第2話

 行方不明者三十八名・死亡者十三名・重軽傷者五十二名を出した高尾の網は、その日の夕方には全世界に知れ渡り、連日メディアを中心に人々の話題を占めることになった。網が引き上げられる様子は無数の動画に変わり、人の落ちる残酷な映像はインターネットに繰り返され、丸くくぼんだ山の斜面は衛星写真の地図によって、人々の間で実際に確認された。


 網の存在について様々な推測がのぼった。隕石・地球外生命体・テロリスト・巨大企業の実験・社会主義国家の拉致専用秘密兵器・ストライキ・神からの天罰・宇宙人の落し物、など等、もっともらしく思える事から、実にくだらない事まで噂された。


 網を潜[くぐ]って生き延びたという安田敏子なる中年女性が、連日メディアに露出しては、大学の弁論サークル時代に磨いたいびつな話術を用いて、「網がわたしの頭上に降ってきて、宙に持ち上げられた時は、もう、それは、ほんとだめだと思いましたわ。んふ、んふ、けど、わたしの夫が、あの、優しく、男らしくて、自分の身をかえりみない夫が、たくましい夫が、動けないでいるわたしの体を必死に網の外へ追い出してくれました。夫の両足には蔓がからまり、あらぬ角度に曲がっているのにです。ああ、夫は誰よりもわたしを愛してくれて、優しく、優しく、それはとても立派な方でした!」人々の注目を大いに集めた。肌の黒い油染みた芸能人は香具師[やし]らしく番組を煽りたて、婚期の過ぎた女性芸能人の束からぽろぽろ涙を流させた。


 さらに気の早い者達が、特番製作・映画製作・関連本の出版・小説の題材・高尾の名産品製作・観光者の誘致、など等を競って働いた。しまいには“網ちゃん”なる高尾山のマスコットキャラクターを考え出した不届き者も現れ、続いて“高網君”なる雄々しいキャラクターも別の人間から生まれた。普遍化を競ってマスコットキャラクター同士激しい争いをした。


 また科学者連は高尾の網を、純粋な興味を持って解明しようとした。網の構造は驚く程単純であり、また一切説明できない点もあった。底面の直径が百三十メートル、高さが三百十メートルの巨大な円錐形の本目網は、地球上には存在しない大きさの麻で編まれた投網[とあみ]だった。網は漁に使う投網とまったく同じ形状である。網が宙に吊り上がる動きも、人間が網を地上で手繰り寄せるのとほぼ変わらず、とてつもなく大きな巨人の動きによって可能だと説明した。とても機械で吊り上げるような動きではなく、一時停止したのも、手繰り寄せている存在が、疲れて休んでいたからだと説明するのが妥当だった。


 ところが手繰り寄せる際に使うはずの縄が存在しない。縄に引っ張られた動きのくせに、肝心の縄が見えない。これがどうにも説明できない。さらに上空で突然姿を消したのも、まるでわからない。色々と推測できることはあるが、確証は得られない。とにかく原始的な作りの投網を使って、巨大な何者かが地球上の生物を捕獲したと科学者連は結論した。実際分析するまでもなく、網は物を捕らえるために作られた物であり、今回の出来事はただの投網漁としか思えなかった。

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