第6話 箱根駅伝目前

 補欠————仕方のない事だと思う。監督から復路のどこかで使うからそのつもりでいてくれと言う指示を受けての結果だが、当日変更の当て馬だとわかっていてもやはりエントリーされたかった。


 出場が決まってからさらに二ヶ月余りの部内の競争を経てつかんだ、16枚の切符。予選ではチーム内3番目だったとは言え結局は現在進行形の努力と実績が必要だ。

 東京地球大学は決して大きな大学ではない。見知らぬ人と話してどこの大学に通っているのと言われて、東京地球大学と答えたらそれどこにあるのと言われる事は残念ながら珍しくなかった。そんな存在にとって箱根駅伝は絶好のアピールの機会であり、なるべくその名を売り込み続けたい。となるとどうなるか、やはり最初からエースを並べ続けると言う事になる。

 本当は7区に濱田を置きたいんだよ、監督は僕たちの前で諦めきれない気持ちをにじませながらわざとらしい作り笑いをしつつそう言った。人間、本音と建前って奴がある。監督はマスコミの人の前では目標はシード権とか言ってたけど、僕たちの前では目標はタスキをつなぎ切る事だと言っていた。

 実力差は圧倒的だ、前回の箱根で優勝した太平洋大学のゴールタイムは11時間1分20秒、10位の下総大学は11時間15分ちょうど。東京地球大が最強のオーダーを組んでベストパフォーマンスを発揮した所で11時間20分がせいぜいだろう。シード権なんぞ土台無理な話だ。ちなみにその「最強のオーダー」では僕は8区を走る事になっている。

「だってお前落ちて来そうで落ちて来ないからさ、終盤にきつい坂がある8区がいいんじゃないかって思ってさ」

 その「最強のオーダー」を考えた先輩になぜかと聞いたらそんな事を言われた。たかが半年前には5000mの後半でばててしまっていた人間がそんな走りができるようになったのかと思うと誇らしくもあるが、少し持ち上げられすぎな気がしないでもない。


「先輩はやはり2区ですよね」

「食べながらしゃべるんじゃないよ」

 ダニエル先輩と共にラーメンを食べる、練習終わりのいつもの光景だ。一応麺は一本たりとも口には入れていないけど別に揚げ足取りをする事もない。

 花の2区と呼ばれるエース区間、そこに留学生を持ってくる大学は多い。ポテンシャルもさることながらやはりアピールと言う面が大きいんだろう。何せその前は1区と言う全く横並びの状況であり、そこから始まるだけにランナーの差がより顕著に出る。濱田さんを持って来ればまだともかく、そうでなければ東京地球大はいきなり離されるだろう。そして離されるとは言っても所詮217キロの内の21キロだ、「目前のターゲット」はいくらでもいる。その目前のターゲットを次々と追い抜いて行く姿は実に格好いい。

 東京地球大学が箱根駅伝に力を入れ出したのは、もっとも生臭くかつ味もそっけもない事を言えば生き残るためだろう。全入時代とか言われる昨今、何らかの売りがなければ大学は潰れてしまう。僕だって実際の話、箱根駅伝を走る事が第一であり東京地球大学に入る事はそのための手段に過ぎなかった。その点では持ちつ持たれつでありWIN-WINなのだろうが、どうにもすっきりしない面はある。

「まあな、それが役目だからな。でもメンバーに選ばれなきゃきついぞ、前回監督に頼み込んだけど断られたしな」

「失礼ですけど学生連合は」

「いや、交通整理」

 僕は口にラーメンを入れていない自分の幸運に感謝し、そして水を飲もうとした直前であった自分のタイミングの良さにも内心で拍手した。箱根駅伝の予選に参加した場合、通過であろうと落選であろうと本大会に15人以上のスタッフを送り込まねばならない。部長も前回は交通整理役をやらされていてなとか言っていたが、16名のメンバーに選ばれなければまた同じことになってもおかしくはないのだ。いやさすがにチームで出場する大学の一員としての活動がある以上そうそうないとは思うが、全くゼロではない以上油断はならない。ましてや交通整理と言うのは、自分が走りたかったコースを、他のランナーたちが走っていると言う屈辱的な現実に近接しながら行わねばならない行為である。

「先輩……」

「箱根駅伝って空間の中にいたかったんだよ、たとえどんな役目でも。亘だってそうだろ。ああすまない、やはり無理強いって奴だったな」

 ……………自分がどれだけ恵まれているか、そして欲張りか。僕がその事に気付いてがっかりしたのを察してダニエル先輩はすぐさまフォローを入れてくれたものの、自信と実績が過信と虚名に変わるのは実に早い物だと思い知らされた。


「おかけになった電話は……」

 渉二からは大学生になってから一度も電話がない。会話さえもあの夏合宿の時だけだ。

「おめでとうございます!!まあ予選会全体の力関係を見た上で冷静に判断すれば東地大の予選通過は予測できましたよ、まあ徳政大の5位通過は予想外でしたけどね。本戦ではきっちり力の差を見せますのでどうかご覚悟を♪♪♪」

 予選の日の夜に治郎がくれたメールだ。音符マークを最後に3つもくっつけて来る辺り浅野は相変わらずだ、まあ予選の3日前にはベスト3は堅いとか言ってたから内心では少し悔しいのだろう。

「渉二と音信不通なんだけど、治郎は何か知ってるかい」

「全日本にはご存知の通り出場していませんでしたし、その前後に連絡を入れたはずなんですけど梨の礫でしてね……倭国大は正直危ないかもしれませんね、見たでしょあの結果」

 治郎も知らないとなるとこれは問題だった。予選でチーム6位だったのになぜ出られないのだろうか。故障か、それにしてはなぜ何も話が出ないんだろう。陸上選手としてのおごり高ぶりを語り合える相手として絶好だと思っていた渉二が何をやっているのかわからない。記録会の話を聞こうと思ったがそれすらまともに出ていないらしい。


そして全日本大学駅伝だ。倭国大学は、14位に終わった。4区のジョセフさんで3位に上がってから後は見るも無残と言うべき形での失速ぶりであり、トップとは9分半の差を付けられてしまった。いくら出場していないとは言え、渉二のショックは半端ではないだろう。

 なおさら渉二に声をかけたくなったが、あるいはそっとしておくべきなのかもしれない。東京地球大学の数倍の規模の倭国大学には、僕や治郎でなくても面倒を見てくれる人間がいるはずだ。世の中には自分よりも恵まれない人間がいるのだから頑張らなければならないは真理だが、自分よりどこかの点において恵まれている人間もいる。ダニエル先輩のストイックさは素晴らしい物だが、年がら年中それをやって潰れる訳にも行かない。

「まあ、箱根では巻き返すだろ」

「だといいですけどね」

 スマホに浮かぶ短い文字の羅列だったが、今の僕には何より大きなデータだった。

データと言えば、タイムの更新の方はなかなかできていない。5000mのベストは相変わらず14分50秒を切れないし、10000mだって30分を切った事は練習中でさえ一度もない。

「箱根前のラストチャンスだな」

 そう言われて挑戦した11月半ばの記録会、うちの学校の箱根メンバーを含む18人が大量出場したその記録会でも結果は10000mで30分3秒64、自己記録ではあるが30分は切れなかった。

「まだ開き直りが足りないな、もうちょいガンガン飛ばしても罰は当たらんぞ」

「ですからそのつもりで行ったんですけど」

「いやまだ遠慮してるな、ほらこれを見ろ。前後半のペースがほとんど変わってないぞ」

 監督から渡されたプリントには、前後半5000mずつのタイムが書いてあった。前半は14分59秒88、後半は15分3秒76。一応後半落ちてはいるが、誤差の範囲内だ。まだためらいがありそれが自分のベストパフォーマンスを妨げているのかもしれないと言う事実を、そうやってデータとして突き付けられると重い。

「まあこれでほぼほぼ当確だからな。最終発表は12月になるだろうけど、今からでもコースの研究をしておく事だな」

 ありがたいお墨付きではあるが、その事に安住していてはいけない。例え走れなかったとしてもその日にピークを持って行けるようにしなければならない。予選の時と同じようにすりゃいいじゃないかと言う話なのだが、その予選の時は正直あまり考えてなかった。

「体調管理だけは怠るなよ」

 確かにその通りだが、それでも学業は無論怠れないし練習も欠かせない。去年まではクリスマスはディナーも楽しんだし仲間内で騒ぎもした。彼女……は作れるもんならと思ってはいるがその前にまず駅伝だろう。高校生活を懐かしむつもりもないが、勉強と陸上だけやっていればいいだなんて簡単な物ではない事にいまさらながら気付いた。2年生になったらバイトを始めたい、そして陸上の力で就職しようなんて事ができきそうにない以上就活も始めねばならないと……案外、純粋に陸上を楽しめそうなのは今年が最後かもしれない。そう思うと身が固くなる。

「大丈夫ですかね」

「大丈夫も何も、お前が代表なんだよ。それに負けた俺たちはお前がどんな走りをしようが文句は言えない、それが勝負って奴だ」

 様々な思いを込めた中での大丈夫かなと言うセリフに対し、16人のメンバーに選ばれなかった4年生の先輩がそう言ってくれた。クリスマスパーティーと言う名の壮行会、男だらけの12月24日。監督が自腹で買って来た1000円にもならないワインを飲みながらちょっとだけ酒臭い息を吐きかけて来る先輩の声は、ずいぶんと暖かかった。

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