはニールの意図がわからず慌てるばかりだった。
ところが敵機の照準が定まった次の瞬間、ニールはフラップを全開にして急減速する。
操縦捍を上げて機首を上げ、失速気味に飛び上がった。
真下を敵機が通過する。
エステルは、相手の驚いた顔を真下に見た。
ぺテロが人知れず声を漏らす。
「あのチビ、何をやったんだ?」
背後へ回り込んだニールはスロットルを全開、機首を水平に戻すと、機関銃を連射。
ぺテロの翼を木っ端微塵に破壊した。
「ちくしょう、覚えてやがれー!」
大破した水上機から定番の捨て台詞が聞こえてくる。
ニールはそれを見下ろしながら笑い、悠々と先を飛んだ。
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