天使すぎる君のため、今日も僕はAになる

或木あんた

第1話 今日も君は天使すぎる

 


 東神楽恋歌あずまかぐら れんかは、天使である。


 その透き通るような美肌も、ふわふわ天然の巻き髪も、世間一般の女子高生とは一線を画した美少女っぷりだ。


 おまけに家柄もよく、いわゆるお嬢様と言われるカーストの上の上に位置するその存在は、雲を突き抜けて天にいるかのよう。


 いつしか世間は彼女を、天使すぎる美少女と呼ぶようになった。


 それでも僕は知っている。


 僕だけが知っている。


 東神楽恋歌が、異性にも同性にもなびかない無性愛者、Aセクシャルだということを。








「しぃーかぁーりぃー♪」


 昼休み。学校の教室で恋歌が僕、御野原然ごのはら しかりを呼び止めた。


「ねーねー、今日の放課後、空いてる?」

 

 その出来事そのものはさして珍しくもない、むしろ日本中の学生が今こぞって同じ台詞を吐いていてもおかしくないほど普遍的なものだ。

 ただ、恋歌の問いかけが世間一般に言う標準的なスクールライフと大きく異なっているのは、彼女が並外れた美少女である点と、彼女が椅子に座っている僕へと後ろから抱きついている、というその二点だと思う。


「……一応今日は先約がある。でもまぁ、恋歌の提案なら、行き先次第でワンチャンないことはないかな」


「ホントッ? じゃあ、気合い入れて行き先を決めないとだねッ!」


 満面の笑みで人差し指を立てる恋歌。

 心の中でいやいや、と呆れる僕は口を開きかけるが、


「あ、言わなくてもわかってるよ、でもいいでしょ? どうしても私、今日しかりと一緒に寄り道がしたいのッ。ねね、お願い」


 恋歌は自身のこめかみを僕の側頭部へとすり寄せてくる。はらりと僕の首元へ細くてきれいな長い髪が落ちてきて、うっすらと女の子のシャンプーの香りがする。僕の反論はすっかりどこかへと追いやられてしまった。


「……わかったよ。でも、ちゃんと放課後までは行き先、決めておいて」


 パァ、と表情が見るからに晴れ、恋歌は大きな瞳を一層キラキラさせる。


「しーかーりぃー、ありがとー。ふふ。しかりはやっぱり優しいなぁー」


「当然でしょ、だって僕ら……」


 僕は笑う。満面の笑みを顔面に貼りつけ、彼女へと。


「親友でしょ?」


 そう言った僕の心に渦巻く感情は、きっと彼女には伝わらない。

 その証拠に、恋歌は顔を少し赤くして、


「……えへへ」


 本当に嬉しそうに笑うのだ。

 彼女の笑顔には何の曇りもなく、一切の恋心も下心もない。

 それは言うなれば絶対的な信頼で、彼女が僕に抱いている感情の全てだ。

 僕はそのことを知っている。彼女はクリーンな存在なのだ。僕とは正反対で。


「……しかりがいてくれて、私、嬉しい」


 恋歌ほどの美少女に密着されながら、こんな言葉を耳元で囁かれるなど、どんなご褒美だと世の方々は思うかもしれない。

 しかし僕は、そっときつく噛み締めた奥歯を、瞬きで緩めてから彼女の手を取り、


「それは……僕の台詞だよ、恋歌」


 胸の底にのしかかる思いを、爽やかな笑顔で覆い隠すのだった。



***



 すごく小さく手を振って(これがまた可愛い)恋歌が去っていく。

 挙げていた片手を下したところで、これまで感覚からシャットアウトしていた周囲の好機の眼差しに気が付く。かといって何も特別なことない。それもまた、僕にとっての日常なのだ。


「……あのさ、御野原くん。前から聞こうと思ってたんだけど、もしかして二人は付き合ってたりとかするの?」


 気が付くと女子数人が僕を取り囲み、ヒソヒソと質問を投げかけてくる。皆、顔はわかるが、名前が出てこない程度の関係性だ。


「……いや、別に付き合ってないけど?」


「……嘘。二人がデートしてる姿、何度も目撃されてるんだから。秘密にしたいだけで、本当はそういう関係なんでしょ?」

 

 一人のリーダー的な女子の言葉に、取り巻きがうんうん、とうなづく。

 その光景を見た僕は何とも暗い気持ちになる。

 きっと、好奇心とか野次馬魂とかよくわからないものが、彼女たちを突き動かしているんだろう。だからこういう輩は無害と言えばわりと無害なほうだ。

けど、あいにく今の僕は、優しく笑顔で返してあげられるほど、先ほど飲み下した思いの苦さから、まだ心のダメージ回復が出来ていない。


「何を勘違いしてるのかわからないけど。僕は恋歌とデートをしたことは一度もないよ。何度も言っているけど、恋歌はただの親友だ」


 言ってから、多少ぶっきらぼうすぎたと反省する。

 その証拠にリーダー女子が少しムキになったようで、


「親友って、そんなわけないでしょ! 年頃の男女が毎日一緒に登下校して、遊びに行って、ずっとベタベタしてるのに、何もないわけないじゃない。……御野原くん本当は、東神楽さんのこと、好きなんじゃないのッ?」


 多少声を荒げて僕を問い詰める。

 内心かなりうんざりしていたが、今回は自分から蒔いた種だ。

 僕は今まで何度も聞かれたことのある質問へと、返答する。


「好きじゃないよ、別に。……僕は恋歌のこと、全く異性として見られない。見たことない。でも、気が合うし話してて楽しい。世間ではそういう存在を定義すると、友達って言うんじゃないの?」


「そ、そんなの、本当は好きなのに、それをごまかすためにいってるだけでッ……! 第一、御野原くんがそう思ってても、東神楽さんは違うかもしれな……」


「好きじゃないよ、別に」


 後ろから聞き慣れた声がして、僕は振り返る。

 

 そこにはいつの間にか恋歌がいて、同じように振り返った女子たちへ相当の焦りを与えたようだ。


「私正直、今まで一度もしかりを異性として見たことないよ? ……でも私はしかりを信頼してるし、尊敬もしてる。なんで仲良くしちゃダメなの? しかりが彼女持ちとかなら問題かもだけど、そんなことないし。 ……あ、もしかして、……みんな、しかりのことが好きだったりする? もしそうなら、それこそ私がごめんなさいだけど」


「な、そそそんなわけないでしょッ!」


「じゃあ、別にいいじゃない。何度も言ってるけど、私としかりはただの親友なんだから。……ね?」


 ふに、と恋歌が柔らかく笑う。

 見るだけでなごみそうなその笑顔は、恋歌のチャームポイントで、こんな風に笑うことができるのは彼女以外中々いないだろうと思う。


「えと、その……、すみませんでした、御野原くんも……」


 恋歌の笑顔に観念したのか、女子たちは次々と僕らに謝り、謝っては去っていく。

 

「いいんだよー、気にしないでねー」と笑顔で彼女らに手を振る恋歌に、僕はやれやれとため息をつく。


「さすがはしかりだね、しかりの周りには、常に面白い人たちが集まってくる」


「それ、バカにしてないか?」


「まさか。私がしかりをバカにするなんて、あるわけないでしょ? それじゃ、もう休み時間終わっちゃうし、教室に戻るねッ」


 またしてもかなり小さく手を振る彼女を見送って、僕はそのまま教室を後にする。

 階段を上がって鉄の扉を開き、屋上に出る。

 



 もう、限界だった。

 次の現国は、このままサボってしまえばいい。


『今まで一度も、しかりを異性として見たことないよ?』


 先ほどの言葉が、僕の脳裏にこびりついて離れない。

 わかっている。何度も聞いてきたし、理解もしてる。

 それでも彼女の言葉に、自分自身の言葉に、いちいち傷つくこの心へ苛立ちすら覚える。


『好きじゃないよ、別に。』


 嘘だ。大ウソだ。


『……僕は恋歌のこと、全く異性として見られない。見たことない』


 嘘だ。彼女を異性として見られなかった日など、一日もない。


 だって僕は、彼女が好きだから。

 ずっと好きだったから。

 たとえ彼女が、誰へ対しても恋愛感情を持たない、無性愛者-Aセクシャルだと知ったとしても。


 だから僕は、今日も嘘をつく。


 僕もAだと、僕だけは味方だと、理解者だと。

 それが孤独な彼女を助けられる、僕にできる唯一の方法だから。


 本音をすべて奥へ押し込めて、すべての性衝動を覆い隠して、僕はまた彼女に言うのだ。言ってやるのだ。


 「僕たちは、親友だ」と。


 Aになりきれないふがいない僕を嘲笑うかのように。


 今日も変わらず、君は天使すぎる。






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