第10話 神聖なるトウラドオク

 次々と灯る燭台の明かりに導かれ、二組の剣霊使いはそれぞれの剣霊を従えて進む。頼りない光が回廊の端から階段を降りる様にと来訪者たちを促す。三階、二階へと差し掛かり、それでも尚、下の階へと彼らの進むべき道を示していた。

「このままお帰り下さいと大聖門まで送ってくれるのかしら?だとしたら笑い話にもならないわ。」

「そうだな。笑い話どころか、俺たちは笑い者になるな。」

 群青色の絨毯は砂埃を被っているとはいえ、闇夜の世界では燭台の光が美しい深い青色を際立たせている。かつて王のみが歩く事を許されたであろうその中央部に遠慮無く足を踏み入れているブリスタンはル・ゾルゾアの言うところの言葉遊びを遠慮無く嘯いた。余裕に溢れたとは言い切れないが、ブリスタンはこの場の緊張感を楽しんでいる様子がユストにはうかがえた。一方のイルサーシャは適度の緊張感を保ちつつ、冷静でいた。崩れ落ちた壁面の向こう側では生まれ変わる前の月が相対的な剣霊たちを見守っている。痩せ細り、頼り無さこの上ない表情をした月が消える時、剣霊はその力の大半を一時的に失い、剣霊使いは剣霊障から開放される。具体的にはユストは会話を愉しみ、己の考えを自らの言葉で表現する事が出来、ル・ゾルゾアは日記を記し、それまでの出来事を文字で残す事が出来、この場にいないシェス・ロウは鮮やかな色彩の景色に心震わす事が出来る。だが、今は月齢の一時にのみ許される楽しみに思いを馳せている場合ではない。むしろ月齢が変わる前にこのトウラドオク城に居座る敵を倒さなければ無傷で勝利を収めるは極めて厳しいであろう。この先にいる敵はトウラドオク八世そのものなのか、それとも八世の名を借りた他の者なのか。悩んでも何も得られない。この場合、下手な予測は目前の判断を鈍らせる。ユストは心の逸りを落着かせる為、煙草を銜え、その先を燭台に近付けた。

「それ、俺にも一本もらえないか?」

 先を歩くル・ゾルゾアが煙の香りに気付き、振り向きながら口を開く。ユストは頷くとル・ゾルゾアの要望通りに残り少なくなっていた箱から一本を渡した。すまないな、と残りの本数を察したル・ゾルゾアは受け取ると共に謝意を込めた笑みを見せる。遠慮する事無い、と首を横に振るユストの姿を見届けた後に提供者よろしく燭台を利用してル・ゾルゾアも火を灯す。葉が燃える際に奏でる小さな音は戦いを前にした二人の男に幾ばくかの安らぎを与えた。

「軟らかで口当たりの良い風味だな。何処のものだ?」

 やや感銘を受けた表情のル・ゾルゾアにユストは煙草の外装を見せた。白に近い淡い黄色地の紙箱に濃い茶色で豊かな装飾を持つ盾が線画で描かれ、その中央に中央行政府で使われている文字で銘柄が記されている。しかし、文字が書けない剣霊障は文字も読めなくなる。その点に気付いたユストはイルサーシャの腕を掴んだ。

「ユストが言うには銘柄はヒスロー、中央王政国家が樹立した年に公社が設立され、現在も過去と変わらず生産されている。中央の中では歴史の一番古い煙草との事だ。」

「なるほど。ヒスローか…東部育ちの俺が知らない訳だが、トウラドオク王朝の滅亡が無ければこのヒスローは生まれなかったかもしれないとなると、因果なものだな。」

「確かに奇遇といえばそれまでだが、歴史の糸とは常に何処かで接点があるものだ。」

 ユストの手は既にイルサーシャに触れてはいない。つまり彼女自身の理念の吐露に対し、珍しい事を言うものだな、と思いつつ燭台を灰皿代わりにしていたユストは半分まで減った煙草を吸い始めていた。

 ついに一階まで戻ってしまった。一階には謁見の間しかめぼしい場所は無い。ユストの思惑通りに燭台の明かりは謁見の間へと続き、地獄絵を象る扉を照らし始めた。その悲しげに揺らめく光は彫刻の陰影を際立たせ、更なるおぞましさを醸し出している。そして扉の左右に門番にしては剛毅を思わせる兵が立ち構えていた。左に立ちそびえる黄金の鎧は胸部の一部が欠け、兜の装飾も折れ曲がっている。右に居座る白銀の鎧は腹部を貫通によるものと思われる損傷を残しており、兜は右半分を失っている。二体が身に付けている手甲と脛当てが燭台の光を淡い色で反射させていた。幾多の戦いで表面が擦り減ってしまった証拠である。身に付けているものは疲れ果てているが、その手にしている武器は違う。黄金の鎧は重厚さを感じさせずにはいられない肉厚な斧を持ち、白銀の鎧は全てを砕かんと言わんばかりに強靭な棘を有する鎚を携えていた。彼らは門番や兵士ではない。トウラドウクの将軍である。勇猛果敢な前線指揮官であったのであろうと見た目はもとより威圧感溢れるその佇まいからユストは肌で感じ取っていた。ル・ゾルゾアは顎鬚を撫でる手の動きを止め、目前の二体を睥睨している。二人は剣霊使いとして歩んできたこれまでの経験が危険を知らせている事を正確に受け止めなければならなかった。受け止め方に寸分でも狂いが生じた場合、それは敗北という名の死に直結する。

「神聖なるトウラドオクに弓引く愚かな者たちの末裔よ。我らが主が待ちかねているぞ。」

 黄金の鎧が手にする斧の先端を床に打ちつける。ル・ゾルゾアの前を歩くブリスタンが更に一歩、踏み出した。

「夜遅くの晩餐会にお招き頂き光栄ですわ。ところでお二方の主さんはこの奥なのかしら?」

「晩餐会か。面白い事を語る女よ、残念ながら料理がまだ出来ておらぬ。」

 ブリスタンの気の利いた台詞に白銀の鎧が卒なく答える。彼らはこれまで倒してきたザッファの森やトウラドオク城内で遭遇した敵とは一線を越えていた。この二体にはそれぞれ意思がある。操られている様子は見受けられない。そうでなければブリスタンの言葉を巧く受け流す事など不可能であろう。

「あら、残念。宜しければ晩餐会の主食を教えてくださるかしら?こう見えてもにも得手不得手があるの。」

「主食は城の主である八世王が決められる。八世王は城内に足を踏み入れた不届きな剣霊使いの血を欲しておられた。聞くところによれば人間の血の中でも剣霊に見初められし剣霊使いのそれは別格と言うではないか。恐らく主食は剣霊使いの血だ。さすればお主の好物であろう?」

「そうね。でも、誰でも良いって訳ではないのよ?さらに付け加えるなら、我が侭なトウラドオク八世が求めている契約者の血を吟味出来るのはだけ。頭を下げられても譲る気は毛頭無いわ。」

 単なる興味によるものか、あるいはこれから起こり得る戦いを待ち望んでいるのか、いつもの様に首を傾げ腕を組みながら語るブリスタンの横顔はその口元に不敵な笑みを伴わしている。黄金の鎧が手にする斧の先端で再び床を打った。

「ならば力ずくで奪うまでの事。我らを再びこの地に立たせてくれた八世王の願いにお応えしない訳にはいかない。加えて八世王は剣霊使いの血の褒美として我らの名を思い出させてくれると申された。剣霊使いとは言え、元は神聖なるトウラドオクの臣民。崇高な主の為にその体を差し出すが良い。」

 彼らの強い意志と欲望は宵闇よりも暗く、不気味である。その中で剣霊使いの血を欲する理由についてユストは眉間に皺を寄せた。

「そなたたちの主への忠義は見上げたものだが、トウラドオクの世は二百年以上前に終焉を迎えたのだ。の契約者の血を欲する、そなたたちが崇めるトウラドオク八世は邪剣霊に成り下がったのか?」

「口を慎め、小娘風情が。八世王は神聖なるトウラドオクの末裔。得体の知れぬ魔物などに身を落とす訳無かろうが。剣霊であろうお前のその華奢な体、この斧の餌食にしてくれるわ。」

 黄金の鎧が軽々と武器を担ぎ上げ攻撃の構えをし始める。その髪の様に真っ直ぐなイルサーシャの内面は不器用さが否めないが、今回はそれで良いとユストは判断していた。ブリスタンの言葉遊びで敵の真意を測るのも重要だが、今は時間が無いと感じていたからである。

「では我が同胞、この鎚への捧げ物としてあの金髪の艶かしい剣霊を頂くぞ。」

「死に損ないに魔物呼ばわれされるのも考えものね。」

 ブリスタンの嘯きに応えるかの如く、白銀の鎧が肩慣らしの為か自慢の鎚を頭上で一振りした。重量級の武器が空気を割く轟音は威圧的であり、常人ならば耳を覆いたくなるものだが、対峙する剣霊たちは身構える事無く平然と立っていた。

「よかろう。剣霊の肌は世の男を夢中にさせると聞く。勝利の暁には我らの慰み物としての役目を与えてやろうではないか。」

「金髪の方は見た目も声も申し分ない。だが、銀髪の方はどうだ?体の出張り具合が幾分劣るが、我が同胞、それでもお主は満足出来るか?」

「確かに体の線では金髪に負けるが、鼻筋の通った顔と気高き口調は神聖なるトウラドオクに反旗を翻したどこそかの姫君という趣だ。その顔が屈辱と快楽で歪む姿に男心を躍らせようではないか。」

「それも一興。せいぜいお互いに愉しませて貰おう。」

 貶しているのか誉めているのか、どちらにせよこの上ない挑発にイルサーシャの緑色の瞳に剥き出しの感情は表れていなかった。涼しげな雰囲気を纏うその姿は戦いを前にした剣霊そのものであった。

「ユストの手を煩わせるまでも無い。ここは全てに任せろ。」

 イルサーシャの頼もしく勇ましい言葉はブリスタンの切れの長い目をユストに向けさせた。その一瞥は剣霊と契約者の仲を皮肉る様な含み笑いを伴っており、ユストは全てを覗き込まんとする黄金の瞳から目を逸らした。

「そこの黒髪の男、お主を見て思い出したぞ。」

 白銀の鎧が空いている方の手でユストを指差した。崩れ落ちた手甲は泥で汚れた腕と手を露呈させている。自らの名を思い出せない点、経年劣化はともかく手入れの行き届いていない鎧といい、この二人がこの世に蘇生してからまだ間もないとユストは見ていた。

「薄緑の髪をした剣霊だ。奴には我等が育ての親、七世王が煮え湯を飲まされた。」

「あぁ、自分も思い出したぞ、我が同胞よ。大臣を殺され橋を壊され、神聖なるトウラドオクは外部との接触を絶たれてしまった。それに乗じてこれみよがしと近隣諸国で反乱が勃発してしまった。」

「神聖なるトウラドオクの滅亡は薄緑の髪をした剣霊が引き起こしたのだ。七世王の積年の恨み、晴らさんでおくものか。」

「左様。こやつ等をねじ伏せて愉しませてもらった後は七世王の恩に報いる時だ。」

 黄金の鎧が一歩前に踏み出る。その勇ましさとおぞましさに慄くかの様に燭台の明かりが揺らめいた。

「あなた達の言う薄緑の髪をした剣霊なら直ぐ近くまで来ているわよ。良かったじゃないの。」

「そうか、探す手間が省けたか。歴代の王達が我らに好機をお与え下さったのだ。」

「でも、その前にあなた達は目の前の良い女と小娘を倒せるのかしら?ねじ伏せるですって?出来もしない事を口にする物ではなくてよ。剣霊の肌触りに妄想を抱いた時点であなた達の敗北は決まったわ。」

 ブリスタンの首が傾げるのを止め、元の真直ぐな位置に戻った。彼女の中で興味が消滅した瞬間の動作である。

「トウラドオクの世が終わるまで女は男の褒賞の対象だったわ。嘆かわしい事ね。」

「強き男が良き女を求めるのは条理に適った事。そもそも男は求め、女はそれを受け入れるのが人間のさがであろう。」

「都合の良い解釈ね。あなた達の強さは単なる略奪という名の暴力に過ぎない。その様な者が人間の、ましてや女のさがを語る姿には虫酸が走るの。剣霊となった今でも、とても嫌な気分よ。生来の名を思い出せないままあなた達を再び混沌とした闇の世界にが導いてあげるわ。ル、あなたはそこで見ていなさい。」

 顎鬚を詰るル・ゾルゾアは何食わぬ表情のまま鼻から溜息を漏らした。

「あぁ、好きにしろ。」

 組んでいた腕が下に降り、黄金の瞳が倒すべき敵を睨む。全てを圧倒する凄まじい気迫は勝利の剣霊というブリスタンの実力の片鱗を覗かせている。何事にも臆せず自信に溢れたその姿の奥底には悲しみが変化した怒りが原動力として働いているとユストは感じていた。ブリスタンの契約者であるル・ゾルゾアは静観の姿勢を通す様子である。彼の剣霊に対する放任的指示は、いわば剣霊の実力を熟知しているという土台の上に成り立っているのであろう。同じ剣霊使いでありながら、度量と機才に長けた男だとユストは賞賛を覚えつつ、自らの剣霊に視線を戻した。

 正直なところ、イルサーシャの細い腕では黄金の鎧の鍛え上げられた肉体に対して馬力負けは必至である。技巧面に対してはこの世に生き返ってまだ間もない点から判断して、腕と脚を動かす筋肉が思う様に動かない事を期待するしかないであろう。黄金の鎧が片手で振りかざす戦闘用の斧が空気を切り裂き、イルサーシャの首元を狙う。左手首のみで凶暴な刃を受け止めたイルサーシャはすかさず右手で相手の懐を突き刺すつもりであったが、圧倒的な腕力により攻撃に移る術も無く横に飛ばされてしまった。

「女物の香を嗜む剣霊とは小娘風情ながら多少の色香を知っているのか?次の一撃でその顔、傷が付かぬ様にするのだぞ。勝利の後の愉しみが半減するからな。」

 冷えきった床に横になり、両手を着くイルサーシャを見下ろす黄金の鎧は顔を覆う兜の中で卑猥な嘲笑を湛えている。肩に担ぎ上げた斧の柄を両手で持ち始めた。次は渾身の力でイルサーシャに襲い掛かるのであろう。対するイルサーシャはまだ諦めていない。立ち上がるなり右の横髪を耳に掛け、自らの尾を銜える黒蛇のピアスに二本の指を触れさせた。

はくを護りしペインよ。相対する黄金の鎧が手にする狂猛なる得物をそなたの強靭な牙で粉砕せよ。重ねてソロウよ聞け、敵は人間ではない、人間の形をした魔物だ。遠慮せずにあの黄金の鎧を破壊するのだ。」

 ル・ゾルゾアとブリスタンの前でペインを使うのは手の内の全てを明かす事になるが、今は時間が惜しい。加えて言うならばイルサーシャの意気込みが萎えなくとも、このままでは体力が持たない。一撃必殺の剣霊にとって攻撃を仕掛けずに防御に廻るのは不利であり、打開策として二匹を用いるのは自明の理と言えた。

「…この場においてどちらが何処を喰らうのかなどに聞くな!そなた達で決めろ!」

 語気を荒げたイルサーシャの様子からして、ソロウとペインの両方にどちらが黄金の鎧の中身を喰らって良いのかを尋ねられたのであろう。イルサーシャを護る忠実な二匹の蛇はいわゆるところの動物である。彼らの攻撃力及び防御力は凄まじいの一言に尽きるが、イルサーシャの気持ちをあらかじめ汲んだ行動をユストはこれまでに見た事が無い。言葉の通りに動き、従うだけである。

「何を独りで喚いておる。命乞いなら既に耳に入らぬぞ?無論、命乞いをする剣霊など片腹痛いがな。」

 黄金の鎧が手にする斧は先程と同じ位置でその凶刃の先を輝かせている。次の一撃も先と同じ軌跡を描くのであろう。違うのは両腕から繰り出される破壊力と勝利を目前とした自信である。

「剣霊、次で終わりだ。覚悟しろ。」

「その言葉、そのままそなたに返すぞ。」

 イルサーシャも黄金の鎧の攻撃を左手首で受け止めるべく先と同じ様に構え、右の手を左の拳の上に添えた。両腕の攻撃に対し両腕で受け止める。そしてその拳の中にはペインが握り締められていた。

「再び防御の構えではないか。打つ手無しと神聖なるトウラドオクの加護を受けたこの斧にひれ伏すが良い。」

「ぬかせ。が踏み込んだ時、そなたの敗北が決まる。」

 対峙する二人の中で時間の流れが徐々に遅くなりつつある。とても緩やかに、心の焦りを誘発させるかの様に遅くなる。そして時間が流れが止まった刹那、双方は張り詰めた糸が切れたかの如く動き出した。振りかざした斧が剣霊の首を再び狙う。先程より速い。だが何かに引張られる様に空気を切り裂くのを止めた。イルサーシャが踏み込んだ一歩はソロウの攻撃範囲を確保する為であり、それに応えたソロウの尾が黄金の鎧の腕に絡み付いて動きを封じ込めていた。イルサーシャの開いた左手からペインの本来の姿が現われ、漆黒の巨大な身体を所狭しと斧に這わせる。ソロウも床から頭を出し、両脚と胴を締め上げ始める。金属が軋む音がしてから数秒後にトウラドオクの加護と歴代の王に与えられた好機は砕け散ってしまった。

「トウラドオクの勇者よ、五百余年を知る者として言わせて貰おう。真の強さとは弱きを守る力なのだ。そなた達の若き王を崇める想いは立派ではあるが、行いは道を外してしまった。次も人間としてこの世に生を受けるのであれば、その点を悔い改めて生まれてくるが良い。」

「小娘風情が武人としての精神を語るのか。いい気なものだな。」

「小娘ではない、は剣霊だ。人間の叡智を凌駕する剣霊に挑みし愚行、この点に於いては暗いあの世で独り悔やむが良かろう。」

 イルサーシャの顔の両側に二匹の黒蛇の頭部が並ぶ。大きさもさもながら無表情の蛇が獲物に喰らい付かんと揺らめいている姿は不気味である。右の透き通る様な色の指がソロウの眉間を、左のきめの細かい指がペインの顎先をなぞり終えた後に、百年香を嗜む剣霊は静かに口を開いた。

「さらばだ。」

 イルサーシャの戦いを見届けていたユストは彼女の最後の言葉を聞くと顔の前で右手を広げ、俯くと共に目を閉じた。骨が噛み砕かれる鈍い音が立て続けに二つ鳴る。飛び散った腐敗臭を伴う血が数滴ほど付着した感触は手袋越しといえども直ぐに判った。


 黄金の鎧はソロウとペインの供物として倒す事が出来た。一方の白銀の鎧はブリスタンによって敗北に喫したのであろうか。自らの剣霊の戦いに意識を向けていたユストはすかさずブリスタンを探す。彼女は足元に転がる白銀の鎧に見向きもせずにイルサーシャを眺めていた。ル・ゾルゾアもイルサーシャに視線を合わせている。向こうは既に終わっていた。

「やっぱり蛇姫様じゃない、あなた。あんなのに襲い掛かられたら、さすがのでも逃げるわ。」

「蛇姫様か…改めて言われると、確かにそうかもしれない。それよりもユスト、の技を他の者に見られてしまった。…すまぬ。」

 全力で戦いに挑むのは剣霊の常である。イルサーシャの行動はその定石に則ったに過ぎない。勝利の余韻に浸らずに自らの不安定な心境を包み隠さずに語るイルサーシャに対してユストは最適な言葉を探しあぐんでいた。

「そう悲観せずとも良いではないか、イルサーシャ。確かに君の技を俺はこの目で見てしまったが…。」

 立ち疲れた様子のル・ゾルゾアはおもむろに歩き出し、崩れ落ちていない壁に寄り掛かるとブリスタンを手招きして自らの脇に呼んだ。

「俺の剣霊は君と戦いたくないそうだ。君も同じ考えなら、ブリスタン独自の技を教えよう。見ると聞くの違いはあるものの、同じ立場に並ぶのだ。悪い話ではないと思うが、どうだろう?」

「ル、あなた、何を言い出すのかと思ったら…。」

 剣技で鍛えられたル・ゾルゾアの厚い手が艶やかであり華奢な肩に置かれた。

「さすがのでも逃げる、と言っただろう?正しい選択だな。俺自身もぐしゃりとやられるのは御免だ。」

「確かに言ったけれど…。ちょっとした意地悪をしただけじゃないの。」

 自らが発した言葉を逆手に取られ、さらに同調までされては抗う術は封じられたも同然である。ブリスタンの顔を覗き込む様に語るル・ゾルゾアの姿は戦略に長けた剣霊使いというよりは、駄々をこねる女を諭す男であった。

「戦わないのなら勝ち負けは関係無い。君の勝利に傷は付かないよ。」

「まぁ、あなたが良いと判断するのならがどうこう言うつもりは無いわよ。」

「んん、それで良い。」

「その代わり、今晩の食事、少し多めに頂くわ。腕掴まれてげんなりしているの。」

「お安い御用だ。」

 ただでは転ばないブリスタンにル・ゾルゾアは苦笑を送る。剣霊とその契約者と言うより、男と女のやり取りに見とれて間に入り込めないイルサーシャの横でユストは深々と頭を下げた。謝意の言葉を語れないユストは動作で表現するしかない。他人の剣霊を気づかう点に対する礼なのか、自らの剣霊の技を公開する点に対する礼なのか。両方の意味を含んでいるのは判る。だが、男女の仲を魅せ付けられたイルサーシャにとって、前者に重きを置いているのだと信じたかった。

「ヒスローの借りを返すまでの事、気にしないでくれ。」

 ブリスタンの肩から自らの顎鬚に手を移したル・ゾルゾアは短い前置きの後、静かに語り始めた。

 白銀の鎧はブリスタンとの一騎打ちにおいて手にする鎚を振り回した。横殴りの空気を砕く轟音に臆せずにブリスタンは二歩下がる。豊かな黄金の長い髪が闇夜の中で揺れ、細い絹の糸の様に輝く。

「やみくもに振り回してもには当たらないわ。狙いを定めなければ駄目よ。」

「小手調べだ。我が一撃をかわしたとは言え、剣霊とは攻撃を出し惜しみするのか?」

「出し惜しみではないわ。剣霊は一撃必殺が信条、あなたの弱点を探しているのよ。」

「余裕だな。その様な信条、次の一撃で跡形も無く砕こうではないか。覚悟しろ。」

「そうね。覚悟してあげるから空振りしない様に狙いを定めなさい、ちゃんとね。」

 今度はブリスタンが先に仕掛けた。ためらい無く、自信に溢れた姿で歩み寄る剣霊に白銀の鎧が気合の怒号と共に再び鎚を振りかざす。今度は上からの叩き付けである。ブリスタンの右手が彼女の頭上で素早く半円を描く。絶対の破壊力を誇る鎚が跳ね返る。ブリスタンの右手が弾き返した訳ではない。右手が描いた半円から生じた斬撃の衝撃によるものであった。

「捕らえたわ。」

 さらに一歩前に出るブリスタンに向けて白銀の鎧は鎚の柄を握っていない左手で拳を繰り出す。重量級の武器を操る者にとって間合いは他の武器と比較して特に重要である。ブリスタンが白銀の鎧の懐を目掛けて突き進むのは間合いを縮める為と、その勇ましい美女を見る者は思い、納得するだろう。当の白銀の鎧自身も弱点を補うべく拳を繰り出した。相手は女の姿をしているが剣霊である。剣霊は女ではない、忌々しき殺戮の道具と思えば拳の勢いに迷いは生じない。鍛え上げられた腕の筋肉が隆起し、鎚の威力に匹敵する破壊の拳がブリスタンの胸元を目掛ける。だが拳はブリスタンを内部から破壊する事は適わなかった。彼女の手前で動きが止まっていた。

「捕らえたとは言った筈よ。無駄な足掻きをせずにあなたが覚悟する番よ。」

 目の前に立つ剣霊が持つ黄金の瞳が冷たく輝く様を白銀の鎧はその時点で初めて知ったが、既に手遅れであった。剣霊の能力を大きく分けるならば二つになる。一つは触れる生物を切り裂く能力であり、世間一般が周知している特徴でもある。もう一つは個々の剣霊独自の能力、イルサーシャであればソロウとペインという彼女を守護する魔力の蛇を操る力、ミゼレレであれば大気を操り、水や火、いかずちを作り出す力がそれに相当する。ではブリスタンの独自の能力とは何なのか。彼女は見つめた者の心を支配する事が出来た。美しい黄金色の髪、切れ長な目尻に微笑を伴わせている端正な顔、総じて艶やかで魅力溢れる容姿は誰もが否が応にも彼女に視線を向けてしまう。その視線を通してブリスタンの黄金の瞳は心の中に入り込み、自在にする事が出来た。掌の上で愛でようとも握り潰そうとも彼女の思惑次第である。ブリスタンを見る者は魅せられ蹂躙される。これが彼女の「勝利」の由縁であった。

 白銀の鎧の拳が徐々に下がり、右手に握る鎚が床に放り出された。鈍い音は落下地点である黒曜石の床が砕けた事を知らせる。

「自由が利かぬ…お主、我が身体に何をした?」

「何もしていないわ。をいやらしい目で見たあなたがいけないだけ。」

 白銀の鎧が渾身の力を振り絞って右腕を前に出す。油が切れた機械仕掛けの様にいびつな動きをする右手はブリスタンの手首を掴んだ。

「そこまでしてに触れたかったの?剣霊に触れて良いのは契約者だけよ。残念だったわね。」

 剣霊の肌に女の柔らかさは無い。あるのは研ぎ澄まされた刃である。白銀の鎧は自らの指が切断される際に剣霊特有の冷たい感触を味わい後悔したであろう。そしてその感想を誰にも語れずに終わろうとしていた。

の勝利よ。顔を上に上げなさい。」

 ブリスタンの言葉に従わざるを得ない白銀の鎧は不本意にも勝者の言う通りに顔を上げた。分厚い鎧と兜の隙間から泥が付着したままの喉許が姿を晒した。

「生来の名を思い出す事など忘れなさいな。あの世で名前など必要ないわ。必要なのは善行と悪行の数だけよ。」

 黄金の瞳を持つ目が僅かに細くなる。右手の一閃が舞う。喉許を切り裂かれた白銀の鎧は断末魔をあげられずに愛用の武器と同じく床にその巨躯を倒す事となった。

 ル・ゾルゾアが話している間、イルサーシャはユストの腕を掴んでいた。自らを至上と自負する剣霊が他の剣霊の凄まじい力に恐怖を抱いた訳ではないが、頼りとする剣霊使いを掴む手に自然と力は込められていた。そして剣霊使いは何も語らずに黙って聞いていた。

(イルサーシャ、今から愚生が言う事を二人に伝えるんだ。)

(判ったが…ユスト、そなたはのした事に怒っているのか?はそなたに何か喋って欲しいのだ。)

(怒る暇など無いよ。この二体の鎧は前座だ。次が控えている。)

(そうか。…ユストは冷静なのだな。)

 ユストはイルサーシャを通じて二人に再び謝意を述べた。

「今更だけどユスト・バレンタイン、あなたは初めて会った時にの目を見た瞬間に直ぐに逸らしたわ。勘が良い男なのかしら。」

 ダゴウ市街地での出来事をブリスタンは口にした。確かに勘が良いのかもしれない。危険を回避する能力は経験がものを言い、経験で語れない部分は勘で全てが決まる。

「ほう、君が他を誉めるとは珍しいな。」

「次の本命でその腕前を拝見させてもらうからよ。」

「そうだな、俺としても出し惜しみはしないつもりだ。」

 剣霊同士が戦わないと宣言した上で、互いの手の内を知る点に対しての疑問はユストの中で徐々に薄れ始めていた。ル・ゾルゾアは信ずるに足る男であり、有能な剣霊使いである。彼が契約したブリスタンも見方を変えれば機知に富み、信義にもとる軽はずみは行わないであろう。彼の落着きを払った一挙一動、彼女の強い信念を目の当たりにし、ユストの中の勘がそう判断していた。

「ところで、イルサーシャに頼みがあるのだが。」

 壁から背中を離したル・ゾルゾアだが、その手は自慢の顎鬚を触っていた。 

「君の従順な二匹の僕は俺の剣霊が倒した魔物をどうにか出来るか?そちらの足元はそれなりに片付いているが、こちらは少々目障りなのでな。」

「それは無理な相談だ。」

「ほぉ、そうなのか?」

 イルサーシャはユストの顔を見る。ユストは遠慮する事無いと頷いた。

「ソロウとペインは魔力を帯びた生餌しか食らわぬ。」

「なるほど。それは残念だ。」

「しかも先に喰らった獲物は大半が腐った人間の味しかしなくて口に合わなかったと機嫌を損ねている最中なのだ…。」

 ル・ゾルゾアの溜息が混ざっていそうな視線がイルサーシャの顔から足元に投げられた。

「まぁ、世の中に口に合う物はそう簡単にめぐり合わんよ。次の敵が二匹の嗜好に合う事を祈念しておこう。」

 残る時間は刻々と過ぎ去っていた。月の姿は既に肉眼で捉えるのは困難な域に達し始めている。謁見の間へ通ずる重厚で威圧感溢れる扉をル・ゾルゾアが右側を、ユストが左側を開けた。無駄に広い空間は先に訪れた様に崩れ去った壁面が過ぎ去った歴史を物語っている。異なるのは壁面に灯る燭台の火が揺らめき、遥か彼方に置き去りにした威厳と狂気の渦を僅かに醸し出している点であろう。そして唯一の存在のみを受け入れる玉座に少年が腰を降ろし、その脇には床まで垂れた黒髪を有する女が控えていた。紛れも無く剣霊である事を二組の剣霊と剣霊使いは直ぐに判った。ただ邪剣霊らしからぬその風貌にユストは目を見張った。邪剣霊の髪と肌は処構わず人間の血を欲した結果、髪は乱れ肌が一部崩れ落ち、獲物を求める瞳は凶暴さを包み隠さずひけらかしているのが常であるが、この剣霊は違う。黒髪は生気を持っており、薄闇の中でも艶を保っている。肌は整い、紫の瞳には尊厳と叡智が伴っていた。赤と黒が入り混じった布に身を包み、剣霊の食痕に似た色合いは生命の源たる姿を連想させられる。だがその姿から発する雰囲気に優しさは感じられない。むしろ目下の剣霊二体よりも格が違う何かを感じられずにはいられなかった。

「よく来たな、剣霊使いとその剣霊。余は待ちかねたぞ。」

 玉座に腰を降ろす少年が声を発した。声変わりを完全に終わらせていない時期独特の擦れた声である。こげ茶色の髪は綺麗に整い、利発そうな顔立ちをしている。生前は美少年の王で通ったであろう。

「御身がトウラドオク八世か?」 

「そうだ。余に屈辱を味わわせた愚かな臣民の子孫と見たが、先祖が先祖だけに頭が高いものだな?」

 イルサーシャの問いに答えるトウラドオク八世は退屈そうに腕を掻きむしる。薄汚れた衣服に赤黒いしみが広がり始めた。その首からも赤い糸が幾条も垂れ下がっている。史実通りであればトウラドオク八世は断頭台に消えている。つまりこの場にいるトウラドオク八世は無理矢理首を繋がれていた。

「まぁよい。ところで余に忠誠を誓った…名前が思い出せないぞ?」

「金と銀の鎧を身に着けた勇者か?それならたちの前に倒れたが。」

「そう、余に忠誠と誓ったその者たちだが、倒れたか。折角の機会を無駄にしおって、存外口達者の役立たずであったのだな。」

「そなた、王という統べる立場でありながら、忠誠を誓った者の死をそこまで貶めるのか?」

 暗君の佇まいとはこの様なものか。トウラドオク八世の言葉に哀れみを投げ掛けるイルサーシャがユストの腕を掴み、ユストはトウラドオク八世よりも脇に立つ剣霊に視線を向けた。

「良いではないか、八世王。忠誠など愚鈍な人間が作り出した儚きもの。それよりもそなたの様な蒙昧な人間、はいつでも愛しく思うぞ。早くあの者たちの血、剣霊が認めし血をに捧げる様に命を下すが良い。さすればそなたの首は完全に繋がり、愚かな軍勢を率いて哀れな人間の頂点に再び君臨出来るのだ。」

「そうしよう。それがいい。」

 会話の内容は無論の事、頷くと共に首から流れる血が痛々しい。トウラドオク八世は脇に立つ剣霊に精神を呑み込まれてしまい、単なる操り人形となっていた。

「聞いたか、余の臣民。余の傍らに立つ神剣霊…」

「インファンティラだ、暗愚な人間よ。」

「あぁ、そうだった。神剣霊インファンティラが剣霊使いであるそこの二名の血を求めているのだ。ためらう事無く余に忠誠を示せ。」

 神剣霊という響きは二組の剣霊と剣霊使い全員の眉間に皺を寄せるのに充分であった。神剣霊を語るのは剣霊帝とミゼレレの二体のみという認識に一石を投じられた瞬間である。その怪訝な表情を知ったインファンティラは静かに笑った。

「そなたたちは二体の神剣霊は知るものの、の事は知らない様子だな。は創造の剣霊インファンティラだ。紛れも無く大地の意思を継ぐ神剣霊に他ならない。」

「えぇ、知らないわ。神剣霊はお子様を契約者にするのが流行りというのは理解したけれど、あなたの契約者の方はミゼレレのと比べると、すこぶる出来が悪いみたいね?」

 得意の言葉遊びを漏らすブリスタンの首は傾いていない。彼女も神剣霊が発する格違いの雰囲気に警戒しているのだろうとユストは感じていた。

「契約者か。下らん。がこの様な知己の富まぬ愚かな人間と契を交わすものか。そもそも人間とはを含む神剣霊を筆頭とした全剣霊の捕食対象に過ぎないのだ。」

 腕を掴むイルサーシャの手にユストは自らの手を重ねた。

「ではインファンティラよ、捕食対象の人間が問う。大地の意思とは何なのだ?」

 イルサーシャが言葉を発しようともインファンティラの紫色の瞳はユストを正確に捉えていた。

「黒髪の男よ、それを知ってどうするのだ?」

「人間は愚かだからこそ知識を得、それを知恵として生きる生物だ。」

「その知恵というのが小賢しいが、目を瞑ろうではないか。よく聞け、知識の亡者よ。神剣霊三体はそれぞれが異なる大地の意思を継いでいる。長姉たるサリシオンは今ある人間を滅ぼす為、絶望の剣霊として顕現した。次姉たるは滅亡した人間に代わる存在を創り出す為に創造の剣霊として降臨した。末妹たるミゼレレはが創り出し存在を導き育む為に天恵の剣霊として派遣された。だが、長姉たるサリシオンは愚かな人間どもに剣霊帝と崇められて何を思い留まったのか、未だにその力を解放せずにいる。挙句の果てには末妹たるミゼレレまでもが与して人間をで慈しむ始末だ。ならばは自らの力を発揮すべく、まずは今ある人間を絶やさねばならない…さて、ここまで話せばあの世とやらへの土産としては充分であろう。」

 インファンティラの右手が優雅に横一文字を描く。僅かに遅れてユストの頬から血か流れる。ブリスタンが繰り出す斬撃を遥かに凌ぐ衝撃は血を流したユストはもとより、その身体を護るべきイルサーシャの眉間に力を入れさせた。

「ついでだ、もう一つ教えてやろう。その知識にもいろいろあってな。愚かな人間如きが手に余す知識というものもある。今、が話した内容が正にそれだ。知識を昇華出来ずに手に余す代償として、その命を失うというのは、身の程を知らずに欲をかいた結果と受け止めるが良い。」

 憎悪や嫌疑、悲哀や慈恵、感情というものをインファンティラからは感じられない。そのあまりにも冷たい眼差しは対面する者が神剣霊という至上の存在であると、頭で理解するよりも先に五感が認めてしまう。

「インファンティラよ、そなたの言う事は恐らく大地の意思という世の真理なのであろう。だが、の矜持を貫くだけだ。」

「人間の意思たる剣霊が大地のそれに敵うと思うのか?試してみるが良かろう。」

「そうさせて貰う。ソロウ、ペイン、に続け!」

 駆け寄るイルサーシャに対し、インファンティラは腕組みをしたまま動こうとしない。距離が縮まるにつれ神剣霊独特の威圧と威厳がイルサーシャを包み込もうとする。だが彼女は表現し難い不安に身を晒してまでも臆する事無く、横薙ぎの手刀を煌めかせた。剣霊と剣霊が対峙するならば金属と金属がぶつかり合う音が響く筈である。だが、耳を突く音は響かなかった。イルサーシャの手刀はインファンティラの腕に触れたままであり、当のインファンティラはその無感情な視線を力を込めるイルサーシャに向けた。

「どうした、そなたの矜持とやらはその様なものか?」

「黙れ!ソロウ、ペイン、どうしたのだ!?」

 イルサーシャの思惑では、彼女が攻撃を仕掛けると共にソロウとペインがその巨躯を現し、インファンティラの身体を締め上げる算段であった。しかし、彼女の忠実なる僕は何の反応すら示さない。神剣霊という類稀であり極上過ぎるの魔力は、二匹の嗜好に合わなかったのか。

「二匹の蛇がそなたを護り敵を滅するのか。だが、愚かな人間の意思と違って、動物というのは大地の尊さと恩を知っている様だな。い奴ではないか。」

 インファンティラは嘲笑う様に語る。組んでいた腕を崩し、刃向う剣霊の肩を手の甲で軽く叩いた。イルサーシャはよろめきながら後退りし、両膝と片手を床に着けた。五百余年を経た剣霊と言えども、それまでに一度も体験した事が無い衝撃に彼女の四股は自由を奪われた。

「二匹の蛇か。そなた、人間の意思を持つ剣霊としては少々引掛るところがあるが…まぁ良い。八世王よ、邪魔するものはいない。哀れな人間の王を自負するそなたの命に従わないのなら、その手に持つ偽りの剣を用いて二人の命をの前に捧げるのだ。」

「そうだ、余には剣があった。これまでに振るう事の無かったこの力の象徴、これを用いてそなたたち剣霊使いを平伏させるのだ。」

 玉座の裏からトウラドオク八世は自らの剣を取り出した。この時点でユストの思惑が立て続けに崩れた事になる。まずインファンティラはトウラドオク八世の剣を剣体としていなかった。そしてその剣は他の歴代の王のそれと比べると過度な装飾は一切無く、極めて実用的であり、飾り物ではない剣としての威厳が遠目でも感じられた。

「ブリスタン、俺に力を貸せ。」

 トウラドオク八世が剣を持つ瞬間をル・ゾルゾアは見逃さなかった。自らの剣霊を剣体にし、玉座に身を収める若き王を目掛ける。ル・ゾルゾアの無駄の無い素早い動きは黄金の刃を持つ曲剣の眩い輝きと絶妙な美しさを思わせる曲線を際立たせた。左から右へと曲剣が流れる。見る者を魅了する余韻が残る一閃はトウラドオク八世の首を割いていた。その接合部分に沿って黄金の刃は軌跡を記す。王の象徴たる剣は床を打ち、両手は肘掛の上にその身を落着かせる。ル・ゾルゾアは王に背を向けて歩き始めた。

「名前は思い出せなくても良い。だが、剣を手にした時に戦いは始まる。兵を統べる者として覚えていて欲しかったものだな。」

 手にする曲剣に付着した血を振り払うと共にトウラドオク八世の首から血が止め処なく溢れ出す。王自らが剣を手にする時代は既に終わっている。生前の憂いと怨念が混ざり合った液体が彼の身体を解放している様にユストには見えた。

 無情な星明りのもと、若き王は再び永い眠りに身を置いた。


 

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