第11話 二人の剣霊使い

 トウラドオク八世の最期を目の当たりにしたインファンティラに動揺は感じられなかった。力無く頭を下げる若き王の姿を当初から想定していたかの様に冷静であり、紫の瞳は剣霊の頂点に立つ神剣霊らしい威厳と冷ややかな威圧を変わらずに保っていた。

「どうだ、剣霊と契約を交わした男よ、王を殺めた感想は?これがそなたたちを長年恐怖の圧制で苦しめた元首の成れ果てだ。憐憫の情を掛けるにも惜しい姿ではないか。」

 インファンティラは動かなくなったトウラドオク八世の背後に廻ると、小指でブリスタンが描いた軌跡をなぞる。付着した血を口元に運び、その彫刻の様に整った横顔に一瞬だけ曇りを見せた。

「死者を死者たる姿に戻し、自然の条理に従っただけだ。どうもこうもないだろう?」

 ル・ゾルゾアの手にする曲剣が真夜中の空気の様に刀身は冷たく輝き、全てを切り裂かんとする刃は彼の気迫を具現化したかの様に冴え渡っている。

「自然の条理か。大地を冒す事しか知らない人間が条理をに説くとはな。思い上がりも程々にしろ。」

 インファンティラは右の掌を前に突き出した。持ち主を失った剣が切先を下にして宙に浮き始める。幻覚を見せられたかの様に二人の剣霊使いは眉をひそめた。宙に浮いた剣の背後から三本の剣が姿を現し、ル・ゾルゾアに狙いを定めた。

「不味い血を舐めてこの者の遺恨を読み取った。後悔、悲憤、苦悩がこの者を占めていた様だな。そなたは亡き者の遺恨に耐えられるか?」

「そう簡単に俺はやられんよ。」

 胸の高さに床と水平にル・ゾルゾアは曲剣を構える。攻防のどちらにでも直ぐに移れる姿勢とは言えども三本の剣を同時に相手をするのは極めて困難である。

「人間は滅ぶ。それがにとっての自然の条理だ、あの世とやらでも覚えておけ。」

 右の掌を握り締めると共に宙に浮いたトウラドオク八世の剣は床を打ち、亡き者の遺恨を象った三本の剣が一斉にル・ゾルゾアを襲い始める。不敵な横薙ぎを払い落とし、無情な正面からの一閃を打ち破る。だが三本目が放った狂猛な刺突撃はル・ゾルゾアの左の太腿を掠めた。僅かな時を置いて鮮血が流れ始める。動脈を切断された場合、血は直ぐに吹き出すが僅かでも時が経過して流れる血はそれ以外の部位に傷を負った事を意味し、致命傷ではない。だが流れ出した血の量によっては死を受け入れざるを得ない状況となる。片膝を床に着けたい中、ル・ゾルゾアは再び胸の高さに曲剣を構え、僅かに腰を落とした。

「インファンティラといったな。この三本は亡き王の遺恨が原動力なのだな?」

「それを知ってどうする?」

「あの世への手向けだと思えば良いだろう。」

「死に際に洒落を決め込むか。その通りだ、愚かな人間よ。」

 鼻で笑うインファンティラは握り締めていた手を開き、三本の剣が負傷した剣霊使いに切先を再び向け始めた。相手の鋭利な切先の頂点を一つの点とするならば、三つの点を線で結ぶ様にル・ゾルゾアは手に持つ曲剣を動かす。その動作は曲剣に相手の姿を見せ付けている様にユストには映った。

「洒落なら俺より数倍巧いのがいてな。今度はそいつが相手をする。それに手向けとは俺自身に向けてでは無い。インファンティラ、貴様に向けてだ。」

 ル・ゾルゾアは曲剣の切先から刀身の付け根までを負傷した太腿に擦り付け、三本の剣に向けて距離を縮める。黄金の刃は契約者の血液をすすり、血液中に含まれる脂質が燭台の明かりを反射しているだけなのか、ブリスタンという艶やかな剣霊の力が解放されるのか、妖しげな輝きを放ち、見る者に印象着けさせる。インファンティラも再び手を握り締めるが時は既に遅かった。三本の剣は微動だにしない。左斜め下から右へ流れる勝利を掴み取る一撃は二本の剣の刀身を砕き、残る一本は宙を舞った。ル・ゾルゾアはトウラドオク八世の遺恨が三本の剣の原動力である点に注目し、活路を見出した。単なる剣は意思を持たず、ブリスタンの能力に効能は無い。だが、遺恨とは人間が抱く心の顕れであり、心の顕れを持つ剣であるのならブリスタンはこれらを操る事が可能であると判断したのである。勢い良く回転しながら放物線を描く直剣は、インファンティラの胸元を着地点として目掛ける。神剣霊の胸に突き刺さろうとしたその瞬間、ブリスタンに操られた遺恨の剣は姿を消してしまった。

「残念だが時間切れだ。まぁ、としてもそなたの芸をもう少し見るのも一興だが、不味い血を二度も舐めたくないのでな。」

 イルサーシャの一撃を食い止める際に腕を動かしたインファンティラが宙を舞う剣に対して微動だにしなかったのは一舐めしたトウラドオク八世の血の効力が切れるのを計算していたのか、それとも単なる剣では神剣霊の身体に傷を負わせられないという絶対の確証があった為なのか。負傷したル・ゾルゾアが剣体となったブリスタンの一撃を繰り出しても先のイルサーシャと同じ結果であろう。どちらにせよ、インファンティラを倒す手段は闇の中である。三本の剣を退けたル・ゾルゾアは流れる血を止めるべく、腰からぶら下げている協会から支給されたスカーフを巻き付ける。彼の機智に富んだ目は死んでいないが、唇の色が暗くなっている。流血により体力を激しく消耗している証拠である。片膝を着いたまま肩で息をし始めている剣霊使いに冷笑を贈るインファンティラの視線がもう一人の剣霊使いに向けられた。

「さて、もう片方の黒髪の男はどんな芸を披露するのか。長姉たるサリシオンの真似事ではないが、暫しの情を掛けてやろう。そなたの脆弱な剣霊を本来あるべき姿に戻し、自身にとって最高の剣技を以ってに挑む機会を与えようではないか。」

「脆弱とは…許さん、その言葉取り消せ!」

 語気を荒げるイルサーシャは全身に力を込めるが大地の意思が放った一撃は両足を動かす事を許さなかった。腕は辛うじて動くが気だるさで倒れそうな上体を支える以外は何も出来そうにない。

「許すも何も、に傷一つ付けられない者の言葉など耳に入らん。」

 身動きが出来ないイルサーシャを見下すインファンティラが腕を組み直し、赤黒いドレスが衣擦れを発する。食痕を連想させる目を覆いたくなる色彩は血を渇望する彼女の意思を表現している様に見えた。

「そなた、ミゼレレと同じく首筋から血を摂るのか。あの者の様に控え目なものだな。は心の臓に喰らい衝きたいのだ。鼓動という生命の表現とそこから送り出される血のどちらが先に果てるか、そなたの契約者で音を立てながら血を摂る事で実践してやろうではないか。とくと聞き、神剣霊に楯突く己を省みろ。」

の誇りに掛けてその様な事させるものか!」

 屈辱を受けた怒りが緑色の瞳に集中し始めた中、力が入りきらずに震える肩にユストの手が添えられた。冷静な表情で首を横に振る契約者の姿に剣霊は我を戻し始める。悔しさと情けなさを隠す様に剣霊は肩に置かれた契約者の手の甲に頬を摺り寄せた。

(ユスト、はこの身が動かん。インファンティラの言う通り一撃で自由が奪われた。相手が神剣霊とは言え、情けない限りだ。)

(無理するな。あとは愚生がやるから剣体に戻るんだ。)

 ユストはイルサーシャの肩を支え、上半身を寝かす。不屈の意思を持つ剣霊とは言え、その髪は女の髪であり、彼女の今ある心境を表しているかの如くしなやかに垂れ下がった。

(そなた、インファンティラに対し勝算はあるのか?)

(あるのか愚生自身判らん。だがこの血を易々と他に譲るつもりは無いよ。)

(そうだな。ユストはだけの契約者だからな。)

 口元に僅かな笑みを見せ、契約者の頼れる姿に剣霊は安堵を感じつつある目を閉じた。

(奴には効かないとわかった以上、ソロウとペインを戻せ。下手に体力を消耗するだけだ。)

(ソロウだけでも言う事を聞かせようと思えば不可能ではないが…その身を奴の攻撃に晒すのか?)

(イルサーシャ、君が今すべき事、それは愚生を信じる事だ。)

 イルサーシャは頬を寄せた手に視線を落とした。剣霊が剣体となる時、全ては契約者に委ねる事になる。イルサーシャにとって見る事も聞く事も、そして感じる事も侭ならなくなる。インファンティラがこれまでに遭遇した敵とは格が違うのはこの身で理解した。同時にユストの身を案じてしまうのは不自然な事ではない。剣霊と契約者という枠を超えた何かが、徐々に彼女の中を占め始める。肩を支えるこの手は幾度と無く共に敵を退けて乗り越えてきた。信ずるに足る手は困難を前にして剣体を決して離さなかった。ユストはの誇りを必ず護ってくれるという、これまでの実績と更なる願いが彼女の意思を確固たるものにした。

(判った。ユストの言う通りにしよう。)

 身体と心に安らぎを覚えた剣霊は自らの魂魄こんぱくを守護する二匹に元の姿へ戻る様に指示を出す。イルサーシャの足元に黒蛇のピアスが一対、漆黒の深さを持つ輝きを放ってその存在を主張し始めた。力無く動く細い手がピアスを無造作に掴み、彼女は胸元で広げて見せた。

「甘えて良いか?はユストの手で着けて貰いたい。」

 わざわざ声に出したのは彼女の願望の強さがそうさせていた。惜しまずに如実に現われた女の感情に男はただ素直に受け入れるしかない。

「大丈夫、そなたを噛み付く様な事はしない。鎌首をもたげているソロウは左、右が尾を噛むペインだ。間違えるでないぞ?」

 ユストの指がソロウを摘み、イルサーシャの左の耳に近付ける。鎌首をもたげた漆黒の蛇は自らが納まる場所を知っているのか、抵抗する事無く、汚れや傷と無縁の艶が有る耳に掛かる。次に首を動かし、彼女がいつも行う仕草の様に、輝く白銀の横髪を耳に掛けてからペインを元ある位置に戻した。満足という概念が彼女を包み込んだのか、その口元に微笑が現れる。ピアスを着ける間に閉じていた瞼を開くと、緑色の瞳は女から剣霊の眼差しを取り戻していた。

が付いている。存分に働かれよ。」

 契約者の勝利を願う言葉と共にイルサーシャは本来の姿に戻った。寸分の狂いも無く長い直線を描く刀身は白銀の輝きを放ち、その剣自身が誇る不屈の精神を余さずに物語る。柄に絡みつく二匹の黒蛇は不屈の精神を守護し、それを冒すあらゆる者を威嚇する形相を保ち続けている。その剣の誇りを理解し、且つ握る事が許された唯一の契約者、ユスト・バレンタインは五年前に利き腕とした左の手で神をも恐れぬかの如く冷静に掴み、立ち上がった。

「黒髪の男よ、そなたの剣霊の仇討ちのつもりか?言わずともその立ち姿でには判るぞ。」

 インファンティラの右手が下から上へと宙を切る。赤黒い袖が闇夜に舞うと共にユストは手に持つ直剣を横に構えて目で捉えられない一撃を受け止めた。

「そなたのその剣、としても少々成り立ちが気になるところだが、大地の意思たる神剣霊に効くか試してみるが良かろう。」

 インファンティラの冷酷な視線は剣体となったイルサーシャを捉えている。インファンティラの言い様はイルサーシャが過去の記憶を失っている謎の糸口を見出し始めようとしているのか。だが今は謎解きに時間を費やす余裕は無い。インファンティラから聞き出せないのなら同じ神剣霊であるミゼレレに教えを乞うか、あるいはまだ見ぬ剣霊帝に頭を下げれば良い。イルサーシャと同じく横薙ぎの一閃を以ってユストはインファンティラに斬り掛かる。音を立てずに素早く相手の懐に飛び込む様は同じ剣霊使いであるル・ゾルゾアの視線を奪うのは当然であった。腕の余計な力を抜き、剣自らの重さから生じた遠心力に任せて空気を割く。右から左と流れる切先をインファンティラは二本の指で受け止めた。堰き止められた濁流が溢れるかの如く、行き場の失った斬撃から生じた力が直剣を握る左腕を通して全身を駆け巡る。両脚が震え、否応にも奥歯を噛み締める。

「そなたの剣霊の細い腕と違って力は幾分あるようだが、そもそも話にならん様だな。」

 インファンティラはイルサーシャの一撃を腕で受け止め、ユストの一撃では二本の指で応えた。より強い力をより細い方で受け止めた事実は神剣霊の何たるかを見せ付け、攻撃を加える者の戦意を削ぐのに充分な効果がある。二撃目に移るべくユストはインファンティラと距離を置く。確かに斬撃を弾き返された衝撃で足元は覚束無いが、心は折れ曲がらずにいた。確固たる勝算がある訳ではない。彼の中でインファンティラ自らが発した言葉を頼りに戦いに挑んでいた。

 人間が滅亡を迎える為に神剣霊は世に現われた。では人間が滅亡しなければいけない理由とは何なのか。大地の意思を語るインファンティラは彼女の前で身動きしないソロウとペインに対し、大地の恩恵と尊さを口ずさんだ。つまり人間は大地を汚し、大地の恵みに対し軽率な行動をしていると判断できる。その人間の愚行から大地自身が身を護るべく現われたのが神剣霊であるのならば、この手で人間の有様を体現する、つまり行き着くとこまで大地を汚す思いで挑めばインファンティラを倒せるのではないかとユストは考えていた。人間が滅亡するのならば、大地を汚した者として汚名を被る事など、気にせずにいられる。今はただ、手にする剣霊の誇りを信じ、目前の敵を打倒するのみである。目の高さと平行にして直剣を構え腕を引く。空いている手は柄頭に添え、体の重心を限りなく下へと落とす。直剣のみが繰り出す事が可能な刺突撃の構えである。

「大地への恩を仇で返そうというのか。つくづく不届き極まりない愚かな人間よ、そなたと同じ必殺の型で全てを打ち砕いてやろう。」

 神剣霊に全てを読まれてしまうのはミゼレレとの対面で体験している。右腕の肘を同じく目の高さで引き始めたインファンティラとの間で最大で最後の一撃という緊張が走る。ユストは目を閉じ、己の中で女の名を呟いた。心の声は彼の物言わぬ口を動かし、見開いた目に迷いという概念は消えていた。一歩二歩と足が動き、身を包む黒いコートが彼の尾の様になびく。構えた直剣は闇夜に輝く星々の祝福を受け、その白銀の輝きを増し始める。一方のインファンティラも人間の脆い意志など跡形も無く砕こうと構えた肘を更に奥へと引く。絶妙な見計らいと速さで双方が必殺の一撃を繰り出す。ル・ゾルゾアは目を疑った。直剣はその刀身を二匹の黒蛇を従えた白銀の神々しい大蛇に姿を変えていた。口を開けた白銀の大蛇がインファンティラの一撃を呑み込み、すれ違い様に肩から先の全てを奪い去った。一撃の余韻が冷めぬまま、ユストは身を翻し、再び刺突撃の構えをする。インファンティラの無情な紫の瞳に新たな感情が注がれた。驚きと怒りが入り混じったその瞳は白銀の剣を睨み付けた。

「そなたの剣霊、その実態はマナエグナ…忘れられし民…」

 言葉の途中でインファンティラは失った側の肩口を押さえ、片膝を付く。床まで達していた黒髪が畝をなし、放射状に広がる様は神剣霊の命の灯火が溢れ出ている様に見えた。

「まぁ良い。マナエグナが認めたそなたの血を摂り尽くすという、にも少なからずの楽しみが出来たというもの。この身が再生するまでの間、その首、繋ぎ止めておけ。」

 その後、ユストが刺突撃の構えを崩したのはインファンティラの姿が霧の様に消え去った後である。残ったのはマナエグナという、これまでに見聞きした事が無い言葉である。忘れられし民とは文明の発展から取り残された民族なのか。あるいは既に血流が途絶えて歴史の記憶から遠ざけられた民族という意味なのか。左手に持つ白銀の直剣に視線を落とすユストはこれまでの記憶の糸を手繰り寄せていたが答えは見つからなかった。極度の緊張感と安堵感が入り混じった空間でユストが力無く両腕を垂らした時、それは新月まであと十分程であった。


 神剣霊を謳う創造の剣霊インファンティラはその姿を消した。彼女に操られていた若き最後の王、トウラドオク八世も再びあるべき世界へ舞い戻った。辛勝とはこの事を指すのであろう。だが、トウラドオクの呪いは消え去ったと言えるのだろうか。掴み所の無い確証は疑問を生み、悩むものである。膝を折っていたル・ゾルゾアは立ち上がり、それに呼応してか、ユストも脚に力を込めた。玉座にあるトウラドオク八世の亡骸が左右に佇む剣霊使いを見守っている。ル・ゾルゾアは上着のポケットから真鍮で作られたと思われる六角形の物体を取り出し、腕を前にしてユストに見せた。

「これは懐中時計といって、俺の出生の地である東部では昨年、時計の小型化に成功した。この時計によれば、日が変わるまであと二分と少しだ。」

 ユストは頷くと共に夜空を見上げた。既に月は見えない。星は一日の終わりを示し、始まりでもある位置に達している。凡その時間は判るが、時計と比べられたら正確性には欠ける。しかも星による観測は晴れていなければ時間を計れない。

「この秋を終える頃には量産体制が整い、大陸中に出回るだろう。国外出荷に掛かる税金で少々値は張るかも知れんが、持っていて損は無いぞ?」

 ル・ゾルゾアが懐中時計を見せてから、滑らかに動く秒針が二回目の頂点に達しようとしている。ユストは手に持つ直剣を床に突き刺し、両手を柄頭に添えて目を閉じた。

「さて、懐中時計の感想を聞こうか?」

「便利ではあろうが、過去の兵役時代の様に時間に拘束されるのは、愚生としては些か気が引けるな。」

 高すぎず低すぎず、落着きのあるユストの声はル・ゾルゾアに微笑を誘った。

「判るぞ、その気が引けるという点は。俺もブリスタンに出会う前は傭兵だったからな。だが、人間は技術を求め、その技術の発展は労力の軽減や生産性の向上を生み、必要な時間を短くするのが目的だ。何処の誰が時間という概念を作り出したのかは知らないが、やがてはその時間に踊らされる日もそう遠くはなかろう。」

「いかにも。既に愚生と君は剣霊障からの開放という、短か過ぎる猶予に身を置いている。」

「全くだ。」

 ル・ゾルゾアも右手に持つ曲剣を床に刺すと普段通りに顎鬚に利き手を添えた。ユストも直剣の柄頭に触れる手を逆にした。お互いに戦意の無い証を示したのである。

「余談はここまでにして、姦しいのが物言えぬ間に決めておきたい事があるのだが。」

 ル・ゾルゾアの視線が玉座の下に向けられた。

「戦利品についてか?それならル・ゾルゾア、君が持って帰る権利がある。トウラドオク八世を倒したのは紛れも無く君だ。」

「とは言え、トウラドオク八世はインファンティラに操られていたに過ぎない。そのインファンティラを撃退したのはユスト・バレンタイン、君だよ。」

「愚生だけというのは心苦しいな。では…戦利品を二つに割るのはどうだ?」

「ムカサとダゴウがいがみ合っているのは承知していると思うが、こちらが上位であちらが下位と刀身と柄に根拠無き優劣をつける有様が見て取れるだろう?」

「確かにそれは有り得る。縦に割くのも到底無理な話、か…。」

 床に無造作に転がるトウラドオク八世の剣をユストも見つめる。剣を二つに割ると口では言ったものの、均等に二分するのは極めて困難であり、ル・ゾルゾアが語る様に依頼者たちは戦利品の優劣を付けたがるであろう。かと言って、どちらを長く短くと二人の物差しで量る訳にもいかない。

「そこで相談だが、一つ付き合って欲しい。」

 ル・ゾルゾアの言葉は一時の沈黙を生み、ユストがその沈黙を破った。

「…酒なら断る。愚生はコーヒーならいくらでもいける口だが。」

「俺も酒はたいして強く無い。それに酔っていては手許が狂う。」

 気の利いた冗談と捉えたル・ゾルゾアは再び微笑を漏らす。剣を握る者が口にする付き合いとは手合わせの事である。無益な戦闘を回避すべく心にも無い言葉をユストは口ずさんだが、機転の利くル・ゾルゾアに軽くかわされてしまった。剣霊使い同士の手合わせは彼らが所属する協会の規定では厳禁とされている。だが、唯一の戦利品は報酬を生み、報酬は次なる戦いへの準備に必要不可欠である。戦いに身を置いた者としてこの手合わせは避け切れないとユストは腹を括らざるを得なかった。

「ル・ゾルゾア、君は脚に怪我を負ったが、動けるのか?」

「体力は無くても気力がまだ有り余っている。それよりも腕を垂らした君の方が俺には満身創痍に見えたが?」

「心配は無用だ。体力気力が擦り減っても愚生には自らの剣霊の誇りを守らなければならない使命が残っている。」

「その言葉、彼女が聞いたら諸手を挙げて喜ぶだろう。耳元で囁いてやったらどうだ?」

「あれはあれで浮き足立つ傾向があるから、言わない方が生死を賭したお互いの為だと思っているよ。」

「月並みな表現で悪いが、面白い関係なのだな、君たちは。」

 何も命を奪い合う訳ではない。相手の戦闘能力を失わせる、具体的には手にする武器を払い落とせば良い。しかも新月である。二人が振るう剣に剣霊の力は生じない。この日に限り、剣霊の実態である剣体は単なる剣にしか過ぎない。技を繰り出す速さと狙いを決め込む勘だけで勝負が決まる。ル・ゾルゾアもこれらの点を踏まえた上で手合わせを行うという相談を持ちかけたのであろう。合目的的ごうもくてきてきとはこの事か、とユストは自らの溜息の音を久々に耳にした。

「始まりの合図はこれで充分だろう。」

 ル・ゾルゾアがおもむろに取り出した共通金貨を二本の指で摘んで見せる。ユストは黙って頷いて応える。二人はそれぞれの愛剣を床に突き刺し直すと距離を縮めた。互いに背を向けて肩と肩を密着させる。目測で直剣までの距離は約二メートル半、飛び込みと剣を振る時間を合わせて二秒掛かる。いや、一秒半で決めなければル・ゾルゾアの曲剣から繰り出す斬撃の速さに遅れを取るとユストはにらんでいた。

「他に何か言っておく事はあるか?」

「そうだな…。君の剣、ブリスタンの剣体は色合い、刀身の孤の描き方、剣としての佇まい全てに申し分無いと愚生は思っているよ。」

「それを言うなら俺はイルサーシャの剣体に目を奪われたぞ?ブリスタンの言う蛇姫様とやらは存外、的を得ていたのかも知れん。あの様な一撃、最初から出来たのか?」

「実はこれで二度目だが、あの一撃は愚生にも判らん。偶発としか言い様が無い。」

「ほぉ。一度目とは?」

「愚生が最初の邪剣霊と遭遇した時、つまり初めてこの剣の柄を掴んだ時だ。」

「剣霊とその契約者の間で何かが働いた付加効力だが、その仕組みが判らない、か。」

「加えて言うなら、この事を愚生はイルサーシャに伝えていない。人間の記憶を取り戻したい彼女の障害になると判断したからだ。」

「落胆する剣霊…いや、女の姿は見たくないものだが、そもそもイルサーシャが人間であった確証はあるのか?彼女には悪いが、あの一撃を見た者には疑問を感じざるを得ないのだが。」

「彼女は失われた古代文字が読める。神や他の動物に文字の概念は無かろう。」

「なるほど。説得力のある見解だ。」

「最後に、インファンティラが発したあの言葉、イルサーシャには内緒にしておいて欲しいのだが…。」

「俺は昔から記憶力が弱くてな。しかも剣霊障で字が書けなくて記録も出来ない、不便極まりない日々を送っている。安心しろ。」

「すなまい。ご厚情に感謝する。」

 ユストには気を遣った嘘であると直ぐに判り、それは彼の中でつかえていた事柄が抜け落ちた様に楽になった。ル・ゾルゾアは右腕を横に伸ばし、その手首をユストが掴み、その反対側も同じ様にル・ゾルゾアが掴む。剣霊使いというよりは剣を携える者としての意地同士が激突する様子を玉座に身を置くトウラドオク八世が見つめている。自らが所有した剣の柄を握る唯一の者を見届けるかの様な光景を知り、インファンティラが説く人間の愚かさという響きが脳裏を過ぎた。

「ではいくぞ。」

「承知した。」

 ユストが掴むル・ゾルゾアの手首の腱が動いた。共通金貨が静かな夜の世界を舞い始めたのであろう。お互いに共通金貨が描く軌跡を目視は出来ない。硬く冷たい床に弾かれた音から全てが始まり、全てが終わる。剣霊としての力の大半を失った直剣が物悲しげに語り掛けてくる。冴え渡る刃は星明りを利用してユストの今ある姿を朧気に映し出していた。抜き様の一撃は何が良いかを自らの剣に問う。右か左か、上か下か。答えなど返ってこないのは判っている。刀身を護る二匹の黒蛇は柄を掴む者を静かに睥睨している。乾いた音が響き渡ると共に二人は手首を掴む力を緩め、自らの剣に向けて飛び込んだ。柄に手が触れるまでが一秒、残りの一瞬で柄を逆手に握り、左下から右上に斜めに切り上げる。剣を握る腕にこれまでに感じた覚えが無い衝撃が走り、動きが止まった。ユストとル・ゾルゾアは互いを静かに見つめたままである。イルサーシャとブリスタンの剣体が激突した音も響いていない。遅かったのか。耐え難い痛みは斬られたという敗北によるものなのか。だがル・ゾルゾアも曲剣を振り切ってはいない。ル・ゾルゾアの腕に視線を移し、その後に恐る恐る自らの左腕に移す。青白く光る直剣がそれぞれの腕を正確に貫き通し、床に切先を食い込ませている。二人の剣霊使いは動きを完全に抑制されていた。

「おやめなさい、何をしているのですか。」

 次に全てを包み込まんばかりに威厳に満ちた女の声が脳と全身を貫いた。幾多にも畝を成す長い薄緑色の髪はあらゆる心の襞を具現化したかの様相を見る者に思わせ、その瞳は万物への慈愛が作り上げたと言わんばかりの柔らかな眼差しを湛えている。謁見の間の出入り口にあたる地獄絵の扉の前に現われたその姿は神剣霊の末妹にあたる天恵の剣霊ミゼレレに他ならなかった。

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