最終話 飛翔せよ!

 その後。聖は無事に病院で目を覚ました。天音と風月が大変な思いをしながら山の下まで運んだ聖は、山の中にいたところで火事にあい、煙に巻かれて意識を失った、ということになっていた。

「………俺、あの龍に助けられたんだよな?」

 穢れはすっかり聖の体から抜けきったようで、自分の感情を取り戻していた聖は自分が穢れに憑かれている間のことをちゃんと覚えていた。

「見たことも聞いたこともちゃんと覚えてる。でもなんだか夢の中で見た光景みたいだったし、どっか違うところから自分の体を見下ろしてる感じだった。

「そうだったんだ」

 病院にお見舞いに行った天音は、そこで初めてちゃんと「聖」と会話ができた。風月も来ればよかったのに、なぜか風月が「いやそこは若いお二人で」とよく分からないことを言って珍しく天音の誘いを固辞してきたので、病院に来たのは天音だけだった。風月は天音と聖の関係をなんだか誤解しているような気がするけれど、それはともかく。

 その日は入院中の聖の面倒を見てくれている孤児院の施設長さんもいなかったので、天音と聖は心置きなくあの日の話をすることができたのだ。

「あの日に起きたことを教えてくれるか?」

 こちらを向いてそう言った聖の目がきちんと光を宿していて、たったそれだけのことが天音にはなんだかとてもすごいことのように思えてしまった。口を開くと声が震えてしまいそうだから、無言で頷いて呼吸を整え、話を始める。

 —————そして聖も、すべてを知ることとなった。

「………そうか」

 話を聞き終えた聖の顔に浮かんでいた表情は複雑で、どんな感情を出せばいいのか戸惑っているようなものだった。無理もないと思う。落雷による山火事、と処理されたあの火事が実は自分の付け火だった。そして自分を止めてくれたのは山に住む龍神だった、なんて、誰が聞いても荒唐無稽な話だろう。

「………信じる?」

「信じるも何も。見てるからな、俺」

「龍も見てたの?」

「ぼんやりだけど。あと天音にすごい力で押さえつけられたのも覚えてるし、竹刀で頭をかち割られそうだったのも覚えてる」

「うっ」

 そうか、覚えているということは説得する手間は省けるけれど、こんな弊害もあるようだ。天音の方を向いた聖の顔には、今は少し意地悪な笑みが浮かんでいる。

「ごめんね聖………」

「怒ってない。というか、止めてくれてありがとうって感謝するとこだろ」

 しゅんとうなだれて見せた天音を見て、ようやく聖は微笑んだ。

「助けてくれてありがとう」

「うん」

「それから、久しぶり」

 一度はもう聖と昔みたいに遊ぶことはできないと思った。不幸に見舞われ続けた聖はどこか遠いところに行ってしまったと思っていた。でもこうして聖が笑ってくれたから、果たせないと諦めていた約束が果たされた。「また遊ぼう」なんてありきたりで子どもっぽい約束だけど、それが聖をこうして引き戻してくれたのだ。

「………うん!」

 口を開けば感情が溢れだしそうで、天音はただそう答えて大きく頷いた。


 風月は右肩を脱臼していた。右手を吊る三角巾は、火事から一週間たった今でも外れない。怪我の具合をきかれた風月は、いつものように肩をすくめようとして失敗した。照れたような笑いが口元に浮かぶ。

「まぁ、あれだけ大鎌を振り回したらこうなるよねって話」

「痛い?」

「別に。いや、うーん、ちょっとは痛いし不便。でも満足してるんだ」

 あの日以降、村人と風月の関係に変化があったのかは分からない。天音もあえて尋ねることはしなかった。けれどきっと悪い方向には変化していないはずだ。慧があんなに優しかったのだ、運命を司る神様だってきっと優しい。

「天音ちゃん、風月ちゃん、今日も暑いで気付けや」

「はーい!」

 その証拠に、田んぼの陰で涼む二人にかけられた声はきちんと風月の名前も呼んでいた。片手を使えない風月がそれでも不自由なく生活している。その事実がすべてだろう。

「それよりもさ、天音」

「なに?」

 慧の神域に行けなくなってから天音は風月の目をまともに見ていない。表情さえうかがえないくらい深くかぶったフードに隠されていても、今風月が心配そうな顔をしているのは分かるようになった。

「またここに来てくれる?」

 なんだそんなこと、と拍子抜けしながら、天音は勢いよく肯定した。

「もちろん。だってまだ慧と会ってないもん」

 会うまでは何年だって待ち続ける覚悟だ。人間の寿命は神様に比べると短いから、できるだけ早くしてほしいとは思うけれど。

「よかった。じゃあまた遊べるね」

「うん」

 風月が突然天音にこんな問いかけをした理由は至極単純だ。明日、天音は村を出る。自分の家に帰るのだ。

「そんなに悲しまないでよ!また冬には会いに来るって言ったじゃん?それに聖はまだここにいるみたいだし、二人で仲良くしてなよ」

「いたっ」

「あ、ごめん」

 天音が風月の背中を叩いたその時、遠くから雷の鳴る音がした。夏の風物詩、夕立が来たらしい。慌てて軒下に避難しようと動き始めるが既に遅い。

「うわ!」

 一番近い建物に向かって走っている間に降り出した雨は、あっという間に二人を濡れ鼠にしてしまう。濡れたせいで顔に張り付く前髪を鬱陶しそうに払いながら空を見上げた天音は、そこで信じられないものを見た。

 ——————雷が落ちた。

 言葉にすると簡単なことだけど、この村では雷は上昇するのが当たり前のものだったのだ。実際、農作業をしていた村の人々も何の変哲もない「落ちる雷」に驚いている様子が見て取れる。

「………慧の馬鹿」

 この村の天気を司る神だと自分のことを言っていた。それなら上昇する雷なんていう怪現象を引き起こしていたのは慧なのだろう。慧はきっと、雷が上昇するものだと、思い込んでいたのだ。おっちょこちょいな慧らしいと、濡れ鼠になりながら二人は顔を見合わせて笑った。

「雷は普通、落ちるんだよ」

 慧という神様がどこかに行ってしまったのに、この小さな世界は正常に回る。一人の神をなくしても、止まることはないのだ。その事実はなんだかちょっと寂しかったけれど。

「………今度はちゃんと雷落としてよね」

「ほんとにね」

 慧が帰ってきた時はこの話をして少しからかってやる。話のネタにするのだ、と思うくらいには天音が強くなれた。


 そしてお別れの日は意外と早く訪れるものだ。

「天音………絶対にまた来てね」

「そんなに言わなくても分かってるよ」

 大きな旅行鞄を肩にかけ駅までやってきた天音。来た時と同じような状況だが、違うのは見送りに風月と聖が来てくれたことと、じいちゃんが家を出る時に渡してくれた聖の戦った時も持っていた竹刀を背中に背負ったこと。

「冬休みになったらまた来るよ、ね?」

「分かってるけど………」

「ほら、いい加減離さないと天音が電車に乗れない」

 風月は意外と別れを寂しがるタイプだったようで、天音と手を掴んで離そうとしない。そんな彼女を聖がいさめているのを見て、仲良くなったな、と天音は二人に気付かれないように笑った。

「俺もあんまり偉そうなことは言えないけど、」

 天音から風月を引っぺがしながら、聖が目を伏せたまま口を開いた。

「お前も諦めるなよ」

「………うん。大丈夫、慧を待つことは諦めないよ」

 しっかりとした声で答えたのに、聖は首を横に振った。どうやら言いたいことが違ったらしい。

「違う。慧のことを天音が忘れないなんてわかってる。夢の話だ」

「夢?」

 夢。なんだろう、と首を傾げる。

「天音は覚えてないかもしれないけど、小さい頃俺に向かって言ってたんだよ、天音。『じいちゃんの道場を継ぐんだ』って」

「え、ほんと?」

「ほんと」

 風月はにやにやと笑ってこっちを見ているのが分かった。かつての自分がそんなことを言ったなんて信じられず、天音はやっぱり記憶力のトレーニングをした方がいいのかな、と頭の片隅で考える。

「そんなの小さい頃の話だよ」

 今さらそんな夢物語は語れない。でも。

「私、剣道好きだなって思った」

 道場を継げないことは現実だけれど、だからって剣道を好きな自分も否定する必要はなかったと思った。だから興味のないふりはしないことにした。

「それならよかった。これは俺の話だけど、実は俺、ここの孤児院にいるのが好きだったし、楽しかったんだ。でもここを出た方が幸せになれるって言うから、そういうものなのかって都会に行った」

 それは初めて聞く話だった。ぼんやりとした笑顔を浮かべて、聖は空を見上げる。

「あそこにいた家族は優しかった。楽しかったし満たされてたし幸せだった。でも俺はやっぱり、この村にいるほうが『幸せ』だったと思う」

「だから天音も自分にとって幸せなことを諦めないでっ………とか言いたいんでしょ?」

 風月の口調にはあからさまにからかうような響きだった。やれやれと首を振りながらこれまたわざとらしいため息をつく。さっきまで半べそで天音にしがみついていたのに変わり身が早い。

「まったく、聖も天音も回りくどいなあ。もっと素直になりなよ~」

「うるさい!」

 風月を叱りつける声が重なってしまい、お互い顔を見合わせる天音と聖。なんとなく気まずい空気になってしまったのは風月が全部悪い、たぶん。

「………もうすぐ電車の時間だから。」

 天音が気を取り直してそう伝えると、二人とも大きく頷いてから手を振った。

「またね、天音」

「またな」

「うん!またね!」

 こんな簡単な言葉と振り合った手だけでで終わってしまうけど、この夏だけで終わりにならないものがちゃんとある。それが分かるから寂しくはない。絶対にまた会える。

 ————「また今度遊ぼうね」の約束が破られることなんて、この四人の間には絶対にないのだから。


 時は流れて半年後、冬。 隠しきれないため息が白い息に姿を変えて、天音の口から零れた。

「………でさぁ、慧はいつになったら出てきてくれるのかなあ」

 十二月。天音はコートとマフラーに手袋という完全防寒の姿で、雪のちらつく山の中、龍神池のほとりにしゃがみこんでいた。

「私、もう半年も待ったんだけど」

 まだ中学生の天音にとって半年は長い。やっとこの村にやって来たのに、駅に迎えに来ると言っていた風月は駅にいないし、聖にいたっては連絡したのに返事もなかった。もしかしたら忙しいだけなのかもしれないけれど、天音の不安を駆り立てるには十分すぎる出来事だ。弱気になってしまうのもしょうがない。

「今でもたまに思うんだよ?あれは全部夢だったんじゃないかな、って」

 あの夏の日の思い出を証明するのは、同じ思い出を共有した友人の存在だけだ。こうして周りから人がいなくなってしまうと、足元がぐらぐら揺れるような不安に襲われるのだ。

「………早く帰ってきてくれないと、忘れちゃうよ」

 天音はまたため息をついて、コートのポケットからドラゴンを取り出した。熱で溶けて歪な形になったドラゴンは、半年前にこの池のそばで拾ったものだ。きっとこれは慧が天音に残してくれたものだと思っていたけれど、もしかして。

 ————もしかして慧はもう、このアクセサリーと同じように燃え尽きてしまったのではないだろうか。

 聖も風月も、天音より先にその「真実」に気付いたのではないだろうか。

「もう慧の声もぼんやりしてるんだよ?」

 もう諦めないといけないのだろうか、と。天音はドラゴンを握った手を池の上に突き出して、呟く。

「―――――じゃあね、慧」

 ぽちゃん、と。冬の澄み切った空気の中に静かな音がして、凪いだ池に波紋が広がる。けれどしばらく見ていれば、池は再び鏡のように静かになった。

「もう返すよ」

 慧がいるとしたらここだと思った。だからこの形見を返して、ゆっくりと立ち上がった天音は池に背を向けて歩き始めた。

(もう気にしてたらいけないよね)

 来るか来ないか、わからない。いるのかいないのか分からない。そもそも慧は神様だから、天音という一人の人間にだけ構ってくれているわけではないのだろう。もしかしたら別の場所で、別の姿で、天音のことなんて忘れて、守り神をやっているかもしれない。

「ばいばい」

 一瞬だけ足を止めて、背を向けたまま呟いて。そうして気持ちに整理をつけ、再び歩き始めた天音の背中に。

「—————もう帰るのか?」

 声が、後ろから天音に話しかけた。さっきまでここには天音しかいなかったはずだ。天音が反射的に足を止めてしまうほど、その声は聞き覚えのあるものだった。それでも振り返れない。まだ―――――信じられない。

「残念だなあ。風月と聖と人生ゲームの準備をしているところだったのに、天音は遊ばずに帰るのか?」

 どこか人を煽るような口調。生意気だけど落ち着いた声。振り返れない。緊張して体が固まる。

「………慧?」

 縮んだ喉で蚊の鳴くような声を出して、ゆっくり………ゆっくり振り返った。振り返った先にいたのは、天音がずっと待ち焦がれていた人物が立っていた。

 相変わらず少しだけ人を小馬鹿にしたように唇の端を吊り上げた笑みを浮かべて、緑色の着物を身にまとった、

「慧!」

「なんだその顔、お化けでも見たみたいな顔して!」

 悪戯が成功したように笑う無邪気な顔も、伸ばされた黒い髪も全部が全部、あの夏の記憶の中にある慧の姿とぴったり同じだ。

「風月も聖ももう来ているぞ。天音だけ遅刻だ。神を待たせるなんて天罰ものだ」

 冗談めかして言った慧の言葉を聞いて、天音はようやく風月が迎えに来てなかった理由も聖に連絡がつかなかった理由も知った。つまり三人は久しぶりに村に帰ってくる天音を驚かせようと示し合わせていたのだ。

「俺の背中に乗って飛ぶんだろ?ならそんな池の中に来ないと天音は置いてけぼりだ」

「慧、」

「ん?」

「雪の中、飛びたいな」

 本当はもっと早く伝えてよ、と言いたい気持ちもあったけれど、そんなことよりも言いたいことがあった。だから天音は泣き笑いのような表情を浮かべて言って、そんな天音の顔を見た慧はまるで小さな子どもを慈しむような顔で笑いかけた。

「任せておけ!何色の雪を降らせようか!」

「雪は本当は白いものなんだよ?」

 でももし色を変えてしまえるのなら金色がいい、綺麗だから。天音がそう言うと、慧は任せておけと自分の胸を拳で叩いた。そして少しだけ目に浮かんでしまった涙を指で拭う天音の手を軽く掴んで、問答無用で水の中に飛び込んだ。

 —————冷たくはない。なんだか温かい水が天音の体を包んで、水のせいで揺らぐ視界の向こう側で風月と聖が手を振っているのが見えた気がした。

 待って、待って、もう諦めようかと思ってしまったけれど、やっと会えた。それがすべてだ。この半年間に起きたことをたくさん話したいけれど、まずはこれだけ言おうと決めて天音は次に言う言葉を決めた。

『私この前、剣道の大会で優勝したんだよ!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛翔せよ! せち @sechi1492

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ