第2話 青い狐にて

 市街地の門は閉ざされていた。鋼鉄で作られた門扉の表面にある、バラの花と葉をあしらった市の紋章のレリーフが目を引く。紋章の下にはダゴウ市街地という名称及び市として成り立った百年前の年号が見て取れた。

 星の瞬きが無い為か、門の上部で炊かれた松明が煌々としていた。重厚な門の脇には小さな出入り口が設けられており、これも鋼鉄で作られている。門の周りには門番の姿は見えず、また人間以外の生物も居なかった。ユストは右手で二回、扉を叩いた。

「旅の者だ、開門願いたい。」

 イルサーシャの言葉の後、覗き窓が開き、男の声が聞こえた。門番をしている自警団の一人であろう。

「どこから来た?」

「西の首都、ムアリアタから。」

 返答が無かった。扉の向こう側には複数の者がいる。ひそひそと話す声、地を打つ靴の音から判断して二人もしくは三人とイルサーシャは判断した。

「…夜間は通行料が別途掛かるのだが、それで良いか?」

 その様な要求は不当である事は判っていたが、ユストは一歩前に出た。ポケットから金色に輝く硬貨を一枚取り出し、覗き窓から見える様に掌に置く。そしてイルサーシャの腰に手を添えた。

「これで夜間通行料、とやらはまかなえるか?」

「あ、あぁ。それで充分だ。」

 金色に輝く硬貨は門番たちに驚きと困惑を与えた。その証拠として、先程までの威勢がある声が僅かに震えていた。

「実はそなた達の市長の依頼により、このダゴウまで来たのだが、明日、面会の際に夜間通行料の徴収は止める様に上申しようと思っておる。」

 内側の男は覗き窓から二人の姿を再度確かめた。身形からして高貴な家の娘か若き女当主だろうか、そしてその後ろにいる男は何も喋らない事からして従者、と言うよりは護衛を勤める私兵だろう、と男は思った。ユストの目の奥底に鋭さは無いが、隙を見せない雰囲気を感じ取っての判断だった。 

 覗き窓が閉まり、中で何か話しているのが聞こえる。そして閂が外される音が聞こえた。扉が開く。金属の擦れる音は松明が燃え弾ける音にかき消された。

「感謝する。」

 イルサーシャの短い言葉にか、あるいはその容姿にか、二人の男は呆気に取られていた。自警団の団員の様である。制服と思しき上着の右腕には市の紋章を象った刺繍が見受けられる。二人とも細身の剣を腰にぶら下げており、この剣の鞘にも市の紋章が彫金されている。

「で、夜間通行料は何処に納めるのだ?徴収用の器らしきものが見当たらぬが。」

 長い年月を経てきた様な緑色の瞳に見つめられては、腕に自信がある自警団の者たちも大人しくするしか術が無い。彼らはイルサーシャの問いに対する答えを慌てて探す。

「市長の客人なら失礼した。最近、物騒なものでね。魔物が人間に化けてないか調べさせてもらったのさ。」

「なるほど。確かに魔物は銅貨や銀貨はともかく、金貨など持っていないであろうな。」

「手厳しいな、まったく。まぁ、お二人は人間だって事が判ったから、そのまま街の中に入ってくれ。開門中に魔物がなだれ込んだら目も当てられないからな。」

「左様か。」

「あぁ、魔物もそうだが、邪剣霊だったら尚更だ。人間の姿をして甘い声で誘惑するらしいからな。」

 イルサーシャの手の平が上がる。喋るのを止めよ、と言わんばかりの雰囲気が辺りを包む。そして静かに口を動かした。

「大半の邪剣霊は人間の言葉を知らない。矜持を捨てた剣は、ただ欲を満たすだけに命を奪う存在だ。覚えておくと良かろう。」

 自警団の団員は今度こそ返す言葉が無かった。

 出入り口は門番の詰所の一部になっていた。木造であり、造られてからかなりの年月を経ているのだろう、床材の木は乾ききっており、磨耗して低くなっている箇所がある。窓に汚れは無いが、金属で出来た桟は腐食している様子が見れた。そして壁面には賞金首の人相画が貼られていた。メガロ三兄弟の顔に似ているとイルサーシャは思ったが、その名を口に出さないようにとユストに言われていた。

「宿はどちらだ?」

「ここから右に進み、十字路を更に右に進めばあるが…。」

 用心棒と思われる男が頷き、西の首都から来たという身分の高そうな女は足を右に向ける。すれ違い様に女から香の匂いがした。名前はわからないが、初めて嗅ぐ香りだった。その魅力的な香りはイルサーシャを身分有る者に思わせるのに一役かっていたのは言うまでも無い。

 ダゴウ市街地は縦横六キロの壁に囲まれた中規模の町である。元は過去の戦乱期に於ける防戦用の砦が発祥であり、そのまま発展して今に至る。立地的に各都市との中継地として栄え、毎日市場が開かれており、社会の生活基盤は整理され、経済も安定している。治安は中継地らしく、悪くは無いが多種多様な人間の出入りが多い為か、夜に出歩く者は少ない。実際のところ、ユストとイルサーシャが自警団の男に言われた通りに歩いていたが、誰にも会わなかった。    

 更に右に曲がる手前で、イルサーシャはユストの手を取った。

(ユスト、あれでよかったのか?)

(何がだい?)

(最初から剣霊協会の者だ、と言えば難無く通れたであろう?)

(あの場は良いかも知れないが、明日の朝から有名人になるのは避けたいからね。それに市長が剣霊使いを頼んだと知ったら、市民が不安がる。)

(そうだな。あと、メガロ三兄弟の件、あの自警団の者どもに伝えなかったのは?)

 十字路を右に曲がる。やはり人影は無く、街灯として設置された、今晩限りで燃え尽きる松明が二人を照らしていた。

(三人を倒してから一時間以上経過している。恐らく周囲に人間が居ないのを良いことに体の一部は人食い狼の腹に行き、夜行蝶に水分を吸い取られているだろう。彼らは事故死したのさ。)

(そして人々の記憶から忘れ去られる、か。良からぬ者とはいえ切ないものだな。)

 目的地である宿がやがて視界に入った。青い狐という木彫りの看板を掲げているホテルは石造りの二階建てであり、部屋数は一桁ほどと思われる。だが、古いと言うよりは趣の方が勝る雰囲気を持つこの建物に好感を持つ者が殆どであろう。硝子面を大きく取った出入り口の扉に鍵は掛かっていなかった。ロビーには三人掛けのソファが用意され、フロントのカウンターには五連の燭台が左右に用意されている。大きく孤を描いて上がる様に二階への階段も左右に設けられていた。

「お休みの中すまぬが、部屋を用意出来るだろうか?」

 カウンター越しに腰を降ろしている老人にイルサーシャは声を掛ける。恐らく彼がこのホテルの支配人であり、フロントマンであり、給仕係りであろう。数秒後に老人は目を開き、突然の来客に驚いていた。

「おや、これはこれは。どこぞの姫君でしたか。お部屋でしたらすぐに用意できますが、身分の高い方がお気に召してくれるかどうか…。」

「姫君ではない、単なる旅の者だ。」

「左様でしたか。これは失礼しました。では旅のお二方、こちらにお名前を戴けますか?」

 老人はカウンターの下から台帳を取り出し、イルサーシャの前に広げ、鷲の風切羽で作られた羽根ペンと長年使用していると思われる小柄なインク瓶を用意する。

「さぁ、どうぞお願いします。」

 歳の功と言うべき柔らかな物腰と優しい眼差しの前でイルサーシャは戸惑う。

「申し訳ないが、では無く、あの者が記す。」

「おや、今なんと?」

「…は字が書けぬのだ。」

 老人はイルサーシャを見つめ、彼女が言う、あの者に視線を移し、納得したかの様子でイルサーシャに語り始めた。

「六十年前ですか、まだ十歳を過ぎたばかりの私は不思議なお客様に出会いましてな。そのお客様は年端の少年の目にも判る程の美しさを備えておりましたよ。そして自らをと称していました。その美しさもさながら、という自らを指す言葉に凄く印象があり、後日父にあの綺麗な人は?と聞いたら、とんでもない、あれは剣霊だと教えられましてね。」

 昔話は老人を独り笑いさせた。

「剣霊とは契約者と言われる人間以外は全て切り刻む怖い存在と父から教わりましたが、その剣霊様はこのホテルにお泊りの間の事ですが、ダゴウの市街を盗賊からお守り下さいましてね。」

 ユストがカウンターに近付く。そして台帳の脇にあるメモ紙に用意されたペンを走らせた。

『愚生は剣霊協会所属の第七十二剣霊使いユスト・バレンタインという。剣霊障により会話が困難な為、筆談にて失礼する。ご老体のお話を聞いた以上、身分を隠すのは止めるが、ご老体の父上が語られた様に、剣霊と剣霊使いは世間的には疎まれる存在の故、愚生とその剣霊がこのダゴウに訪れた旨は他言無用でお願い申し上げたい。』

「…ん、承知しました。して、これは中央で使われる文字ですな?この商売やっていると、いろいろと知識豊富になりまして。ところで、中央は政権交代が行われてから情勢は良くなったのでしょうかね?」

 老人の問い掛けに対してユストは苦笑したが、その音は耳に届かなかった。

『ご理解感謝する。』

 ペンを台帳に向け、ユストは自らの名を記帳した。突然の来客で少々騒がしかったのだろうか、フロントの奥の扉が開き、少女が顔を覗かした。

「お爺さん、お客さんが来たの?」

「ああ、エリーナ、大事なお客様だ。ご挨拶するんだ。」

 外見からして十歳前後だろうか、エリーナの肩まで伸びた栗色の髪は少女の愛らしさに華を添えていた。

「お姉ちゃん、どこかのお姫様みたいね。あといい匂いがする。とても落ち着く香りよ。何を使っているの?」

 純粋さとは遠慮や体裁とは無縁である。

「百年香。東部にしか生息していないミナエの木を湖に百年浸してから作られた香だ。」

 奥深い緑色の瞳をそのままにイルサーシャは静かに語る。一方のエリーナは切れ長の目尻に魅せられたかの様に顔を上へと向けていた。

「へぇ。ここは西部だし、東部とは戦争をしているから、買ったら物凄く高いんだろうね。」

 少々興奮気味の少女を祖父がなだめ、部屋に案内する様に指示をする。その際、この綺麗なお客様には決して触れてはいけないよ、と優しく諭す。その意味は判らずとも、エリーナは従順に頷いた。

 左側の階段を上がり、奥の部屋に通される。簡素な造りの部屋の隅にある燭台に火を点し、ユストはコートを脱いだ。イルサーシャは皺一つ無いベッドに腰を降ろし、小さな給仕係りに声を掛けた。

「エリーナ、夜食をお願いしたい。パンとスープだけで良い。酒はいらぬがコーヒーを同じくして用意してもらえるか?」

「うん、二人分ね?直ぐに用意するよ。」

 一人分で構わん、と言い掛けたが、エリーナの後ろでユストが首を横に振っていたので言葉を止めた。静かに部屋の扉を閉め、そそくさと食事の用意に向かった少女の足音が聞こえてくる。ユストはイルサーシャの脇に腰を降ろし、その足に手を置いた。

(剣霊が人間と同じ食事をしないとは知る由もなく、知る必要の無い事だ。なにより彼女の気概を損ねさせるのに気が引けてね。)

(とはいえ、二人分の食事はユスト独りで食するのか?)

(まぁ、昔からそうだが、悪党とは言え、人を斬った後は胸に何かが支えた気分になってね。食欲を満たす事で忘れさせるさ。)

(そうか。)

(それより、イルサーシャ、君の食事はどうする?ここ五日は摂っていない筈だが。)

なら、心配せずとも大丈夫だ。)

 その言葉は契約者に向けたものなのか、それとも剣霊が自らに言ったものなのか。女の手は男の手の上に重ねられた。

はユストに負担を極力掛けたくないのだが…。)

 重ねた手の人差し指が、重なる手の甲の上で円を描いていた。

(君の言い分も判るが、ただ明日は摂った方が良いだろう、依頼を直ぐに行動に移す可能性も有得るからね。)

(ユストがそう言うなら、仕方ない…。)

(今日はもう休め。宿にいるだけに、何かに襲われる可能性は極めて低いから霊体で無くても大丈夫だ。)

 ユストは重なるイルサーシャの手を離し、彼女の銀色の髪を手に摂る。

(日が登って鳥の声が三つ聞こえたら霊体に戻ってくれ。)

(ユスト、心配掛けて済まない。)

(構わん、五年の付き合いだ。)

 イルサーシャはユストの肩にその頭を寄り掛けさせた。

 エリーナは二人分の食事を持ってきた時、部屋の異変に直ぐに気が付いた。彼女の言うところの良い香りのするお姫様の姿が見当たらない。怪訝と困惑が入り混じる表情の少女に対し、ユストはベッドを指し、そのまま指の側面を自分の唇に当てた。確かにベッドの隅に一人が横になっている膨らみが見受けられる。エリーナは少々残念な表情と共に食事を備え付けの机の上に置き、部屋を後にした。イルサーシャとの会話を楽しみにしていたのは明白であった。

 ユストはコーヒーを手に取り、口に含む。恐らく山羊の乳が混ざっているのだろうか、まろやかな味付けがした。部屋の鍵を掛け、ベッドに近寄る。羊の毛で作られた毛布をめくり、丸めていた愛用のコートを手にした。その下には直剣が一本、横たわっていた。白銀の刀身を持ち、二匹の蛇が柄に絡まっている彼の剣は先のガズ・メガロとの戦いに疲れたのか、静かに、その刀身が妖しく光る事無く佇んでいる。

 壁に打ち付けられた真鍮製のフックにコートを掛け、肘掛の無い質素な椅子に身を預けた。先に左の手袋を取り、次に右の手袋を取る。彼の右手は薬指と小指が無かった。今から五年前、イルサーシャと出合い、契約を交わす直前の戦闘の際に失った。また、イルサーシャと生涯を共にすると決めたと同時に彼は音を発する事も失った。それは個々によって様々であるが、剣霊使いは剣霊という強力な力を得る代わりに身体の一部に支障をきたす。剣霊障と呼ばれる現象である。

 二口目のコーヒーを含んだ後、首元のスカーフを緩める。黒字に金色の縁取りが施された物であり、角の一部に七十二という数が明記されていた。彼が所属する剣霊協会から支給される品である。いつ彼が何処でその命を全うしようとも、このスカーフがある限り、剣霊協会はその事実を知る事が出来る。七十二は剣霊協会にとって彼の識別番号である。

 エリーナが用意した食事に手を伸ばす。乳白色の陶器で揃えてある食器の上には自家製と思われるパンが等間隔に六切れ並んでいた。野菜を煮込んだスープは西部地方らしく薄味だったが、その優しい味付けはユストの心を落ち着かせた。

 食事を済ませ、椅子の背もたれに身を預ける。そして剣霊使いは目を閉じた。

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